12月23日は、朝3時半のまだ真っ暗で冷え切った時間に眼を覚ました。
今日は、まだ28日にホープフルSが残っているとは言え、気分的には2018年総決算の有馬記念。
ゆっくりと競馬新聞を読み尽くし、最終追い切りもVTRで再確認して、その後に朝風呂で身体を温めながらまるで若い修行僧のように精神統一をして、朝8時半のレッドアローに乗ろうと決めていた。その通り予定の時間に起きられたのだ。好きなことなら、人は勤勉になれるものだ。
改めてこの1年を思い起こせば、アーモンドアイのレース出走に象徴されるように、競走馬の使い方がこれまでの競馬常識を覆すような事態が巻き起こっているような印象がある。巨大グループが運営する自らの馬たちの育成場(自らのための外厩と言ってもいいだろう)の方法論が、大きく変わりつつあるのではないかと思えてならなかったのである。
例えばシンザン記念から直行して桜花賞を勝つ、オークスから直行して秋華賞も勝つ、牝馬三冠を決め打った秋華賞からJCに出走してレコードタイムで堂々と勝つ。そんなローテンションを敢えて狙って選択して結果を出し切った馬など、私の知る限りの競馬においては過去にはいなかった。
この有馬記念にも常識破りの3歳馬が1頭出走していた。ブラストワンピース。3連勝で毎日杯を勝ち上がって、皐月賞は回避。ダービーはワグネリアンの5着。その後、何と9月初めの新潟記念を圧勝して、そのまま菊花賞に出走して4着。そしてこの有馬記念に挑戦してきたのだ。
こんなローテーションの馬にも過去には出会ったことはない。過去に有馬記念で好成績を収めた3歳馬たちは、どの馬もほぼ3冠レースで結果を出し、その勢いで古馬を破って来ていた。言わば、3冠レースでの実績が必須条件だったのである。
いろいろと考えをめぐらした結果、(馬券下手な)私は、この有馬記念ではブラストワンピースは買わないと決めた。もしこの馬が勝ち負けのレースをしたなら、競走馬の調教は東西のトレセンでのものより、もはや外厩として機能している巨大グループの育成場の方が、科学的にも、あるいは技術的にも進んでしまっていると考えるしかないとまで思ったのだ。さらに言えば、トレセンの現場はプロの威信を持って、自らが調教した馬を出走させてくるのではないかと信頼しようとしたのである。
そう思うと、結論は簡単だった。この馬はどんな馬と問われて、古馬になっても答えのない無個性な馬を外し、力の衰えを示し始めている馬(多くの場合、精神的なものよりどこか脚元に原因があることが多い。でもそれを関係者はほぼ絶対に公言することはない)を外し、自らのステージ以上に過剰な人気馬も外し、ビッグレースで勝負に絡まない独りだけの競馬で入着しているような馬を外すと、私には、この有馬記念ではキセキとレイデオロしかないと、薄暗い早朝の寒さの中で結論したのだった。
ひとつだけ不安だったのは、1枠から8枠まで、どうも好位2・3番手ほどに先行したい馬たちが多くいるようで、JCのような逃げがあっさりと実現できるか否かが、どうにも判断できなかったことだった。でも、それは何とか騎手川田将雅が手腕を発揮してくれるだろうと信じるしかない。
8時半のレッドアローで、いつもは眠れないのについウトウトと眠ってしまったが、無事所沢で下車して、乗り換えて1駅の秋津に向かい、そこからJR新秋津まで5分ほど歩いて武蔵野線に乗る。新秋津から船橋法典までおよそ1時間。田舎周りなので、ずっと座って行けるのがいい。
11時前には、「優駿」の部屋に着いた。この来賓ルームは4つのテーブル席が配置されていて、各テーブル席には、それぞれの来賓者たちが座っていた。部屋に着いて一息ついた頃に、「いやぁ、オジュウチヨウさんさんがいなくても中山大障害は面白かったですねぇ。でも軸にしたアップトゥデイトは落馬でしたけど・・」などと元気に会話をしていたら、ちょっと小声で注意されてしまった。何とこの部屋の別テーブルは、そのアップトゥデイトの生産者で今日はクリンチャーを出走させるオーナー関係者と、もう一つはモズカッチャンのオーナー関係者の席だったのである。まあ、それならと、私は「競馬を語る自由を我らに」とか野暮なことは言わずに話題を変えた。
愛馬を応援したい関係者の気持ちは理解できたからだ。(ああ、それなのにこの席の常連であるY老人が、有馬記念のパドックを見ながら「クリンチャーはあんまりよく見えないなぁ」などと大きな声で呟いたときには、思わず吹いてしまったのだが・・・)
9Rの頃から霧雨が馬場を見舞うようになった。ゴンドラ席からも場内に傘が広がるのが判った。何となく水分を吸った芝が少しずつ馬場を重くしていくようで、嫌な気がしてならなかった。果たして15時25分に馬場はどうなっているのだろうか?
