先月の秋・天皇賞からも、佳境のG1戦は続いている。
11月上旬には、スローペースを作って岩田クロコスミア(昨年の2着馬)が再び2着に好走したエリザベス女王杯。完璧な騎乗を示したモレイラが跨ったリスグラシューが鮮やかに差し切って、シルバーコレクターの座を返上して初めてのG1制覇を決めた。人馬にとって共にG1初制覇だった。デムーロ・モズカッチャンは好位5番手あたりを進んだものの前半5F61秒4のスローペースが災いして持ち味を発揮できなっかったのか3着確保がやっとだった。
中旬には同じく京都でマイルCS。直線インから伸び切ってきたビュイック騎乗の3歳牡馬ステルヴィオとデムーロ・ペルシアンナイト(昨年の勝ち馬)2頭の接戦となり、ビュイック・ステルヴィオがアタマ差抜け出した。最終追い切りで、絶好調の軽くしなやかな姿を見せつけていたアエロリットは不可解な12着惨敗に終わった。肉を切らせて骨を断つ逃げ先行がアエロリットの特質であるのに、この日手綱を任されたムーアの逃げは、何となく遠慮がちなもので、さすが「世界のムーア」も、実は馬を追っての価値なのではないかと、私は個人的に思わざるを得なかった。軽いスピード馬場である日本の競馬では、逃げ先行には欧州とは別の技量と感覚が要求されるのである。
そして11月25日。例年のように優駿招待のダービールームに向かった。今年3月から「優駿」の実務担当責任者は、前任のOさんから新たにYさんに交代している。Oさんにもいろいろとお世話になったが、現在はYさんにお世話になっている。
14頭の出走馬数に顕著に見られるように、今年のJCは、ほぼ人気サイドで決着するのは間違いなかった。チャンスが僅かでもあると関係者が思うなら、ビッグレースはフルゲートになるはずなのだ。そうならないのなら、人気上位の馬たちの力量は抜けているという評価があるということに他ならない。
最終追い切りをHDで見直しても、アーモンドアイ、スワーブリチャード、キセキ、サトノダイヤモンドの気配は明らかに良いと、私には思えてならなかった。
アーモンドアイの1枠1番が決まって、巷では「まだ揉まれた体験のない3歳牝馬が古馬にもまれたなら」と囁かれもしたが、私自身は14頭の出走馬ならそれも杞憂だと疑いは持たなかった。(でも 出走時間になってあまりにも人気になっていたので、少しばかり邪な欲が沸き起こってくるのを押さえられなくなっていたのも事実である。例えば3連単1着固定を、2着固定か3着固定にした方が配当妙味があるぞなどと・・まあそれは悪魔の囁きだったのだが・・)
スタートして1コーナー。ここで固定した隊列は、そのままほぼ固定したようにホームストレッチ坂上まで続いた。誰も隊列を乱せなかったのである。
先陣を切ってレースの流れを決めたのは川田キセキだった。この秋、川田将雅はキセキと共に毎日王冠、秋・天皇賞と逃げ先行によって活路を開こうとしていた。両レースとも3着だったが、新しいスタイルに挑むキセキ自身の迫力はだんだんと増してきていたのである。前半5F59秒9のペースでキセキは逃げた。その直後の2番手インをルメール・アーモンドアイが進む。そして決まった隊列は崩れず乱れない。
直線坂上でルメール・アーモンドアイがキセキを交わした。そのときデムーロ・スワーブリチャードは3着のポジションを確保していたが、何となくもたついていて伸びようとする気配がみられなかった。同じく弟デムーロの乗るシュバルグランも4番手に追い上げてきたが勢いは似たり寄ったりだった。
結局、行った行ったの決着でキセキとアーモンドアイの着順が入れ替わっただけの単純な結末とさえ思えてならなかった。
スワーブリチャードが3着を確保したのを確かめて、私は電光掲示板の計時タイムを見た。エッと戸惑いを覚えた。改めてゆっくりと数字を眺めた。
2分20秒6。その瞬間に私はヒェーっと大声を上げていた。
次の瞬間に電光掲示板に真っ赤な
[Record]
の文字が浮かび上がった。同時に場内にウォーッという大歓声が響き渡った。
私たちはとんでもないものを見てしまったのだ。とてつもない競馬の現実を前にして、競馬史の証言者となってしまったのである。
1989年のJCで刻まれたホーリックスとオグリキャップの2分22秒6の攻防。それが長くJCのレコードタイムだった。
ようやく2005年のJCでハーツクライを交わしたデットーリ・アルカセットが2分22秒1と0.1秒だけ短縮していた。
両レース共に前半5F58秒の半ばで流れるハイペースのレースだったが、今年のレースは前半5F59秒9のミドルペースで流れ、最後まで緩みなく流れて、しかも上位馬はへこたれる弱みも見せず11秒台のペースをキープし続けていたことになる。そして旧レコードを1秒5(着差にしておよそ10馬身もの差となる)短縮したのだ。
まさに究極の過酷なレースが眼前に繰り広げられ、しかも可憐な3歳牝馬が、化け物のような力量を発揮して鮮やかに、あくまでも鮮やかにあっさりと勝ち抜いたのである。
凄ーぇ‼凄過ぎる・・・。凄いのは判っていたけど、これほどとは・・・・。もはや言葉は要らず、ただただ偉大な才能に畏怖・感嘆するしかなかった。
2018年11月25日。新たなるJCの歴史が刻まれた。アーモンドアイも凄かったが、このレコードタイム誕生の原動力となったキセキの好走も凄かった。最後には手も足も出なかったがスワーブリチャードも健闘した。
7着のローエングリン産駒の地方代表馬ハッピーグリンも初めての2400mでオグリキャップと同タイムの2分22秒2で走り抜いた。地方出身馬オグリキャップと並ぶのは、地方代表馬にとってはひとつの果てぬ夢の実現だろうとさえ思えてならなかった。
その夕刻。すでに暗くなった道をいつものメンバーと共に府中に向かって歩き、予約してあった宴の時を迎えた。
私の心は「いいものを見た」と、妙に騒いで高揚感を覚えていたのだろう。この夜は麦焼酎のロックを少しばかり余分に飲んでしまったが、強力な腹薬を昼間から準備して飲んでいたので、不安はなかった。その通り家に帰り着くまでは腹具合は耐えてくれた。その分だけ、私はJCの余韻に浸れ、何となく幸福感すら持ち得たのである。
ありがとう。可憐な3歳牝馬アーモンドアイ。ありがとう可憐な化け物アーモンドアイ。来年はヨーロッパの名牝エネイブルとの決戦だ ‼
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