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大腸内視鏡検査

時間は今月半ばにさかのぼる。 この日の夕刻5時、私は大腸内視鏡検査を迎えた。この夏の初めあたりから、どうにもお腹のコンディションが悪く、ついに主治医から検査を指示されたのだ。「念のため、安心のため」とは理解していたが、やはりそれなりの太さがある内視鏡がお尻から入っていくのだと思うと、何となく心晴れやかにその時を迎える気分にはなれなかった。 だから主治医にはひとつだけお願いをした。 「先生、とにかく腕のいいDrにやっていただけるようにしてください」 主治医は微笑みながら、 「じゃあ○○先生に頼みましょうか。でも予約でいっぱいの忙しい先生だから検査時間は遅くなるかも」 「ぜひその先生でお願いします‼」 検査は3週間後の師走の半ばに決まった。 その日、診察の後、検査室の担当看護師に呼ばれ、前日からの準備を聞いた。まだ3週間先のことだから何の実感もなかったが、いろいろと現在の体調を訊かれ、詳しい内容のペーパーと、箱に入った前日の食事や下剤一式を渡された。 検査前日から、ペーパーの指示通りの食事となった。箱にはインスタント食や飲み物の粉末、ビスケットなどのおやつも入っていた。作っているメーカーはグリコだった。そう言えば、グリコのパック入りカレーはそこそこだったなと想い出して、少しだけ安心した。 朝食は、7分粥にお吸い物。昼食は、豆腐ハンバーグとやはり柔らかな7分粥。午後7時までに済ます夕食は、カボチャのスープのみ。中間に、少量のビスケットとピーチ味とオレンジ味の無果汁の粉末ジュース。固形の肉や魚はないから、肉好きの若者には物足りないだろう。しかし検査までに大腸を空っぽにしておく必要があるから、我慢するしかない。 夜9時にコップ一杯以上の水と共に下剤を飲んだ。この下剤は明日の早朝に効いてくるようだ。 就寝時にアローゼンという整腸剤を、やはりコップ1杯以上の水で飲んだ。 検査当日の朝。6時から2時間以上をかけて、パウチ入りのマグコロールPという下剤を1800ccの水に溶かして飲み続けなければならなかった。微妙に飲みやすい様な味付けがしてあるが、コップに移して200ccづつを飲み続けるのは苦行の作業だった。 しかも3~4杯目あたりからは、トイレに駆け込みながらの苦闘となった。私の場合には、1800ccを飲み干し

2018有馬記念(中山・芝2500m)~常識と経験値が通用しなくなっているのか?

12月23日は、朝3時半のまだ真っ暗で冷え切った時間に眼を覚ました。 今日は、まだ28日にホープフルSが残っているとは言え、気分的には2018年総決算の有馬記念。 ゆっくりと競馬新聞を読み尽くし、最終追い切りもVTRで再確認して、その後に朝風呂で身体を温めながらまるで若い修行僧のように精神統一をして、朝8時半のレッドアローに乗ろうと決めていた。その通り予定の時間に起きられたのだ。好きなことなら、人は勤勉になれるものだ。 改めてこの1年を思い起こせば、アーモンドアイのレース出走に象徴されるように、競走馬の使い方がこれまでの競馬常識を覆すような事態が巻き起こっているような印象がある。巨大グループが運営する自らの馬たちの育成場(自らのための外厩と言ってもいいだろう)の方法論が、大きく変わりつつあるのではないかと思えてならなかったのである。 例えばシンザン記念から直行して桜花賞を勝つ、オークスから直行して秋華賞も勝つ、牝馬三冠を決め打った秋華賞からJCに出走してレコードタイムで堂々と勝つ。そんなローテンションを敢えて狙って選択して結果を出し切った馬など、私の知る限りの競馬においては過去にはいなかった。 この有馬記念にも常識破りの3歳馬が1頭出走していた。ブラストワンピース。3連勝で毎日杯を勝ち上がって、皐月賞は回避。ダービーはワグネリアンの5着。その後、何と9月初めの新潟記念を圧勝して、そのまま菊花賞に出走して4着。そしてこの有馬記念に挑戦してきたのだ。 こんなローテーションの馬にも過去には出会ったことはない。過去に有馬記念で好成績を収めた3歳馬たちは、どの馬もほぼ3冠レースで結果を出し、その勢いで古馬を破って来ていた。言わば、3冠レースでの実績が必須条件だったのである。 いろいろと考えをめぐらした結果、(馬券下手な)私は、この有馬記念ではブラストワンピースは買わないと決めた。もしこの馬が勝ち負けのレースをしたなら、競走馬の調教は東西のトレセンでのものより、もはや外厩として機能している巨大グループの育成場の方が、科学的にも、あるいは技術的にも進んでしまっていると考えるしかないとまで思ったのだ。さらに言えば、トレセンの現場はプロの威信を持って、自らが調教した馬を出走させてくるのではないかと信頼しようとしたのである。 そう思うと、結論は簡単だ

2018 JC~可憐な容姿は化け物の仮の姿だった・・3歳牝馬アーモンドアイ

先月の秋・天皇賞からも、佳境のG1戦は続いている。 11月上旬には、スローペースを作って岩田クロコスミア(昨年の2着馬)が再び2着に好走したエリザベス女王杯。完璧な騎乗を示したモレイラが跨ったリスグラシューが鮮やかに差し切って、シルバーコレクターの座を返上して初めてのG1制覇を決めた。人馬にとって共にG1初制覇だった。デムーロ・モズカッチャンは好位5番手あたりを進んだものの前半5F61秒4のスローペースが災いして持ち味を発揮できなっかったのか3着確保がやっとだった。 中旬には同じく京都でマイルCS。直線インから伸び切ってきたビュイック騎乗の3歳牡馬ステルヴィオとデムーロ・ペルシアンナイト(昨年の勝ち馬)2頭の接戦となり、ビュイック・ステルヴィオがアタマ差抜け出した。最終追い切りで、絶好調の軽くしなやかな姿を見せつけていたアエロリットは不可解な12着惨敗に終わった。肉を切らせて骨を断つ逃げ先行がアエロリットの特質であるのに、この日手綱を任されたムーアの逃げは、何となく遠慮がちなもので、さすが「世界のムーア」も、実は馬を追っての価値なのではないかと、私は個人的に思わざるを得なかった。軽いスピード馬場である日本の競馬では、逃げ先行には欧州とは別の技量と感覚が要求されるのである。 そして11月25日。例年のように優駿招待のダービールームに向かった。今年3月から「優駿」の実務担当責任者は、前任のOさんから新たにYさんに交代している。Oさんにもいろいろとお世話になったが、現在はYさんにお世話になっている。 14頭の出走馬数に顕著に見られるように、今年のJCは、ほぼ人気サイドで決着するのは間違いなかった。チャンスが僅かでもあると関係者が思うなら、ビッグレースはフルゲートになるはずなのだ。そうならないのなら、人気上位の馬たちの力量は抜けているという評価があるということに他ならない。 最終追い切りをHDで見直しても、アーモンドアイ、スワーブリチャード、キセキ、サトノダイヤモンドの気配は明らかに良いと、私には思えてならなかった。 アーモンドアイの1枠1番が決まって、巷では「まだ揉まれた体験のない3歳牝馬が古馬にもまれたなら」と囁かれもしたが、私自身は14頭の出走馬ならそれも杞憂だと疑いは持たなかった。(でも 出走時間になってあまりにも人気になっていたので、

