スキップしてメイン コンテンツに移動

2018 フェブラリーS(東京・ダート1600m)~中山記念まで


ここのところ、ちょっとやぶ用が重なってパソコンの前から離れていた。

で、時間は10日前に遡る。2月18日。2018最初のG1戦である東京ダート1600mのフェブラリーSが行われた日だ。
縁起担ぎもあって、最初のG1戦は何とか推理的中に至りたいと願うのは、毎年感じる大衆の夢である。そして私自身も、まぎれもない大衆の一人に他ならない。だからそれなりに夢を見た。

最終追い切りをいつものようにGCの録画でチェックして、土曜の段階でR.ムーア騎乗のゴールドドリームの軸は決めていた。相手を先行馬にするか、後ろからの差し馬にするかは、今回の重要なテーマで悩んだが、騎手心理として、これだけ先行馬が揃えば逆に相手の出方を牽制し合って、さほどハイペースにはならないのではないかと、そう判断したのだが・・・。

こんな見極めを、徹底的に砕いたのが、馬の気配を察して騎乗する横山典弘ニシケンモノノフの逃亡だった。それに福永祐一ケイティブレーブも古川吉洋テイエムジンソクも石橋脩ノボバカラも引くに引けずに絡んで行き、結局は、ダート戦ながら前半3F34秒1のまごうことなきハイペースとなってしまったのである。

直線での差し馬台頭はもはや間違いなかった。せめて戸崎圭太サンライズノヴァに最後の願いを賭けたが唯一の4歳馬でまだ古馬の牙城は崩しきれずに4着が精一杯だった。ムーア・ゴールドドリームは安全策をとった印象で、直線早めに追い出して馬群を抜けたためにゴール前で内田博幸ノンコノユメに差し切られてしまって2着だった。

先行馬がぎりぎりの牽制をし合って、ゴール前での熾烈な攻防を見せ合うと読んで、ゴールドドリームから、テイエムジンソク、サンライズノヴァ、穴ならノボバカラと3頭を選んだ私の推理は、結局、スタート直後から横山典弘ニシケンモノノフに打ち砕かれたと言うことである。ノンコノユメは、雪の影響で馬場が締まってやはりハイペースだった根岸Sに続いて、2匹目のドジョウをつかんだ様に幸運だったということだろう。

でも私も、しぶとかった。この日の朝、研究ニュースでたまたま小倉記念大賞典(小倉・芝1800m)の出馬表を見て、おおこのメンバーなら川田将雅トリオンフの軸は固いと、トリオンフからヤマカツライデン、ウィンガナドル、調教師定年引退を控える小島太厩舎のストレンジクウォーク、そして大穴なら人気はないが力はあるはずのクインズミラーグロへの馬連を少しばかり買っていたのだ。
先行馬は堂々と4コーナーから差し切ったトリオンフに潰されたが、最後に大外16番枠のクインズミラーグロが追い込んで2着を確保してくれて、馬連は140倍を超えていた。ほんの少しだったが、取り合えずラッキー‼・・・。

この結果を知って、フェブラリーSを観戦していたのである。でも府中の結果は、アンラッキー‼・・・。
それでも、しぶとく次週の中山記念の軍資金はまだ残っていた。こんな大勝ちもないが大負けしないしぶとさが、1月からずっと続いている。続けばそれなりにレースの推理を楽しめるから、それが明日への活力にもなってくるというものだ。

細かな用をこなしながら、次に迎えた2月25日の日曜日。阪急杯(阪神・芝1400m)と伝統の中山記念(中山・芝1800m)の日を迎えた。
いつもの如くGCの最終追い切りの録画で馬の気配を確かめて準備をした。
阪急杯の軸は、ルメール・モズアスコット。この馬からG1馬川田将雅レッドファルクス、池添謙一カラクレナイ、武豊ダイアナヘイロー、福永祐一シュウジへの馬連4点。

ダイアナヘイローを選んだのは、やはり定年制で引退する福島信晴調教師の最後の重賞挑戦だったこともある。元騎手安田富男と同年だった彼と出会ったのは、札幌の市場に近い寿司屋だった。確か厩舎を開業する前年のことだったと思う。田舎のおじさんのような人柄と笑顔が印象的で、同じ年の安田富男との会話を、まだ駆け出しだった私は傍で楽しく聞いていた。そんなことをふと想い出したからだった。
こんなこともあった。1996年の皐月賞のパドック。見終えた私は、たまたま隣り合わせた福島信晴とこんな会話をした。
「いやぁ、ダンディコマンドはいい馬ですねぇ・・。今日はイシノサンデーやロイヤルタッチに敵わなくても、必ず重賞を獲る馬でしょう」
「そうかなぁ・・」と、福島信晴はさりげなくしていたが、村本騎乗で2番手から5着に粘った結果からすると、実はこの日こそ福島信晴には勝負の日だったに違いなかった。今から思えば、秘かに一発勝負に出ようとしていた調教師に対して、ずいぶん生意気な口を叩いてしまったものだと反省している。
その管理馬ダイアナヘイローが、武豊の騎乗で粘り勝ちを収めた。モズアスコットは2着、レッドファルクスは3着。馬連は30倍に近い配当だった。

