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山暮らしの日々

春の盛りを迎えて、山暮らしの風景もいっきに変化(ヘンゲ)してきた。

外の池にカエルが卵を産み落とすことに始まり、花々が勢いをつけて咲き誇り始め、今はソメイヨシノが満開を過ぎてそよ風が吹くとチラチラと桜吹雪を見せ始めている。すでに夏日の気温と天気予報士が言っているが、山の中では猫もうたた寝するのどかさだ。

山の暮らしもずいぶんと長くなった。脊髄の大きな手術を経て、何とか社会復帰を目指そうとしてからだからそうなるのだが、体感時間としてはアッという間だった。

山暮らしの中で唯一発見したこと。それは、花も虫も鳥も獣たちも、両生類や爬虫類たちも、日々生き抜くだけの栄養を食らい、それ以上は求めず腹八分を知り、あとは何かに憑りつかれた様に交配や生殖を繰り返して、その一生を終えていくのだということである。

見守っていると、地球上で生きるという行為は、それに尽きるのだ。ただ人間だけが、強い物欲に見舞われて、他人様以上の収穫のストックを確保しようと蠢いている。人間であるということは、道具を使える知性やあるいは鍛え方によっては気高い思想などを備えていることよりも、実は限度を知らぬ物欲にこそ、人間らしさが特異に表出されているのであるのだろう。

自然の中の生き物たちは、食らうにしても必要以上の貪欲さを示すことはない。貯め置くストックは持たないし、満たされてさえいれば、蛇とカエルが隣り合わせにいても同存できるのだ。そう言えば、吐くまで飲んで食べ尽くすのも人間であればこそなのではないか?

人間というのは、かくまでも罪深い特異な地球上生物と言えるのかも知れない・・・。

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