2018 10月 秋華賞~菊花賞~天皇賞

絵:N.アキラ 2018年10月28日。秋・天皇賞を終えて前半戦のG1戦を終えた。 この日はラウンジシート招待もあり、久々に外出。と、変なことを言うのは、この夏どうにも腸の具合が悪く、1日に何度もトイレに駆け込む事態に見舞われていたので、長い時間の外出はできるだけ避けなければならなかったのだ。こんなに長く不調が続くと心配にもなるが、連日の40度超えの気温に身体がついて行けずに今を迎えてしまったということだと考えている。 土曜の夕方から食事もとらず、早起きした朝には数度トイレに行き、出かける前には念のためと正露丸を倍の量を飲み込んで、ついでに同量を長年使いこんだコーチのバッグに詰め込んで9時半のレッドアローに乗った。 そうまでして出かけたいかと言われるかも知れないが、秋・天皇賞だからこそやはり出かけたいのです、ハイ。 10月14日の秋華賞では、ルメール・アーモンドアイが、多少かかる仕草を見せていたものの外からひとまくりで史上5頭目の牝馬三冠を決めた。5頭の牝馬は、河内洋メジロラモーヌ、幸英明スティルインラブ、蛯名正義アパパネ、岩田康誠ジェンティルドンナ(オークスは川田将雅の代打騎乗だった)、それに今回のアーモンドアイである。最後のエリザベス女王杯(当時の秋華賞だった)が2着だった準3冠馬田原成貴マックスビューティをも含めて全部この眼で見てきた。今でもゴールの瞬間は想い出せる。記憶の大きな財産だ。 アーモンドアイから川田ミッキーチャーム(2着)武カンタービレ(3着)池添サラキア(4着)と少し馬体が緩く感じたが敬意を表して北村友ラッキーライラックに流して、ゴールまで安心してレースを見守ったのである。やはり強い馬は強いと思い知らされた結果だった。 それにしても大挙12頭もの社台グループ系の馬たちが出走した中で、ディープインパクト産駒ではあったが三嶋牧場の生産馬2頭が2着と3着を確保したのは褒め称えるべき快挙だったろう。 10月21日の菊花賞。前走1000万条件戦兵庫特別2400mの楽勝圧勝振りを見て軸の穴馬ならこの馬だと決め打ちした私は惨敗だった。アフリカンゴールド(12着)である。最終追い切りでも気配がいいように感じて、ここからデムーロ・エタリオウ、戸崎エポカドーロ、和田タイムフライヤー、大穴ならもしかして距離に耐えられたときの

金魚を飼おう⑳~すでに3年目に突入

 ランチュウとオランダ獅子頭を飼い始めて3年目を迎えている。 今日は2週間ぶりの水替え。水盥から出して洗面器に移して、その間に水盥をたわしで洗う。狭い所に移されるとイヤイヤをするようなしぐさを見せるが、水を貯めるまでの辛抱だ。 2年と3か月の間に最初に5匹いたランチュウは2匹となり、2匹いたオランダ獅子頭は1匹となってしまったが、生き残った3匹は元気で、40℃超えのこの夏も生き延びてくれた。大きくなっているのは写真からも窺い知れる。予想していたよりも頭の肉瘤の発達がイマイチだが、まだまだ少しは変化してくるだろうと期待は捨ててはいない。とにかく頑丈な相撲取りのような姿になってくれるのを祈るばかりだ。 この仔は、生まれた時からの期待の星のオランダ獅子頭。気品すら感じる成長ぶりである。 3匹仲良く一緒に毎日を過ごしている。 洗い終わってエアフィルターを設置して水盥に水を貯め、いつものようにニガリ混じりの塩を一握り水の中に撒き、塩が溶けきったころに、金魚たちを移した。 エアが送られる水の中で、生き返ったような溌溂さで泳ぎ始め、お腹が空いたと餌を欲しがったので、まだまだ大きくなれよと声をかけて、今日の作業を終えた・・・。

秋競馬 シーズンイン‼

絵:N.Akira ここしばらく競馬の話題を記していなかったが、決して忘れていたわけでも、手を引いていた訳でもない。自分なりの方法を守って、命を懸けてその限界まで走り抜くサラブレッドの、言わば「儚いまでに凄味のある劇(ドラマ)」を楽しんでいた。 3冠牝馬への栄誉あるポジションを圧倒的なパフォーマンスで手中にしたルメール・アーモンドアイのオークス。 オヤジの見ることができなかった馬上の景色をやっと見ることができたと語った福永祐一ワグネリアンの日本ダービー。 勝利の体勢を築いた戸崎アエロリットをゴール寸前に差し切ってしまったルメール・モズアスコットの安田記念。1分31秒3の決着タイムだった。 テイエムオペラオー以来18年振りにJRAのG1戦制覇に涙した和田竜二とミッキーロケットの宝塚記念。 夏競馬では、函館で7歳にしてようやく重賞制覇を果たしたエアアンセムの雄姿もあったし、札幌ではやはり吹き荒れたモレイラ旋風と札幌記念で示された福永サングレイザーの2000m戦での大きな可能性。それに小倉や新潟の短距離戦で大いに発揮された森田きゅう舎のダイメイプリンセスとラブカンプーの奮闘。 9月23日には、神戸新聞杯で頭部を負傷した福永祐一からの代打騎乗の藤岡康太ワグネリアンと出遅れて本領発揮とはならなかったが戸崎エポカドーロの2018ダービー馬とさつき賞馬の対決と、オールカマーでのルメール・レイデオロと北村友一アルアインの2017ダービー馬と皐月賞馬の一騎打ちもあった。 秋最初のG1戦は、9月30日中山での電撃の6F戦スプリンターズS。春高松宮記念の覇者川田将雅ファインニードルが直線で外から追い込んで春秋を制しての不動の短距離王となったが、夏競馬を盛り上げた3歳牝馬和田ラブカンプーと4歳牝馬秋山ダイメイプリンセスも2着と4着に健闘した。7歳の武豊ラインスピリットが今が盛りと発奮して3着。得意のイン突きができなかった岩田レッツゴードンキは5着だった。 先週からは東京と京都の開催が始まり、毎日王冠ではモレイラ・アエロリットが1800m1分44秒5の好タイムで危なげなく牡馬たちを蹴散らし、京都大賞典では新しくコンビを組んだ川田将雅サトノダイヤモンドが再び最強馬への復活を果たし、2着には4歳牝馬池添レッドジェノバがこの夏の上り馬とし