そして中山記念。
そう言えば、サクラローレル(直前に引退した小島太に代わって横山典弘が騎乗した)、ジェニュイン(松山厩舎・岡部幸雄騎乗)で決まった中山記念も1996年のことだった。2頭のG1馬の組み合わせで馬連は45倍もの配当だった。私には忘れられない中のいい想い出でもある。

相手馬2頭はすぐに決まった。松岡正海ウィンブライトと調教師小島太の最終最後の重賞挑戦となる田中勝春ディサイファ。
軸は、横山典弘アエロリットにするか、デムーロのペルシアンナイトにするか迷った。心情的にはアエロリットだったが、横山典弘に攪乱されたフェブラリーSのトラウマもあり、結局皐月賞2着のマイルCS馬ペルシアンナイトに決めた。(何と愚かな・・・)

中山記念の勝ち馬は、松岡正海ウィンブライト。2着は、坂を上ってゴール前に差し返した横山典弘アエロリットが確保。デムーロ・ペルシアンナイトは5着がやっとだった。

ペルシアンナイトにドゥラメンテのレースをさせてもだめだろう。ウィンブライトは究極の瞬発力勝負になったらまだ脆さが出るだろうから、今後松岡正海がそうはさせないレースに挑んでいけばまだまだ成長するだろう。牝馬アエロリットは確実に牝馬の中距離馬の頂点に向かって成長を遂げている。

そして不肖この私も、しぶとく競馬に食らいついている。このペースを守っていれば、いずれ・・・。そう思うと、また週末の桜花賞トライアル・チューリップ賞や皐月賞トライアル・弥生賞が待ち遠しくなるというものだ。

間違っても難易度の高い馬券に手を出すようなことはなく、己の身の程を知って、ひたすらペースを乱さずにだ。うーん、これも欲があると難しいが・・・。
何とか心しようかと、そう思えるここのところの10日間でした、ハイ・・・・。



コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

チャンピオンは眠らない

  過去に綴った本であっても、それを手にする度に、あの頃の自分に戻ることができる。それは何と幸せなことだろうと、そう思える今日この頃。 想い出が詰まった作品は、時間をも超えられるのだろう。 相当に時間が経ってはいるが、それでも中身は色褪せてはいない。 2冊の拙著を、改めてご紹介する。 「チャンピオンは眠らない」(97年) この本は、私にとって2度目の節目となった単行本である。 「勝者の法則」を経て、ずっと騎手という存在を追い続けて取材をしていたが、この本が刊行されることでひとつの区切りとなった。 第1章は、騎手田原成貴とマヤノトップガンによる97年春天皇賞の物語。当時の最強馬横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの威信を賭けた死闘の裏側を徹底的に検証して探った。(これは2回に分けてJRAの優駿に掲載された) こんなノンフィクションは、おそらくそれまでの競馬には無かったと今でも胸を張れる作品である。 あの頃、ダービー2勝ジョッキー小島太が、調整ルームなどで若手騎手らに語ってくれていたという。 「お前らなあ、鶴木に取材されて、初めて一流ジョッキーなんだぞ!」と。 これは騎手による最大の褒め言葉だったろう。人知れずの努力が報われた気がした記憶がある。 その後、調教師になった田原成貴は、皆さんご存知のようにドラッグの海に溺れて、自身の成し遂げた数々の栄光の足跡を汚してしまったが、少なくとも現役ジョッキー時代は、現代の類稀なる勝負師であったことは間違いない。その評価は今でも変わってはいない。 乗り代わりや、障害騎手の現実、おもろい奴らなど、騎手を取り巻くすべてをこの中の作品で語りきったと思う。 言わば集大成の騎手物語である。 確か終章は、小島太の引退をテーマに、グッバイ太。彼と青春の時間を共にした体験を持つ塩崎利雄が、馬券に関わる2億の借財に追われていた体験まで語ってくれたことは、実に印象的だった。 今でも一読の価値は、充分にあります。古本なら、もう500円以下でしょう。お買い得ですよ。 「チャンピオンは眠らない」を通過して、私は、ついに調教師の世界を描くことを始めた。それが、10年もの間刺激的に続いた「調教師伊藤雄二の確かな目」である。 伊藤雄二調教師とのことは、また次の機会にじっくりと。