この日、それまで人付き合いで「買ってる?」と訊かれたときだけ「じゃあ、ちょっと買ってみようか」とほんの少しだけおつき合いして本番を待っていた私だったが、10R を迎えたとき、ふと田中勝春シャインヴィットゥに眼が行って、「乗り馬が少なくなっている今年の成績じゃぁ、年も越せないぞ!!」っと思い、応援がてらここからスピールアスールとビックリシタナモーに馬単と馬連を購入。何と人気薄の田中勝春が勝ち、2着は大野スピールアスール。馬単は万馬券で、馬連も42倍ほどの配当となって、こちらが本当のびっくりしたなもうとなった。
そのプラス分を、これ幸いと全て有馬記念に投入。負けはないから大胆に。それが不幸の始まり・・・。
スタート直後から、川田キセキが第4コーナーまでの先頭に立つまでが、おそらく有馬記念の最大の勝負処だったのだろう。1周目の4コーナー、武豊オジュウチヨウサンを交わして、この秋の定位置を確保する瞬間までにキセキは気負い立ってしまった。微妙に重い馬場が影響したとも言えるし、好位を確保しようとした他馬の動きも楽にはさせないものだったろう。
結果、キセキはかかり気味に逃げる状態に追い込まれてしまっていた。
バックストレッチの川田キセキの状況を見れば、これではゴール前に脚色がたれてしまうと思わざるを得なかった。それでも、差し当たりキセキを信じようとした私は、何とか有利とは言えない状況を耐えきるキセキの奇跡を信じようとしたのだが・・・。
坂を上がるまで川田キセキは耐えていた。しかしその瞬間に、池添ブラストワンピースが差し、その外からルメール・レイデオロが交わそうとした。ゴール直前には、ボウマン・シュヴァルグランとマーフィー・ミッキーロケットもが耐えようとするキセキを交わしていた。
勝者は池添ブラストワンピース。半馬身差の2着はルメール・レイデオロ。それが有馬記念の決着だった。
全てのプラスを吐き出したが、マイナスは自宅から中山までの交通費だけで済んだ私は、とりわけ被害者風を演じる訳でもなく、いつものメンバーと共に法華経寺の茶店に向かった。
今日は、茶店のおでんと、特製にして貰ったお椀のうどんが美味しく、皆元気に酒も進んで和気藹々の宴となった。2時間後、下総中山から西船橋に戻り、朝と同じくローカル武蔵野線に乗って秋津に戻り、所沢からレッドアローで自宅に戻った。
競馬場に出かけるというのは、疲れるまで歩くということでもある。久々に10Km以上は歩いただろう。右脚の動きに難があるためか疲労感はなかなかほぐれず、深夜まで眠れなかった。だから今日(24日)は昼過ぎまで寝ていた。
起きたとき、最初に思ったのは、まだ28日のホープフルSと29日の大井・東京大賞典があるということだった。やはりと言うか、いや、もはやどうしようもない度し難い奴なのか、あるいはどうしようもなく逞しい奴なのか、それは本人にも判らぬが、そんな私自身を私は愛したいと思っている。
東西トレセンの現調教師よりも、今はもう外厩育成場の場長の方が、実は競走馬を理解しているかも知れぬという懐疑が芽生えた2018有馬記念だった。
改めてその凄さを10年に渡って取材し続けた伊藤雄二元調教師の信念ある姿が、懐かしく思えたのでもあった・・・。
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