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5月, 2019の投稿を表示しています

漆は成長するか?

やる気の起きなかったモヤモヤ感の原因が判ったので、元気回復したついでに4年ほど前に試作して引き出しの中にしまってあった駒を久し振りに取り出してみた。 いやはや、下手くそな私の手になる試作の駒だったはずなのに、いつのまにかそれらしく変化していた。(まあ、書体などは詳しく追及しないでくださいませ‥苦笑) この、それらしくというのが不思議だった。ひょっとして漆というのは、時間の経過とともに成長するのではないかと思ったのだ。しっとりとして味わいも増しているようだった。 とすれば、おそらく盛上げ駒の魅力というのは、出来上がったばかりのものより、ある程度時間が経過して、木地にも風合いが生まれた頃になってようやくその本性を発揮するものであるのかも知れない。 その意味では、彫り駒や彫り埋め駒よりも盛上げ駒は完成期が遅いともいえる。どうやら注文した駒師から届いたその瞬間に、数年後の味わいを想定して駒を眺める大局観こそが、盛上げ駒を評価する本当の審美眼なのだろう。 時間がそれなりに経過した過去の巨匠たちの優れた作品に、思わずドキッと心を高まらせてしまうのは、おそらくそういうことなのだ。 駒字の形、書体のバランス感、盛上げの漆使いの技量が込められてある大御所たちの作品は、時が刻まれた漆の成長と共に、さらに凄味を増す。そう信じる根拠を、どうやら私は下手くそな試作駒から見つけたようである。                                              

近況

ここ1ヶ月余り、ちょっと冥界を彷徨っていた。そんな気がする。 いや別に昏睡状態に見舞われて意識を失っていたと言うようなことではないのだが、私には珍しく、眼の前のあらゆることにポジティブな関心を見失って、3歩どころか5歩も7歩も引いてしまって、まあどうでもいいかと受け身になっていたのだ。 ずっとほのかな弱々しい月明りだけを頼りにして、唯独りで、白く煙がかった薄靄の細い山道を行くあてもなく歩いていた気分。冷え冷えとした道だった。熱くなれなかったのだ。熱が、そう脳内に沸き起こる熱量が、僅か半歩でも前に進む原動力となるはずなのに、この1ヶ月の間、私の体内温度は少しも上がらなかった。 これが鬱なのかと考えてもみたが、仄暗い煙がかった月夜の山道の彷徨いの中でも、これまで過ぎて来た自分自身への自己肯定だけは忘れなかったので、どうやらそうではないらしかった。 で、1ヶ月が過ぎてしまって、今日からは浦島太郎状態で社会復帰(?)。 よくよく振り返ってみると、どうやら机用の椅子の高さ調整が狂っていたらしいことが判明した。原稿やメモやノートを散らばしてもいいように、ずっと幅160㎝の机を使っているのだが、いざ机を前にするといつの間にか左右の肘を机に乗せてもたれかかる動作が癖になっていたようだ。どういう訳か椅子の高さが微妙に変化していて、机に肘を載せて持たれると肘から肩に無理が生じて、特に右肘から右肩にかけてモヤモヤするような痛みが生まれていたらしい。 激しい痛みならすぐに対処もできるのだが、モヤモヤとした痛みの違和感は、ときとして気づかない場合もある。明日になれば治ってしまっているのではないかと自己再生力を信じがちだからだ。 気温が夏日に近くまで上がった昨日、たまたまの偶然で、手元にあった湿布薬を右の二の腕に貼ってみたら、スーッと右肩の違和感が消えて、快適になった次第。そうか、このモヤモヤ感がこの1ヶ月のやる気の停滞を招いていたのだと改めて知らされたのである。ついでに椅子の高さも慎重に調整した。 それにしても人の身体は統一的なバランスによって支えられているものだ。普段は意識してなくてもバランスを崩していると、肉体だけではなく心までもがおかしくなってしまうのだから。そのことを痛切に感じいることになった。 でも、良かった良かった