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2018 10月 秋華賞~菊花賞~天皇賞

絵:N.アキラ

2018年10月28日。秋・天皇賞を終えて前半戦のG1戦を終えた。
この日はラウンジシート招待もあり、久々に外出。と、変なことを言うのは、この夏どうにも腸の具合が悪く、1日に何度もトイレに駆け込む事態に見舞われていたので、長い時間の外出はできるだけ避けなければならなかったのだ。こんなに長く不調が続くと心配にもなるが、連日の40度超えの気温に身体がついて行けずに今を迎えてしまったということだと考えている。

土曜の夕方から食事もとらず、早起きした朝には数度トイレに行き、出かける前には念のためと正露丸を倍の量を飲み込んで、ついでに同量を長年使いこんだコーチのバッグに詰め込んで9時半のレッドアローに乗った。
そうまでして出かけたいかと言われるかも知れないが、秋・天皇賞だからこそやはり出かけたいのです、ハイ。

10月14日の秋華賞では、ルメール・アーモンドアイが、多少かかる仕草を見せていたものの外からひとまくりで史上5頭目の牝馬三冠を決めた。5頭の牝馬は、河内洋メジロラモーヌ、幸英明スティルインラブ、蛯名正義アパパネ、岩田康誠ジェンティルドンナ(オークスは川田将雅の代打騎乗だった)、それに今回のアーモンドアイである。最後のエリザベス女王杯(当時の秋華賞だった)が2着だった準3冠馬田原成貴マックスビューティをも含めて全部この眼で見てきた。今でもゴールの瞬間は想い出せる。記憶の大きな財産だ。

アーモンドアイから川田ミッキーチャーム(2着)武カンタービレ(3着)池添サラキア(4着)と少し馬体が緩く感じたが敬意を表して北村友ラッキーライラックに流して、ゴールまで安心してレースを見守ったのである。やはり強い馬は強いと思い知らされた結果だった。
それにしても大挙12頭もの社台グループ系の馬たちが出走した中で、ディープインパクト産駒ではあったが三嶋牧場の生産馬2頭が2着と3着を確保したのは褒め称えるべき快挙だったろう。


10月21日の菊花賞。前走1000万条件戦兵庫特別2400mの楽勝圧勝振りを見て軸の穴馬ならこの馬だと決め打ちした私は惨敗だった。アフリカンゴールド(12着)である。最終追い切りでも気配がいいように感じて、ここからデムーロ・エタリオウ、戸崎エポカドーロ、和田タイムフライヤー、大穴ならもしかして距離に耐えられたときの幸カフジバンガードを選んでいた。
ルメール騎乗のフィエールマンにも目線はいったが、7月1日のラジオNIKKEI杯以来のぶっつけ本番というローテーションを認める回路がこれまでの私の競馬経験にはなく、後ろ髪を引かれながら選ばなかった。
しかし結果からすると、今や美浦や栗東トレセンの外厩を担うノーザンファームの天栄や信楽、社台ファームの山元トレセンの調教レヴェルは、私たちの想像以上の力量を見せつけた。簡単に言い切れば、休養放牧中に馬がレースに耐えるだけの調教をも成し遂げてしまっている。わずか30年ほど前には、馬の昼夜放牧がどうのこうのと議論もされている段階だったが、それからの間に育成や調教の理論は革命的な進化を遂げてきたのだ。だからこそだろう。2年近くも休養した馬たちが、あっさりと復帰緒戦で勝ち負けを演じる回数も増えているのだ。ちょっと前には考えられなかったことが起こっているのである。

松若アフリカンゴールドには、今少し覚悟と度胸を持って、積極的に自分の競馬をして欲しかった印象だ。
戸崎エポカドーロには(幸カフジバンガードと同様に)距離適性の限界があったのかも知れない。
デムーロ・エタリオウは有馬記念や来春の平成最後の春天皇賞での活躍を期待しよう。多分その頃には、もう「最強の1勝馬」ではなくなっているだろうから。
ルメール・フィエールマンには、より逞しい肉体を完成させて欲しいものだ。肉体が完成して、嬉々として真っすぐにホームストレッチを駆け抜けたら、あるいはとんでもない馬となる可能性を秘めている。そう思う・・・。


10月28日。秋・天皇賞。
11時半過ぎに西玄関受付からラウンジシートに向かった。顔を合わすのはいつものメンバーだ。
8Rまでは皆さんが悪戦苦闘する姿を見守りながらゆっくりと過ごした。何となく正露丸が効いているような気がして、余りにも空腹感を覚えたので売店で1250円のエビフライ弁当を買って、1/3ほど食べてみたが、何とか大丈夫のようだった。とにかく競馬場にいる間にはアクシデントに見舞われないようにしなければならない。でも腹が減っては戦はできないのも現実なのだ。

8R。1000万条件戦精進湖特別。本番天皇賞と同じ距離のレースである。モレイラ・ブレステイキングが勝ち、逃げた川田ダノンキングダムが2着、3着はデムーロ・ルヴォワールだった。
前半5F62秒6のスローペースで流れ、後半3F33秒3の上りタイムで、2.分00秒.4の決着。逃げた川田将雅の姿が私には印象的で、おそらくこれは本番での予行演習ではないのかと思えてならなかった。
運試しとモレイラから川田、デムーロへの馬連2点を買って、何とか的中。ホッとしたのか腹具合もまた少し良くなったような気がした。
おつき合いで1点買った9Rもモレイラと横山武に期待していたので、これまたオッズは低かったが連続的中。
10Rは見することに決めて、じっと11Rの秋・天皇賞を最終的に総復習しておこうと決めていた。

