時間は今月半ばにさかのぼる。
この日の夕刻5時、私は大腸内視鏡検査を迎えた。この夏の初めあたりから、どうにもお腹のコンディションが悪く、ついに主治医から検査を指示されたのだ。「念のため、安心のため」とは理解していたが、やはりそれなりの太さがある内視鏡がお尻から入っていくのだと思うと、何となく心晴れやかにその時を迎える気分にはなれなかった。
だから主治医にはひとつだけお願いをした。
「先生、とにかく腕のいいDrにやっていただけるようにしてください」
主治医は微笑みながら、
「じゃあ○○先生に頼みましょうか。でも予約でいっぱいの忙しい先生だから検査時間は遅くなるかも」
「ぜひその先生でお願いします‼」
検査は3週間後の師走の半ばに決まった。
その日、診察の後、検査室の担当看護師に呼ばれ、前日からの準備を聞いた。まだ3週間先のことだから何の実感もなかったが、いろいろと現在の体調を訊かれ、詳しい内容のペーパーと、箱に入った前日の食事や下剤一式を渡された。
検査前日から、ペーパーの指示通りの食事となった。箱にはインスタント食や飲み物の粉末、ビスケットなどのおやつも入っていた。作っているメーカーはグリコだった。そう言えば、グリコのパック入りカレーはそこそこだったなと想い出して、少しだけ安心した。
朝食は、7分粥にお吸い物。昼食は、豆腐ハンバーグとやはり柔らかな7分粥。午後7時までに済ます夕食は、カボチャのスープのみ。中間に、少量のビスケットとピーチ味とオレンジ味の無果汁の粉末ジュース。固形の肉や魚はないから、肉好きの若者には物足りないだろう。しかし検査までに大腸を空っぽにしておく必要があるから、我慢するしかない。
夜9時にコップ一杯以上の水と共に下剤を飲んだ。この下剤は明日の早朝に効いてくるようだ。
就寝時にアローゼンという整腸剤を、やはりコップ1杯以上の水で飲んだ。
検査当日の朝。6時から2時間以上をかけて、パウチ入りのマグコロールPという下剤を1800ccの水に溶かして飲み続けなければならなかった。微妙に飲みやすい様な味付けがしてあるが、コップに移して200ccづつを飲み続けるのは苦行の作業だった。
しかも3~4杯目あたりからは、トイレに駆け込みながらの苦闘となった。私の場合には、1800ccを飲み干して、何とか落ち着くまでに、合計10回はトイレに駆け込んだだろう。それでなくても、この夏から下痢に悩まされてきていたので、余計に苦しまねばならなかった。
前日が、それなりに計算された食事内容だったので、数回目のトイレからはいわゆる水便状態で、水を流して消化器を掃除しているような状況となった。まあ、鮮明な画像を得るためには、そうなることが目的のマグコロールPだから致し方ない。
それから検査までの待機時間が長かった。消化器が空っぽの状態で、フラフラしながら夕方5時の検査を待たねばならない。午後いちの指定時間ならまだ楽だったが、Drの空き時間に駆け込みでお願いした訳で、これは我慢するしかない。
ようやく4時過ぎに車で病院に向かった。水便が漏れてくるのが恐怖的な心配だったが、それはなかった。無事に病院に到着。
定刻の予約時間に検査室に呼ばれ、検査着のパンツに着替えて処置台に乗った。
最初は横向き。このとき軽い麻酔剤かあるいは精神安定剤のような筋肉注射を打たれた。
次に仰向けになり、「ハイ、入り口に薬を塗りますよ」とDrに言われて、消炎鎮痛剤か何かかなと思っているうちに、もう内視鏡は私の体内に突入していた。苦痛や異物感はなかった。その後脚を組むように指示されたが、その方が楽に内視鏡が進んでいくのだろう。
右を向くと、画像が見られた。長年使いこんできた大腸だったが、想像以上にきれいな姿が映し出されていた。技術の進歩は素晴らしい。とにかくくっきりと鮮明な画像だった。
内視鏡は、途中で写真を記録しながらどんどんと進んだ。幸いにして、大きな潰瘍や小さなポリープさえもなかった。途中で1か所ほんのささやかに荒れた潰瘍状態の痕跡と、何故か脂肪の塊があったがDrは「単なる良性の脂肪の塊ですね」と言いながら、最終的に盲腸のあたりまで内視鏡を進めた。ここが盲腸ですと言われたとき、生まれて初めて私は自分の盲腸の地点を確かめた。
それからはスーッと内視鏡を抜かれて、無事検査は終わった。怪しいものは何もなかったようだった。
検査を終えてしばらくして、別室の診察室に呼ばれた。Drは改めて記録した画像を確認しながら説明してくれた。
「ポリープを含めて怪しいものは何もありませんでした」と。
それなりに緊張していたのか、私は、全身に安堵の脱力感を覚えていた。まあ、人並みの人間だから、当然と言えば当然だろう。
でも、そうだとすると私の下痢症状はいったい何が本当の原因なのだろうか?
2月にはバリウム検査で胃を調べて何もなかった。今回大腸を調べて何もなかった。とすれば、心身がへたばっていて、ストレスが亢進しているのだろうか?ストレスに負けるほどの弱々しい己だったのか?あるいは、病んだ脊髄からの神経症状が影響しているのだろうか?
逆にまた原因不明の迷路に嵌まり込んでしまった。全てが明らかなら容易に対処する方策も見つかるのだが、訳も判らぬ原因不明の状態では、暗中模索してこれからも悩み続けなければならない。
おそらく私は、このまま「悩める少年」状態で、残りの余生を送ることになるのだろう。ひょっとしたら、この煉獄で忍耐することが私の生まれ得た役割なのかも知れない。来世を信じる宗教心などは持ち得ないから、それも良しだ。だって、忍耐の中にあっても、笑いたいときには笑い、怒りたいときには怒り、感ずるときには感じられるのだから。
それでいい。それしかない・・・。
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