時計を耳にあてると・・・

機械式の腕時計を耳にあてると、小さな音だが手巻き式だとカチッツ、カチッツとか、自動巻きならチッチッなどと、軽快な時の響きが聞こえてくる。それは心地よいさわやかな響きだ。 ここしばらく手間を省いてクォーツタイプの腕時計を使っていたから、確かに時が刻まれていく音を忘れていた。クォーツタイプは無機質で無言のまま針だけが進んでいくように思えてならず、耳にあてようともしなかったからである。(手元にあるオメガのクォーツを試しに耳にあててみたら何と小さな響きでカチカチ音がしていて驚いてしまった) 現在、Girard-Perregauxの角型手巻きとジャイロマチックと呼称する自動巻きを持っている。個人的には、機械式の腕時計は60年代から少なくとも70年代には、品質の基本設計はほぼ完成期を迎えたと考えている。そこから先はおそらくデザインなどのマイナーチェンジで目先を変えてきたような気がする。完成期を迎えた段階の機械は、おそらく90年代初頭には完成期を迎えていたガソリンエンジンの車もそうであるように、もはや発想そのものを衝撃的に変えるような革命的な技術革新などは無用だったろう。 完成期に達した機械は、それ故素晴らしい耐久性や追随を許さない精度を持つものだ。それは、手元にあるジラール・ぺルゴの腕時計でも証明されている。 現在の日本では、ロレックスやオメガの方が一般の知名度は高いが、実はGirard-Perregauxは、世界の時計の牽引車だった。日本とも縁を持っている。 ジュネーブの時計職人ジャン・フランソワ・ボットが自らの手によって初めて時計を作ったのは1791年だった。「世界の時計の帝都」ラ・ショー・ド・フォンの街を舞台にして往時180人もの時計職人を雇用して運営されていたボットの技術を後継するボット社(マニュファクチャリング工房と言った方が正解だろうか)を1906年に買収したのが、Girard-Perregauxである。 Girard-Perregauxは、1856年に結婚したコンスタン・ジラールとマリー・ぺルゴの名を組み合わせた工房名で、やがて東洋世界にも進出を目指し1859年にコンスタンの義弟フランソワ・ぺルゴをシンガポールに派遣した。翌1860年、フランソワは江戸末期の日本にも脚を延ばし、日本に初めて西洋時計をもたらしたのだった。

夏過ぎて 秋来るらし・・・

ここ1週間、ようやく秋の気配が強まっている。 昨夜は中秋の名月の宵を迎えていた。中秋の名月の宵というのは、聞くところによれば、旧暦の8月15日であるという。太陽暦が始まる明治以前の人たちの8月15日は、既に秋の訪れを感じさせる満月を慈しむ夕べだったことだろう。 山の暮らしにも、明け方の思わず身が引き締まるような冷んやりとした気温や、黄昏を過ぎると騒やぐ幾種もの虫の声たちに、季節の移ろいを知らされるのだ。 この移ろいを感ずると、いつもホッとする。 燃える夏には、私は殺戮者=キラーマンだったからだ。間違いなく私は、真夏の殺戮者、いやそれ以上の虐殺者である。毎日のように10か、それ以上の命を抹殺し続けて、生きている。 それは、私自身の満足を得るための快楽殺戮、快楽虐殺であるのかも知れない。 犠牲者は、人ではないのが、私自身のせめてもの贖罪である。勿論、世の中には殺したくなるような人としての謙虚さも持ち合わせていない愚かな虚偽癖のある傲慢人間たちもいるのだが、まだ今の段階では、彼らは標的にはなっていない。おそらく、やがて彼らを本当に裁くのは、灼熱地獄の閻魔大王だろうと信じている。 真夏のキラーマンである私の標的は、カメムシ、蚊、羽虫、コバエ、蛾、アリ・・・たちだ。特に机回りの明かりに引き寄せられてくる奴らは、容赦なく叩きのめすことにしている。 山暮らしを始めた頃には、奴らの侵入も許容していた。カメムシが照明スタンドの上側のフレームを歩いていて、その姿が照明の灯りで壁に映し出されて、怪獣が侵入したのかとビックリしたこともある。それでも最初は許していた。 しかし奴らはここが安全だと知ると、カメムシなどは家具や書物の裏側など冬でも暖かなところを探し出して越冬して生殖をも繰り返して増殖を始めもした。それは私の許容限度を超える行為だった。放置しておけば、私の書斎はムシの館となってしまう。私の心は恐怖すら覚えた。 この瞬間に、私は真夏の殺戮者、真夏の虐殺者となった。 この夏にも、私は数百にも及ぶ命を虐げた。 私とムシたちとの間は、互いのテリトリーを守って同存するルールも協定も存在しない関係なのだ。 だから命を守ってやるより、命を虐げてしまう方が、容易い解決策となる。 私は真夏のキラーマン。私の前に現れるな。私だけの空間(と言っても、主として机回りだけの小

35℃超えの夏に~シジミ無料サンプル体験から

連日35℃を超える酷暑の日々が続いている。 経験では推し量れぬ大雨をもたらす台風も、いつも以上の頻度で列島に押し寄せ、不可思議な進路で意表を突いてくれている。 台風の直前には、山を飛び交うトンボの姿が増え、そよと吹く涼風も一瞬感じられたのだが、台風一過の後はまた35℃超えの日々が戻ってしまった。 そんな或る日のこと、バテバテの体を癒してみようかと、たまたま眼にした「シジミの無料サンプル」に応募してしまったのだ。以前から鍋で煮込んだ「シジミ汁(塩味でも味噌仕立てでも)」が、身体の芯に潜む疲労感に効き目があるのは判っていたので、たまに自分自身で煮立てもしていたが、この夏の酷暑の中、ついつい面倒になって無料サンプルを入手してみようかという気持ちになったのだ。 しかし・・・やはり、ただより高い物はないと思い知らされることになった。 自信があるものなら、押し売りしなくてもこちらから率先して購入のリピーターになるのに、それを待てないようなスピードで、連続して購入勧誘のパンフが送られてきて、おまけに「サンプルの効果はどうだったのか?」電話攻勢にさらされるようになってしまった。こんなことなら自分自身でシジミを買ってきて煮立てた方が、精神衛生上にもいい。まして酷暑に痛めつけられた身体は、サンプルの量ではなかなか元気回復という訳にはいかない。しばらく様子を見ながら、いずれ手間暇を考えて購入しようかと考えていたのだが、次々と押し売りのような勧誘があると、そんな気も失せてしまった。勧誘電話も迷惑電話番号に設定して着信拒否にし、宣伝メール攻勢も迷惑メールに設定して自衛した。 確かな効用があれば、それを実感して少しでも楽になったと実感できれば、進んでリピーターになろうと思っていたのに。1日当たり約100円、1ヵ月で3000円ほどの出費なので、何とかなる価格なのだが、それでも押しつけのようなものではない納得が生まれなければ、客にはただただ疑念が生まれて、飛びつくことはないと知るべきだろう。「サンプルをやったからさあ、次はお前が買う番だ」という営業は、少なくとも私には受け入れられない。 BS放送などでいかにもという宣伝を繰り返しているからなのか、相当に強引な営業手法となっているようだ。で、結局思い当たったのは、昔からの「ただより高い物はない」という名言だった。 そ

