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荒野に光を~また届いた3通のメール






冬の初めからずっと、次から次へとまるで誇るかのように花を咲かせ続けていたシクラメンも、気がつけば、どうやら一休みする季節になっています。

この1か月、私自身も季節外れの冬眠生活を送っていました。世の中を見渡せば、いろいろと思うことがあって、そのためかまるで気力が湧き起こらず、無理をしても空しいのでじっと精神的に引きこもっていたのです。(いや、毎週の競馬と囲碁将棋チャンネルは見ていましたが・・・)

そんなとき気力の湧かない私に、3通のメールが届きました。

「流れが変わりました。
新たな潮が身体の周りをうねっています。今日を楽しみましたか?明日はもっと素晴らしいと信じられますか
精進あれ」


今日を楽しみましたか?
明日はもっと素晴らしいと信じられますか

「幸せとは?
心の平穏です。
何かまとわりつく異物感を、削り落とし、削り落として達する無我の境地なのです。
何かにこだわりつつ、同時に無我に達するアンビバランス。そのことを修行というのかも知れません」

そうです。どうでもいい、どうにでもなれと、閉じこもろうとする私自身を、もう一人の私が励まそうと送り届けたメールでした。

自分以外の誰かを頼れば弱みにもなります。でも自分で自分を励ますことができるなら、最高の治療薬ではないでしょうか。

自分を強くするのは、やはり自分しかありません。
かつて病に見舞われて苦しみ、大きな手術を受けなければならなかったとき、この辛さを癒せるのは、他者ではなく自分自身なんだと気づいてから、私はときおりもう一人の私になって、自分自身にメールを届けます。

曖昧模糊とした現実、漠として先の見えないこれからの未来への不安・・・。そんな時代のエアポケットにストーンと放り出された実感するときこそ、もう一人の私のメールは、これまでも私を支えてくれる大きな力となってきました。

さてさて今回のメールの効用は?それは、しばらく後の私自身の在り様が証明するでしょう。

効用があって欲しいと願っています・・・。


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