スキップしてメイン コンテンツに移動

春G1前半戦(高松宮記念~大阪杯~桜花賞~中山GJ~皐月賞)


競馬のスケジュールは、日を追って瞬く間に進んでいく。気が緩んで少しさぼりがちだと、ちょっと前のレースも遠い過去のようになってしまう。
まあ、きちんきちんと書き残さなかった私自身に責任があるのだが・・・。と、ちょっとだけ反省して、記憶をたどって書き留めておこう。そんな作業が、いずれ近い将来、宝物の記録にもなるのだから。

3月25日。高松宮記念。中京・芝1200m。春のスプリンターチャンピオン決定戦だ。
私の中では、デムーロ・レッドファルクスが信頼に足る軸馬で、中心となるという見解に疑いはなかった。いつものように最終追い切りを確認もしたし、前走の阪急杯3着の追い込みも、本番前のトライアルとすれば充分に及第点で、高松宮記念に向けての準備態勢は完璧に整っていると信じた。で、相手に岩田レッツゴードンキ、川田ファインニードル、武豊ダンスディレクターの3頭を選んで、これでOKと信じて疑ってはいなかったのだが・・・。
何故か、レッドファルクスはゲートが開いても、いつものような軽快で迫力のある行き脚を少しも見せなかったのである。レースの絡む気迫を現わさず、今日はないなとスタート直後に諦めざるを得なかった。1着は川田ファインニードル、2着は岩田レッツゴードンキで、縦目を食らってしまった結果となった。
昨年12月に香港参戦して、年明け初戦がおよそ3か月後の阪急杯。となれば、結局はいわゆる2走ボケだったのだろう。そう思うしかない不可解な敗戦だった。


4月1日。大阪杯。阪神・芝2000m。
強い4歳馬を信じれば、ここは先週1番人気を背負って惨敗したデムーロが騎乗するスワーブリチャードを本命にするしかない。相手は、同じ4歳の皐月賞馬川田アルアインに、横山典ミッキースワローだが、趣味で池添ヤマカツエースを加えた。まだ完全復調にない戸崎サトノダイヤモンドをどう見るかに頭が痛かったが、考えすぎるのも面倒になってほんの少しだけ押さえておくことにした。
結果は、デムーロ・スワーブリチャードの危なげない完勝。2着を確保したのが、4頭出しの池江厩舎の人気薄福永ペルシアンナイトだった。他頭数出しの池江厩舎の場合、何となく人気薄のほうが好走する傾向があるんだと、ずっと以前の有馬記念のオーシャンブルーの頃から思っていたが、今回はそんな自分自身の見極めに逆らってしまったという結果だった。うーん、残念無念・・・。
それにしても、完成領域に入ったこれからのスワーブリチャードがどんな路線でさらなる名馬となっていくかということには大いに関心を持たざるを得なかった。2000mでの完勝は、それだけの価値があるパーフェクトな勝利だったと思えたのである。

4月8日。桜花賞。阪神・芝1600m。
2歳牝馬チャンピオン決定戦である阪神JFと桜花賞トライアルチューリップ賞の圧倒的勝利。それを想い出せば出すほど、石橋ラッキーライラックが不動の中心馬であることに疑いを持つことはなかった。18頭の出走馬(結果的にアマルフィコーストは出走取り消しだったが)で、社台グループの生産馬が16頭(ノーザン8、社台6、白老2)を占める社台グループの運動会の様相では、上位独占は間違いなく、相手馬は絞ろうと決めていた。結局川田リリーノーブルを厚めにして、ルメール・アーモンドアイと福永フィニフティを押さえてレースを待った。
1枠1番の石橋ラッキーライラックはスタート直後に周囲の動静を確かめるわずかなロスがあったが、隊列が決まっってからはミスもない桜花賞馬たるべき騎乗を見せはした。しかしもはや勝利かと思われた直線で、アーモンドアイが外から軽々と差し切ったのである。勝ち時計は1分33秒1。余力を残しての桜花賞レコードが刻まれた。ラッキーライラックは生まれた年が悪かったとしか言えない。
そもそもアーモンドアイがこれほどの力を秘めた馬だというジャーナルな報道はあったのだろうか?おそらくなかったのである。私もやや重の馬場で1分37秒1のタイムで差し切ったシンザン記念を見ていたが、そのときはシンザン記念自体が低調なレヴェルのレースだったとしか思えなかった。ただこの桜花賞で相手馬の1頭に選んだのは、牡馬に楽勝した事実に敬意を表しただけだったのである。しかし、この馬は化け物ような強さを秘めていた。これからどんな馬になっていくのか、本当に興味深いものだ。
それにしてもこの決着は、若き内国産種牡馬ロードカナロアとオルフェーブルの1・2着で、新しい時代の風の流れを意識させてくれるものだったことは間違いなかった。そう思えてならない。