恐竜の足跡

さてさてこれは何だろう? 台風12号が奇怪なコースで列島を逆走する前の、摂氏40度に迫る灼熱の日々が続いていたある日、初心者マークの大学生に「運転練習のためにドライブに付き合ってもらえないですか?」と頼まれて、思わず受けてしまったのだ。 どこに行こうかと考えて、この季節なら国道299号線を北上して御巣鷹山の麓の上野村まで行ってみようかということに決定した。ゆっくりと往復しても3時間の行程だ。以前から、この暑い季節に一度訪ねてみたいなとも思っていたからちょうど良かった。 初心者マークの山道運転での助手席同乗は、なかなかにスリル満点で、ずっと緊張感に満ち満ちていたが、何とか無事に上野村の「慰霊の園」に到着。手を合わせたモニュメントの前で、500人以上が犠牲となったJAL123便の衝撃を改めて想い起した。 「御巣鷹の尾根」とこれまでずっと報道されていたが、正確には「高天原山の尾根」が墜落現場だったようだ。500人もの犠牲者は「高天原」に召され、奇跡的に生きながらえた数人は「高天原」から遣わされた生還者と言える。そう思うと、何となく不思議な気持ちとなった。 その帰り道。ここで最初の写真の謎となる。上野村の隣は神流町。慎重に初心者マークが運転を続けると、ふと「恐竜の足跡」という看板を見つけ、何となく気になって車を止めてもらった。 降りて案内通りに探してみると、それは見上げるような崖岩で、「漣の岩」と命名されていた。 今から1億3千万年前の白亜紀に、この場所一帯は海と河口が交わる三角洲だったらしい。そしてこの場所を2足歩行の恐竜が歩いた痕跡が「漣の岩」に残り、それがやがて地殻変動によって隆起して、現在のような崖になったという。 1985(昭和60)年に、恐竜の足跡として学術的にも正式に認定された。 いやはや、それにしても1億年と言うような宇宙的時間を前にしたら、私のような凡人の、たかだか長くても人生100年の時間など、何の意味もない宇宙の微小なゴミほどの価値と言えるのかも知れない。そう思えてならなかった。 その日、途中で何度か両手を踏ん張って身を固める瞬間はあったものの、初心者マークのドライブは何とか無事に終了。この次もよろしくと頼まれたが、これで少しは上達するだろうと考えて、「うん、いつでもいいよ」と答えておいた。 たまに

7月になった

ちょっと手をこまねいていると、知らず知らずのうちに、時間だけがたちまちにして過ぎていく。 いや、とりわけ引きこもってじっとしている訳ではないのだ。いろんな雑事野暮用が重なって、それらにかまけていると、気がつけば1か月があっと言う間に過ぎている感じだ。 深夜にワールドカップも見ているし、外の小池で大量に孵化したオタマジャクシにメダカの餌を補給してやってもいるし、ここ1年程は誰もいない時間を見計らって毎日のように山道で車を追いかけさせて愛犬を運動させてもいる。犬はまさにライザップ状態で、1か月に一度の歯磨きの効用もあり、もう11歳なのにバリバリの若さを誇っている。水替えをサボってランチュウが1匹突然死してしまった体験もした。汗まみれになって車のワックスがけもしたし、東京のユニコーンSの3連単と函館スプリントSの馬連で万馬券の連続的中も果たしもした。ユニコーンSでは田中勝春エングローサーがアタマ差の3着、函館スプリントSでは四位洋文ヒルノデイバローがハナ差の2着、共に騎手の手腕に期待しての狙い馬だったので、もうひと踏ん張りしてくれていたなら夢のような完全的中が実現していたのだったが・・・。 だから何もしていない訳ではなく、いつものようにやりたいことはやって、それなりに納得もしているのだが、何せ私にとっては肝心要の「書きたい衝動」が心の内から沸き起こってこないのだ。書きたいことは山ほどある。でもだからと言って書いてどうなる。そもそも書いてぜひとも読んでもらいたいあの人が目に浮かんでくる時代なのか?と考えると、答えがないのである・・・。 甘えなのかも知れない。おそらく甘えなのだろう。もし他者からそう指摘されたなら、そっと頷くだけだ。 がしかし、今月の下旬と来月の末までに、私自身のこれまでの生き方のけじめをつける2つの個人的な命題が、どうやら決着する流れもある。おそらくその瞬間から、私の冬眠状態も劇的に改善するのかも知れない。今はただそのときを待っているしかない。無駄に必死に動いてもアガキが増すだけだろうし、成るようにしか成らないのも世の習いだ。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の精神だ。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」も「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の精神も、現状の私には似つかわしいとは言えない。 だからいましばらくはおとなしくじ

金魚を飼おう⑲~ランチュウの成長間もなく2年

今朝は1週間振りの水替え作業。 夏を前にして食欲旺盛で、やはり水の汚れは早くなる。稚魚から飼育を始めて来月でまる2年。落ち着いてからは、真冬にヒーターを設置することもなく室内気温そのままでほったらかしでも健康そのものだ。 明らかに大きくなっているのが判る。でも相撲取りのような貫禄は、2歳では早過ぎるのかまだまだだ。成長するときは、どうもバランス良く全体的に大きくなるのではなく、ときに長さが伸びて少し腹回りが締まり、ときに腹が膨らむとそのときは長さが伸びるのが停滞する。どうもそんな印象で、体は少しづつ大きくなっていくようだ。 この前種類を変えて買った市販のドライフードの質が、どうもイマイチだったことも影響しているかも知れない。 だからまた元に戻してみようかとも考えている。 いずれにせよこれからも水替え作業は、いい環境を与えてやるために続いていく。山の水だからからか、水道の蛇口を回して直接にその水を使っても、ちょうど消毒剤の塩素が消えていて、カルキ抜きをしなくてもそのまま使えるのは何よりである。 おそらく山の麓にある浄水場からの水道水は、長い距離を山登りしてくる間に配管の中で塩素成分を失くしてしまうからなのだろう。だからそのまま飲んでも自然水のようでおいしいし、水の中で生き抜く金魚たちにも幸せの源となる。清貧な山暮らしの中での、ごくごくささやかな贅沢と言えるのかも知れない。 そうか、私は水に関してはリッチマンなのか・・フーン、そうなのか・・・。いや待てよ。森の中で息づく木々たちが光合成で提供してくれる酸素もフレッシュで、空気も美味いと言えば美味い。それも考えようによっては大きな贅沢だ。 まあ、水と空気が提供してくれる部分くらいは、優雅に暮らすのもいいだろう。 でもね、人間て奴は、水と空気だけじゃ生きていけないから、それが問題なんだが・・・・。 ともあれ、私の4匹の金魚たちは元気であります。 ついでながら、腹に卵をつけた外のメダカたちの卵を取って、別の盥桶に移したところ、すぐに何匹ものメダカたちが孵化して成長して、今は元気に育ってもいます。この子たちは2018年産のヴィンテージになってくれるでしょう。 この夏は餌やりと水替えで忙しくなりそうです。