すでに昨日から私の結論は出ていた。最終追い切りを何度か録画画面でおさらいして、その気配がピーンときた馬たちは、スワーブリチャード、レイデオロ、サングレーザー(夏の札幌記念で秋・天皇賞は通用すると確信さえしていた)、それにキセキと余りにも人気のない宝塚記念馬ミッキーロケットだった。特にスワーブリチャードの最終追い切り時の気配には注目した。

パドックを見終えて、スワーブリチャードからの4点流しの結論を、レイデオロとサングレーザーの3点ボックスにスワーブリチャードからキセキとミッキーロケットへの2点を押さえておこうと決めた。

その間に馬場入場後に騎手を振り落としたダンビュライトが出走除外となり、場内から落胆の声も聞こえてきていた。

大観衆が見守る中、レースはスタートした。

ゲートが開いた瞬間、武豊マカヒキが左に寄れ、その弾みでスワーブリチャードを弾き飛ばし、スワーブリチャードは最後方からのスタートになってしまった。秋・天皇賞2000mを考えると、もはや挽回は有り得ないと思わせる事態に、スワーブリチャードは見舞われてしまったのである。

8Rで予行演習をした川田キセキが先頭に立ってレースを先導した。5番手あたりをルメール・レイデオロが進む。それをじっとマークするようにモレイラ・サングレーザーが行く。和田ミッキーロケットはレイデオロの前に位置取った。

前半5F59秒4の平均ペース。最終最後は瞬発力勝負となるのは間違いない流れとなった。

第4コーナーをデムーロ・スワーブリチャードは後方2番手で廻ったが、その走りにはもはやみなぎる威圧感が失われていた。あの最高潮の最終追い切りは何だったのだろうかと疑問を覚えるような姿をさらけ出していた。

川田キセキはゴール寸前まで粘り抜いたが、上り3F33秒6の速力でルメール・レイデオロが交わし1:56:8のタイムで突き抜け、それをも上回る上り3F33秒4の脚でモレイラ・サングレーザーがゴール寸前でキセキを追い抜いた。インから和田ミッキーロケットが5着に追い上げ、2番手から北村友アルアインが4着に粘った。
スワーブリチャードは、G1馬の中では最低成績の10着に終わった。スタート直後に体当たりを食らわせることになった武豊マカヒキも、結局はそれが仇になったのか見せ場のない7着だった。

3歳の共同通信杯からずっと追い続けているスワーブリチャードのこの日の勝負運の無さはともかく、最後に念のためとボックスにした私は、ハナ差でサングレーザーが2着を確保してくれたおかげもあって、何とかちょいプラの的中にこぎつけることができて、2018秋・天皇賞を終えた。

しかし私自身のこの日のささやかなドラマはまだ終わってはいなかった。

ラウンジシートの周囲はビッグレースを見終えた余韻が深く漂って、騒めいていた。何とか今日の負けがない状況にたどり着いていた私も、話の輪に加わって、こう言ったのである。
「もう今日の流れなら最終レースも外国人ジョッキーの勝ち負けですよ」
5番トワイライトにモレイラ、6番スウィングビートにルメール、13番エタニティワルツにオドノヒューが騎乗していた。私自身はこの最終レースは何の検討もしていなかったし、天皇賞で精魂尽き果ててもいたから、そう言うしかなかった。
で、馬連ボックスを5番6番13番、3連単ボックスも同じく5番6番13番とマークシートに書き込んだつもりだった。3連単のマークをするときふと出馬表の15番に北村友一が騎乗しているなあ、この馬はもう同じ1000万条件戦を勝っている馬だよな・・と一瞬考えたことは覚えている。

知らず知らずの内に私は勝負の神様に導かれていた。そうとしか思えない。
発券機から出てきた馬券は、馬連ボックスは5番6番13番だったが、3連単ボックスは何故か5番6番15番で出てきたのである。
正直、あれれと一瞬思ったが、まあいいかと焦って買い足しもせず、そのまま胸ポケットにしまって、そのまま喫煙席に行って深々と煙を吐き出していた。

出走時刻にラウンジシートに戻り、まるで遠景を眺めるように気を込めることもなくレースを見守った。

ゴール寸前に6番ルメールが抜け出し、5番モレイラが2着を確保した瞬間、外から追いすがって3着に差してきたのは、北村友一だったのである。

哀し過ぎて呆然とすることも、辛過ぎて呆然とすることも人生にはある。でも、何だこりゃ⁉という感覚で呆然とすることがあろうとは、私には初めての感覚だった。

もはや言葉にもならない事態。言葉にならないことは、神様のお導きとしか言えない・・・。

その後は、もう何があっても家に帰るだけだと覚悟を決めて、さらに念のために正露丸を飲み込んで、皆さんと一緒にいつもの三松に行き、ワイワイと宴の時を迎えた。

でも生ビール中生1杯と麦焼酎のロックを少しだけ舐めただけで止めおいたのは、正解だったろう。何とか無事に家には帰り着くことができたからだ。

うーん・・・。変な一日だった。そう思えてならない・・・。

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