4月14日。中山GJ。中山・芝障害4250m。
石神オジュウチョウサンと林アップトゥデイトがいかに闘い合うかだけが焦点の中山グランドジャンプだった。
昨年暮れの中山大障害で、果敢に逃げたアップトゥデイトをゴール前でようやく捕えたオジュウチョウサン。3着以下の馬たちとの着差が、この2頭の卓越した障害馬としての実力を見せつけてもいた。さて今回はどうなるのか?どんな結果になるにせよ、2頭の熾烈な戦いになることだけははっきりとしていた。
スタート直後から林アップトゥデイトが逃げる態勢を整えるまでに多少のロスがあったように思えたが、それも覚悟の上だったろう。特筆すべきは、石神オジュウチョウサンが苦労した中山大障害戦とは違って、絶えずアップトゥデイトを前目でマークする戦術に出たことだった。売られた喧嘩を敢えて相手の土俵で買ってやるという不敵な自信だったのかも知れない。
4分43秒フラットの時間。それは、見る者にはまさに充足したショウタイムでさえあった。石神オジュウチョウサンは、アップトゥデイトが持つ4分46秒6というレコードタイムを3秒6も詰めて、新たにレコードをタイムを築いて危なげなくゴールインした。2着はアップトゥデイト。今最高に障害戦を盛り上げてくれる素晴らしい2頭の姿だった。


4月15日。皐月賞。中山・芝2000m。
前夜からの雨が馬場に残り、緑の芝の下はやや重の状態で、朝に雨は止んでいたが皐月賞は良馬場にはならなかった。
この日、私は中山に向かった。去年覚えたルートで、新秋津から武蔵野線で1時間。船橋法典駅からは中山競馬場への地下道を歩いた。朝9時に家を出て、11時半前に到着。「優駿」の責任担当者が、前任のOさんから新任のYさんに代わったこともあって、今回は初対面なので暮れの有馬記念のような病欠はしたくなかった。幸い、春の眠たい病の傾向はあったが、それ以外は何とか無理をしなければ大丈夫だった。
皐月賞の前の週に、 2歳チャンプで朝日杯、弥生賞を連勝した川田ダノンプレミアムの出走回避が報道され、中心馬が不在するレースとなることだけは明確になっていた。
ダノンプレミアムは、すでに他のすべての出走馬がレースでその動向をマークして意識せざるを得ない存在だった。つまりレースの支配権を確立した馬であったのである。ダノンプレミアムの一挙手一投足に合わせて、他馬はレースに参加していたのだ。
さらに言うなら、この皐月賞で人気になった馬たちは、ダノンプレミアムとの相対関係で2着や3着を確保していた馬であり、自らレースの支配権を確立して、他馬からのマークを吹き飛ばして好成績を挙げてきた馬ではなかった。この点が、皐月賞の重要なポイントだと、私には思えてならなかった。
武蔵野線での1時間の間に、私は自分自身の最終判断を決めた。
「これだけ先行馬が揃うと逆に先行馬へのマークは薄くなるだろう。ステルヴィオやワグネリアンやジャンダルムやタイムフライヤーなどに出走騎手の意識が向かうなら、先行馬は絶好の狙い目となる」