春G1後半戦~天皇賞からオークス・ダービーまで その①

昨日5月27日、11万8475人(午後3時現在)の大観衆を集めて、熱気ある大歓声の中、日本ダービーが催された。 騎手福永祐一の、父洋一が突然の落馬負傷引退のためにその手にできなかったダービー制覇達成のドラマに、集った大観衆の温かい大声援がターフを包み込んで3歳馬の頂点となる「祝祭の儀式」が終わった。来週からは、また再び2歳馬たちの新しい闘いが始まっていく・・・・。 4月29日。春天皇賞~京都・芝3200m。 昨秋の天皇賞(東京芝2000m)3着からの岩田レインボーラインの着実な成長振りからしても、勝負を賭けてくるのはこの馬だろうと、私には思えてならなかった。 予想通り2週目の最後の4コーナーを回ってからの岩田レインボーラインの、馬群の中を右斜めに縫うようにして強引大胆に突き抜けてきた迫力は、この馬の長距離における資質の高さと、騎乗する岩田康誠の馬の資質を最大限に引き出してやろうとする気迫の意志に満ち溢れていた。 しかし・・・。 ゴールインする寸前に(何度レースを見返してみても)、ガクンと体勢を崩しているのが見て取れた。レインボーラインは、自らの身体を犠牲的に捧げものにするかのように、極限の勝負に挑んでいたのだろう。命を懸けて勝負に挑んで、勝者の栄光を手中にしたが、はかなくも傷ついてしまったのである。これは競走馬にとっては宿命的に抱える現実なのだ。手をこまねいて何もしないよりも、身体を捧げて勝負に生きる。そのことがサラブレッドの孤高の姿を映し出すのである。はかなくも美しい競走馬の本質を、あまりにも見事に教えてくれるような激走だったと厳粛に認めるしかない。 岩田康誠がゴールイン後に下馬したとき、私は何故かかつてのダンスインザダークの菊花賞を想い起していた。ダンスインザダークもあの96年の菊花賞を鮮やかな瞬発力を示して勝ち切って、しかし競走生命を捧げてしまった馬だった・・・。 レインボーラインを軸にして相手に選んだのはクリンチャーだったが、騎乗者が武豊の直前の騎乗停止によって三浦皇成にチェンジしたこともあってか首+1/2差の3着で、私には玉砕の結末となったが、それはそれでしょうがないと認めざるを得なかった。いかに先行馬をゴールまで持たせるかというある種洗練された特有の技術で世界のボウマンと称される騎手が騎乗したとしても、何

荒野に光を~また届いた3通のメール

冬の初めからずっと、次から次へとまるで誇るかのように花を咲かせ続けていたシクラメンも、気がつけば、どうやら一休みする季節になっています。 この1か月、私自身も季節外れの冬眠生活を送っていました。世の中を見渡せば、いろいろと思うことがあって、そのためかまるで気力が湧き起こらず、無理をしても空しいのでじっと精神的に引きこもっていたのです。(いや、毎週の競馬と囲碁将棋チャンネルは見ていましたが・・・) そんなとき気力の湧かない私に、3通のメールが届きました。 「流れが変わりました。 新たな潮が身体の周りをうねっています。今日を楽しみましたか?明日はもっと素晴らしいと信じられますか 精進あれ」 「 今日を楽しみましたか? 明日はもっと素晴らしいと信じられますか ? 」 「幸せとは? 心の平穏です。 何かまとわりつく異物感を、削り落とし、削り落として達する無我の境地なのです。 何かにこだわりつつ、同時に無我に達するアンビバランス。そのことを修行というのかも知れません」 そうです。どうでもいい、どうにでもなれと、閉じこもろうとする私自身を、もう一人の私が励まそうと送り届けたメールでした。 自分以外の誰かを頼れば弱みにもなります。でも自分で自分を励ますことができるなら、最高の治療薬ではないでしょうか。 自分を強くするのは、やはり自分しかありません。 かつて病に見舞われて苦しみ、大きな手術を受けなければならなかったとき、この辛さを癒せるのは、他者ではなく自分自身なんだと気づいてから、私はときおりもう一人の私になって、自分自身にメールを届けます。 曖昧模糊とした現実、漠として先の見えないこれからの未来への不安・・・。そんな時代のエアポケットにストーンと放り出された実感するときこそ、もう一人の私のメールは、これまでも私を支えてくれる大きな力となってきました。 さてさて今回のメールの効用は?それは、しばらく後の私自身の在り様が証明するでしょう。 効用があって欲しいと願っています・・・。

春G1前半戦(高松宮記念~大阪杯~桜花賞~中山GJ~皐月賞)

競馬のスケジュールは、日を追って瞬く間に進んでいく。気が緩んで少しさぼりがちだと、ちょっと前のレースも遠い過去のようになってしまう。 まあ、きちんきちんと書き残さなかった私自身に責任があるのだが・・・。と、ちょっとだけ反省して、記憶をたどって書き留めておこう。そんな作業が、いずれ近い将来、宝物の記録にもなるのだから。 3月25日。高松宮記念。中京・芝1200m。春のスプリンターチャンピオン決定戦だ。 私の中では、デムーロ・レッドファルクスが信頼に足る軸馬で、中心となるという見解に疑いはなかった。いつものように最終追い切りを確認もしたし、前走の阪急杯3着の追い込みも、本番前のトライアルとすれば充分に及第点で、高松宮記念に向けての準備態勢は完璧に整っていると信じた。で、相手に岩田レッツゴードンキ、川田ファインニードル、武豊ダンスディレクターの3頭を選んで、これでOKと信じて疑ってはいなかったのだが・・・。 何故か、レッドファルクスはゲートが開いても、いつものような軽快で迫力のある行き脚を少しも見せなかったのである。レースの絡む気迫を現わさず、今日はないなとスタート直後に諦めざるを得なかった。1着は川田ファインニードル、2着は岩田レッツゴードンキで、縦目を食らってしまった結果となった。 昨年12月に香港参戦して、年明け初戦がおよそ3か月後の阪急杯。となれば、結局はいわゆる2走ボケだったのだろう。そう思うしかない不可解な敗戦だった。 4月1日。大阪杯。阪神・芝2000m。 強い4歳馬を信じれば、ここは先週1番人気を背負って惨敗したデムーロが騎乗するスワーブリチャードを本命にするしかない。相手は、同じ4歳の皐月賞馬川田アルアインに、横山典ミッキースワローだが、趣味で池添ヤマカツエースを加えた。まだ完全復調にない戸崎サトノダイヤモンドをどう見るかに頭が痛かったが、考えすぎるのも面倒になってほんの少しだけ押さえておくことにした。 結果は、デムーロ・スワーブリチャードの危なげない完勝。2着を確保したのが、4頭出しの池江厩舎の人気薄福永ペルシアンナイトだった。他頭数出しの池江厩舎の場合、何となく人気薄のほうが好走する傾向があるんだと、ずっと以前の有馬記念のオーシャンブルーの頃から思っていたが、今回はそんな自分自身の見極めに逆らってしまったと