招待の部屋に着いてから、松花堂弁当を頂いて、ゆっくりとしていたが、2分1秒7で決着した9R1000万条件鹿野山特別の3連複を的中させ、今日の皐月賞は2分1秒を切るぐらいのレースだろうなと見極めたついでに、3連複のプラス分を10R 京葉Sの馬連ベストマッチョからダノングッド、テーオーヘリオスの2点につぎ込んでみたら、1着田辺ダノングッド2着内田ベストマッチョで40倍の配当となった。これで皐月賞の軍資金を確保した。
そうなれば、思いの通り先行馬をピックアップすればいい。パドックを見て田辺ジェネラーレウーノと戸崎エポカドーロに国分恭アイトーンに決めてみた。ほかにもケイティクレバー、サンリヴァルと先行馬はいたが、迷ったらキリがないと割り切ってしまった。(この辺が下手なところで、情けない・・・)

もし大外枠の大野ジュンヴァルロの前半戦での健闘踏ん張りがなかったとしたら、より楽に先行できたジェネラーレウーノは2着を確保できたかもしれない。でもそれは結果論だろう。さらに言えば、サンリヴァルを選び取らなかった私自身の愚かさを反省すべきなのだ。まあ、それも含めて競馬なのだから。また明日に期待することにしようか。

この日、いつもの法華経寺の茶店に誘われたのだが、雨上がりの湿度に負けたのか右脚の痺れを感じて、長い歩行に耐えないかもと判断して、辞退した。

船橋法典駅に戻りまた武蔵野線の1時間の旅で新秋津、西武池袋線で所沢からレッドアローに乗り換えて、ノンアルコール状態で帰宅した。的中こそ逃したが、先行馬の競馬を予感して、1着3着馬の組み合わせを持っていたことに何となく充足感を覚えてならなかった。不適中の悔しさよりも、レースの全体像の見極めに曇りがなかったことに奇妙な満足感を得ていたのである。不思議な感覚だったが、行く前と後で、財布の中身が少しも変わらなかったからだろうか?そうか、だとすれば中山競馬場を出るときには、皐月賞にプラス分を全てつぎ込んだと思っていたが、交通費分は浮いていたことになる。なかなかしぶといなあ、この私も・・・。


さて次は春天皇賞を楽しみにしてしばし生きながらえてみようか・・・うん。

コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

チャンピオンは眠らない

  過去に綴った本であっても、それを手にする度に、あの頃の自分に戻ることができる。それは何と幸せなことだろうと、そう思える今日この頃。 想い出が詰まった作品は、時間をも超えられるのだろう。 相当に時間が経ってはいるが、それでも中身は色褪せてはいない。 2冊の拙著を、改めてご紹介する。 「チャンピオンは眠らない」(97年) この本は、私にとって2度目の節目となった単行本である。 「勝者の法則」を経て、ずっと騎手という存在を追い続けて取材をしていたが、この本が刊行されることでひとつの区切りとなった。 第1章は、騎手田原成貴とマヤノトップガンによる97年春天皇賞の物語。当時の最強馬横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの威信を賭けた死闘の裏側を徹底的に検証して探った。(これは2回に分けてJRAの優駿に掲載された) こんなノンフィクションは、おそらくそれまでの競馬には無かったと今でも胸を張れる作品である。 あの頃、ダービー2勝ジョッキー小島太が、調整ルームなどで若手騎手らに語ってくれていたという。 「お前らなあ、鶴木に取材されて、初めて一流ジョッキーなんだぞ!」と。 これは騎手による最大の褒め言葉だったろう。人知れずの努力が報われた気がした記憶がある。 その後、調教師になった田原成貴は、皆さんご存知のようにドラッグの海に溺れて、自身の成し遂げた数々の栄光の足跡を汚してしまったが、少なくとも現役ジョッキー時代は、現代の類稀なる勝負師であったことは間違いない。その評価は今でも変わってはいない。 乗り代わりや、障害騎手の現実、おもろい奴らなど、騎手を取り巻くすべてをこの中の作品で語りきったと思う。 言わば集大成の騎手物語である。 確か終章は、小島太の引退をテーマに、グッバイ太。彼と青春の時間を共にした体験を持つ塩崎利雄が、馬券に関わる2億の借財に追われていた体験まで語ってくれたことは、実に印象的だった。 今でも一読の価値は、充分にあります。古本なら、もう500円以下でしょう。お買い得ですよ。 「チャンピオンは眠らない」を通過して、私は、ついに調教師の世界を描くことを始めた。それが、10年もの間刺激的に続いた「調教師伊藤雄二の確かな目」である。 伊藤雄二調教師とのことは、また次の機会にじっくりと。