山暮らしの日々

春の盛りを迎えて、山暮らしの風景もいっきに変化(ヘンゲ)してきた。 外の池にカエルが卵を産み落とすことに始まり、花々が勢いをつけて咲き誇り始め、今はソメイヨシノが満開を過ぎてそよ風が吹くとチラチラと桜吹雪を見せ始めている。すでに夏日の気温と天気予報士が言っているが、山の中では猫もうたた寝するのどかさだ。 山の暮らしもずいぶんと長くなった。脊髄の大きな手術を経て、何とか社会復帰を目指そうとしてからだからそうなるのだが、体感時間としてはアッという間だった。 山暮らしの中で唯一発見したこと。それは、花も虫も鳥も獣たちも、両生類や爬虫類たちも、日々生き抜くだけの栄養を食らい、それ以上は求めず腹八分を知り、あとは何かに憑りつかれた様に交配や生殖を繰り返して、その一生を終えていくのだということである。 見守っていると、地球上で生きるという行為は、それに尽きるのだ。ただ人間だけが、強い物欲に見舞われて、他人様以上の収穫のストックを確保しようと蠢いている。人間であるということは、道具を使える知性やあるいは鍛え方によっては気高い思想などを備えていることよりも、実は限度を知らぬ物欲にこそ、人間らしさが特異に表出されているのであるのだろう。 自然の中の生き物たちは、食らうにしても必要以上の貪欲さを示すことはない。貯め置くストックは持たないし、満たされてさえいれば、蛇とカエルが隣り合わせにいても同存できるのだ。そう言えば、吐くまで飲んで食べ尽くすのも人間であればこそなのではないか? 人間というのは、かくまでも罪深い特異な地球上生物と言えるのかも知れない・・・。

子供の王国~落日への風圧

とある、日出る処のファーイーストに所在する王国。 恥じらいを知る識者たちは、思いのたけを込めて「子供の王国」と呼んだ。 それもそうだろう。そもそもその国には、かつての悲劇的戦争への反省を踏まえて、老いた身体を鞭打つように、平和平穏をを祈念して民人の間を訪れ続けられるミカドご夫妻ががおられるのに、いつの間にか、そうだ5年ほど前から、勝手に絶対王権のキングやクイーンのように立ち居振舞う民間人夫婦が生まれてしまったのだ。如何なる理由があろうとも、5度選挙に勝たせてしまった事実は、制度の中で思いもよらなかった王国を生み出してしまったことになる。さしあたり信じてしまった民人も愚かだったということなのだろう。本質を見抜けなかったのだから。 かつて薩長の田舎者たちが、庶民が切り開いた華ある江戸の文化を蹂躙しまくってしまったが、今また長州者が悲劇の果てにようやく手にした「民主主義制度」を破壊しまくっている。手法は、耳障りの良いその場しのぎのご都合主義と、恥を知らぬ嘘の連発である。 ひとつの嘘が新たな嘘を呼び、挙句の果ては公安による謀略と弾圧までもが蔓延り、歴史に責任を負うべき公文書さえも、公僕たる役人自身が矜持を捨てて改ざんに励んでいる始末だ。 国のこの先1年や、この先の未来にどう責任を果たしていくかを問われる国会も、まるで「子供の国の学級会」の様相で、無教養であってもいいところの衆が、すさんだ目つきで跋扈して、いじめやハラスメントを繰り返し、自らと自らのお友達に都合の良い嘘を繰り返している。同時に寄生虫のように利をも仲間同士であざとく漁り尽くしている。 子供の国のキングとクイーンは、貪欲に何かを欲しがる上目使いの輩の心にもない世辞と御愛想に囲まれて、日々増長して調子に乗って、まるで絶対主義国のキングとクイーンであるかのように振る舞っている。 だが平和を祈念され自らの信念で民人に励ましを届けられてきたミカドが、その齢と健康を考えられて退位され、きちんと帝王学を身につけられた新しいミカドが即位されようとする今、どうやら「子供の王国」には、崩壊の嵐を呼ぶ風が吹き始めたようだ。まるで邪悪を駆逐するかのようにだ。 さてこれからどうなるか?予測はつかないが、ただひとつ言えるのは、一度でも失った信義は、疑念を呼び起こし続けて、そう簡単には回復され

金魚を飼おう⑱~ランチュウの成長・1年8か月

今日は気温が上がるという天気予報を見ていたので、早起きして恒例の水替え作業を実施。時間にして完了まで20分ほど。でも水はまだまだ冷たかった。 今年の冬は、日本海側を中心にシベリアからの大寒気が忍び寄って大雪被害も出たが、幸いにも太平洋側は2度の積雪はあったというものの、例年よりは太陽が出ることが多く、昼を過ぎると太陽の温か味を感じられることが多かった。 私の暮らす山間の地でも、明け方はマイナス6∼7度に冷え込んでも、太陽が出てくれると昼過ぎには室内気温は10度を超えていたと思う。 ただマイナス6度の冷え込みでは、外に置いてある火鉢を使ったメダカ飼育桶は、10㎝を超える氷がとけずに張り詰めて膨張し、ついには火鉢に極小のヒビをもたらして、気がついたときには氷の下の水が抜けてしまっていて、この飼育桶の20匹ほどのメダカは全滅してしまった。残念だったが、他の3つの飼育桶は何とか氷のパワーに耐えてくれたので、これまで繋いだメダカ一族の血脈は絶えずに守られた。 外はそれなりに大変な状況だったが、室内は最小限の暖房でしのいでいたが、そこそこ安定していて、昼過ぎになると餌をねだる仕草を示すので、2日に一度ぐらいの頻度で、通常の1/3ほどの量を与え続けていた。 それでもひと冬を過ごすとまたひとつ大きくなってきたのは不思議でもある。 この春を過ぎると、生まれて3年目に突入することになる。そう言えば金魚の歳は、競走馬のように満年齢で数えるのだろうか?たぶんそうだろう。いやどうだったろう?当歳、1歳、2歳・・・なのか?あるいは当歳、2歳、3歳だったろうか?あれっ⁉どっちだったろう?・・・。まあ、いいか。 顔周りの肉瘤もだんだん大きくなってきた。 「立派になれよ」と全4匹に声を掛けて、今日の水替え作業は完了した。

2018 フェブラリーS(東京・ダート1600m)~中山記念まで

ここのところ、ちょっとやぶ用が重なってパソコンの前から離れていた。 で、時間は10日前に遡る。2月18日。2018最初のG1戦である東京ダート1600mのフェブラリーSが行われた日だ。 縁起担ぎもあって、最初のG1戦は何とか推理的中に至りたいと願うのは、毎年感じる大衆の夢である。そして私自身も、まぎれもない大衆の一人に他ならない。だからそれなりに夢を見た。 最終追い切りをいつものようにGCの録画でチェックして、土曜の段階でR.ムーア騎乗のゴールドドリームの軸は決めていた。相手を先行馬にするか、後ろからの差し馬にするかは、今回の重要なテーマで悩んだが、騎手心理として、これだけ先行馬が揃えば逆に相手の出方を牽制し合って、さほどハイペースにはならないのではないかと、そう判断したのだが・・・。 こんな見極めを、徹底的に砕いたのが、馬の気配を察して騎乗する横山典弘ニシケンモノノフの逃亡だった。それに福永祐一ケイティブレーブも古川吉洋テイエムジンソクも石橋脩ノボバカラも引くに引けずに絡んで行き、結局は、ダート戦ながら前半3F34秒1のまごうことなきハイペースとなってしまったのである。 直線での差し馬台頭はもはや間違いなかった。せめて戸崎圭太サンライズノヴァに最後の願いを賭けたが唯一の4歳馬でまだ古馬の牙城は崩しきれずに4着が精一杯だった。ムーア・ゴールドドリームは安全策をとった印象で、直線早めに追い出して馬群を抜けたためにゴール前で内田博幸ノンコノユメに差し切られてしまって2着だった。 先行馬がぎりぎりの牽制をし合って、ゴール前での熾烈な攻防を見せ合うと読んで、ゴールドドリームから、テイエムジンソク、サンライズノヴァ、穴ならノボバカラと3頭を選んだ私の推理は、結局、スタート直後から横山典弘ニシケンモノノフに打ち砕かれたと言うことである。ノンコノユメは、雪の影響で馬場が締まってやはりハイペースだった根岸Sに続いて、2匹目のドジョウをつかんだ様に幸運だったということだろう。 でも私も、しぶとかった。この日の朝、研究ニュースでたまたま小倉記念大賞典(小倉・芝1800m)の出馬表を見て、おおこのメンバーなら川田将雅トリオンフの軸は固いと、トリオンフからヤマカツライデン、ウィンガナドル、調教師定年引退を控える小島太厩舎のストレンジクウォーク、

バリウムを飲んできた~胃の検査

昨日は午後3時頃に早い夕食をとり、その後はコーヒーやプーアール茶や日本茶などの水分補給だけで過ごした。日が変わる頃からは、その水分補給も中止した。 と言うのは、朝10時からバリウムを飲んでの胃の検査の日だったからだ。ちょっと気がかりな胃の不調を主治医に訴えたところ、即検査の予約となり、今日がその日だった。 胃カメラも勧められたが、以前に体験した喉からの胃カメラが、私には、オエッ!オエッ!と冷や汗をかきながらのけ反るような苦痛があったこともあり、とりあえずはバリウム検査にとお願いした次第。 約束の時間に検査が始まった。術着に着替えて、その昔駄菓子屋にあったラムネ菓子のような口の中でシュワシュワッと膨張する粉を含み、それを白い液体で飲み込んでから、次に同じく白いとろっとしたバリウムを飲む。 そして自在に回転する検査台に横になる。指示された通りに右に向いたり左に向いたりするのだが、検査台の上は固くて、あばら骨が1本無い私には、結構しんどい作業だった。途中で、胃酸が多いとバリウムが胃の粘膜に漆喰の壁のようにはきれいに張り付かず、そんな場合には肩に即効性のある筋肉注射がうたれるが、私もうたれてしまった。痛ッ‼ クリアな画像を撮るためには、と何とか身体を右左に動かして、その後15分ほどで終了。思わずホッとした。 ほどなく主治医の診察室に呼ばれて、撮ったばかりの画像を見ながらの診断。主治医は新潟大学出身の元々は胃が専門の内科医だ。何となく眼がいつもより光っている感じ。 ひと通りの画像チェックが終わって、最初の一言。「潰瘍の跡も、癌らしきものもありませんね」 でも主治医の専門分野を考えると、ありませんねと言い終えた後に「残念・・あったらちゃんと治してあげたのに・・」という言葉のニュアンスを感じたのだが、それは杞憂というものだろうか・・? 帰宅して、1日振りの食事をとりながら、ついでにとばかりにウィスキーをショットグラスで3杯。ちょっとばかり検査の結果を心配して、気を使っていた気疲れを回復しようと、そのまま転寝をして、ついさっき起きたばかりだ。 まあ、こんな日があるのも生きている証なのだろう。

送られてきた彫り駒たち

先月の半ば、ある方から、どうしてもいい彫り駒を見たいというメールでの依頼があり、困った私は以前からの知り合いにお願いして所有されている駒を送ってもらった。 メールでの問い合わせはその後にも別の方からもあり、最近はどうも世の中の彫り駒への関心が高まっているようだ。これもある種の藤井効果の影響なのかも知れない。彼の修行駒は、竹風作の彫り駒だ。 数組の駒が送られてきたのだが、写真の2組がまだ送り返さずに手元にある。1組は縦筋のはっきりとした赤荒柾の錦旗。もう1組は薩摩黄楊古木の大胆な深彫りの彫り駒である。 今朝たまたまじっくりと見直してみたが、作り手の意欲がはっきりと刻まれて、味のある作品になっている。共に特注の駒であるからだろう。 どうせなら、どちらか1組は可能なら私自身が入手したいくらいなのだが、果たしてどうなることやら・・・・。

月日の流れは

 年末、有馬記念の日に風邪の症状に襲われ、そのまま年明けても、何となくだるくて気分的には不調の2018年のオープニングとなってしまっていたが、そんなときほどいろんなことが身の回りに沸き起こってくるものだ。 早朝にはマイナス6~8度の気温となった大寒波。パソコンの新たな設定調整、拙文をご覧になった方々からのメール依頼への協力、雪掻き、車のオイル交換、医者通いなどの身辺雑事・・・。そう言えば、オールドパーを1本プレゼントしてくださった方もいたし、1組の眼鏡のレンズ交換で、ちょっとした店側の不手際があって、結局何と2組のレンズ交換が実現してしまった嘘のような本当の話もある。 あっという間に1ヵ月が過ぎようとしているが、結局は寒さに負けて、自分自身の為すべきことはつい後回しで、重ったるい気分はまだ晴れてはいないが、それでも日々暗闇が訪れるのが遅くなってくるのを感じると、何故か安堵感を抱けるから不思議だ。 いったい何をしているのかという自問自答は毎日のことだが、なるようになるさと居直るのも毎日のことだ。 ああ、早く暖かくなれと祈っても、春3月の前には、まだ厳寒の2月がある。 さてさてどうなることやらと、今日もショットグラスでウィスキーをゴクンと飲み干すのみ。 ほろ酔い気分で思うのは、もしこの世に、あなたの未来を目一杯に股間を晒して開示するストリップ小屋があったなら、一度は行ってみたいものだということだ・・・。

囲碁将棋チャンネルと将棋連盟HP

最近TV画面で見るのは、スカイパーフェクトTVの2つのチャンネルだけのことが多い。 民放TVなど、ああでもないこうでもないと相撲界の話や半島関連の話を聴き疲れてしまっているからだ。 だから結局は、GC(グリーンチャンネル)と囲碁将棋チャンネルを眺めてしまうのだ。深夜に、ベッドの中で布団にくるまりながら、竜星戦や銀河戦の再放送をかけっ放しにして、そのまま眠ってしまうこともあり、家族からは怒られている。いや、もう諦められているのだろうか。 その放送の中で、例えば将棋には「めざせプロ棋士」という番組がある。棋士になるための最終関門となる奨励会3段リーグの対局を解説付きで見られるのだ。 何度も見ていると、だんだん判ってくる。3段ともなると、ほぼ全ての戦型(相掛り、横歩取り、角換わり、矢倉、各種振り飛車等々)を身体で理解してみなが勝負に挑んでいる。 半期に2名がプロになることを許される現場で、そんな彼らが、最終最後に何を試されているのかと思うと、実に興味深い。 あるとき、ふと思った。最終段階にある彼らは、最後の関所で将棋の強さだけを試されているのだろうか?と。 すぐさま私は「いや、たぶんそうじゃない」と、否定した。 確かに強さや切れ味は、必要条件である。日々精進して積み重ねて来たものの集大成が強さだとすれば、3段ともなれば強さの発揮は当然だろう。 しかし強い彼らが最後に試されるのは、そのことだけじゃないのではないか?半年に2名がプロ棋士として選ばれるシステムを考えれば、最終関門を何とか通過した若い彼らが、それからの10年20年30年を棋士として日々戦い抜くだけの「勝負師としての粘り」 「勝負師として生きるための粘着力」あるいは「棋士であるための覚悟」といったようなものを、おそらく最後に問われているのではないだろうか?強さだけではない粘りの心が、棋士となるための十分条件で、それらを合わせなければ、プロ棋士は誕生しないのだろう。 どんなジャンルでも勝負師たるものの勝負強さとは、技術と素質に裏付けられた切れ味と、簡単には諦めない忍耐の粘り強さであることは理解できる。 石の上にも3年というが、粘りの人生の中で、ある瞬間に閃いて最善手となる妙手を見つけることは多いものだ。生き抜くということはそういうものなのだろう。 そんなこんなを、TV画

初仕事・水替え  金魚を飼おう⑰~ランチュウの成長・1年と6か月

今朝、どういうわけか気温が上がっていた。雨上がりの朝で南の温かな風が吹き込んできていたのかも知れない。 で、これ幸いとランチュウたちの水替えをした。 これが体を使った今年の初仕事。もう慣れたもので、15分ほどで完了。 頭を使った作業は、東西の金杯(中山・芝2000m、京都・芝1600m)から、中山のフェアリーS(芝・牝馬1600m)、京都のシンザン記念(芝・1600m)で動き出していた。まだ鼻詰まりが残っているから休み休みの状態だったが・・・。 結果は、中山金杯は横山典ダイワキャグニーを軸にして惨敗、京都金杯は軸にした幸レッドアンシェルが3着で相手に狙った武豊ブラックムーンが勝ち、浜中クルーガーが2着で縦目を食らって暗い年明けとなったが、翌日曜日の昼過ぎに買っておいたフェアリーSが軸にした戸崎プリモシーンと相手馬太宰スカーレットカラーで決まり的中。結果は夕方に知ってひと安心。3日開催の最終日の昨日は、中山カーバンクルS(芝・1200m)を横山典ナックビーナスと大野ペイシャフェリシタの結果に満足したものの、シンザン記念は軸にした戸崎アーモンドアイは完勝だったが、相手に狙った浜中カシアスが粘り切れず3着になって、膨らんだ気持ちも萎んでしまった。しかし何と言ってもフェアリーSの馬連が30倍を超えていたので、不満はなかったのだが・・・。 最近の流れが少しばかりいい方向に向かっている理由は、私なりに判っている。GCで見る最終追い切りの気配の見分け方が、思い込みではなくより冷静になっていることと、JRAの改訂された式別オッズ投票が私には便利なものとなってくれたからだ。これまで細かなオッズを見ないことも多かったが、オッズを見ながら投票すると最後の瞬間にもうひとつ冷静になれるのである。まあ、それでも勝負事だから縦目も、1着3着も、不利なアクシデントも起こるのだが、それでもまるで見せ場もない馬を応援することは明らかに少なくなっている。 ともあれ、今朝は可愛がっているランチュウたちの水替えの話だ。 少しづつだが確実に大きくなっている。病気もせずに順調で、気がつけばもう1年と6か月目に突入した。簡便な原始的な飼育方法で、水替えのときににがり成分の入った塩をひと握り混ぜてやるだけの管理だが、どうやらそれがかえって良いらしい。 餌は1

2018 正月~謹賀新年

2018 戌年  新年明けましておめでとうございます。 思えば昨年末は、私にとって躓きがちな流れでした。 風邪の症状に見舞われる中、決意してキタサンブラックを外した有馬記念。4日後のJRA2017最後のG1戦となった2歳馬たちの「ホープフルS」は、ビシッと追われた武豊ジャンダルム(ビリーブの産駒です)を軸にして、内からタイムフライヤー、ルーカス、フラットレー、ステイフーリッシュ、ナスノシンフォニーに流して何とか馬連が的中しましたが、その翌29日、東京大賞典は、返し馬を見てから投票と決めたはいいのですが、久々に旧タイプの投票ページに戸惑って、何と締め切り時間に間に合いませんでした。コパノリッキーからサウンドトゥルーを含めて3点と決めていたので残念でした。HPが改装されて、最近はその式別オッズ投票に慣れきっていたので、とまどってしまったのが真相です。 まだ鼻のグズツキは残っていて、本当に変な2017年の終わり方となってしまいました。 しかし新しい式別オッズ投票は、私には合っているようで、明らかに推理が「近未来の予言」となりつつあります。(と胸を張っています・・・苦笑)2018は、何かとてつもないことが起きるのではないかと妄想を高めているのですが、さてどうなりますことやら。 この筆先を鈍らせないための文章修行のブログも、遂に足掛け8年目に突入しました。収入などは何も求めておりませんので、ただひたすら自分のペースで、敢えて言うなら、思うがままに我儘な修行をさせて頂いております。 念頭にもう少しだけ献身的に続けようかと決めました。引き続き皆々様の応援をよろしくお願い申し上げます。                                鶴木 遵