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人間の心理学的本能~勝負に生きるということ



そうだったなぁ・・と、思わず懐かしくなってしまった。
4年前の夏に、私はこんなことを考えていたのかと。
で、今日はそんな話題をふたつ再録する。





              <2012 6月 了>
2週間ほど前だったか、日刊現代のある記事に注目した。

それは、追い詰められた逃亡犯の心理的状況、心象風景を、心理学の立場から説くものだった。

心理学によると、
「追い詰められた非常事態では、それに耐えるために物凄いパワーが必要で、脳内には大量のアドレナリンが出る。同時に種族保存本能から異常なほどの性欲が高まるという。常に心を安定させていないと、判断ミスをして命を取られる結果が待っている緊張生活~それは、生きる本能として性欲を高めさせるし、具体的な性行為はストレスを沈静化させる効果を持つ。肉体の密着は、一人ではないという共犯的な一体感が安心感にも繋がる。だから追い詰められた極限状況では、人は激しく求め合うという・・・」

大量のアドレナリンが脳内に出る、絶えず孤独に追い詰められた極限状況ということに、私は関心を持った。

それは、アートを志す者、或いは勝負に生きる者の、心の世界や日常の光景と、全く同じなのではないかと気づいたのである。

考えれば考えるほど、そう思えてきた。

何とか他者から抜きん出なければ、自らの存在価値が得られない競争に、身を置くアーティスト、棋士、騎手、アスリートたち・・

逃亡犯ではない彼らが、満場を埋め尽くす大観衆やTV画面の向こう側で心をときめかしている人々に向かって、自らの存在理由を賭けて行う究極のパフォーマンス。

その場を解放された彼らが、心を安らかにするために、明日の戦いに挑む心を準備するために、ふと肉の温もりを求めたとしても、それは十分に理解できることだ。

そこまで追い詰められて発揮される修羅の勝負や魂のアートだからこそ、人々に感動を呼び起こすのだろう。逆に言えば、そうでないアーティストや勝負師などは、存在価値もないということになる。よそ向きの笑顔の背後には、厳しい現実にさらされる顔があるはずなのだ。それを理解してやることが、良質なファン、良質な観客になることだと思えてならない。

さて、皆さん。何事もない日常で、場当たりに肉の温もりを求めていませんか?それとも肉の温もりを求めることを、どこかに放棄して忘れていたり、どうせオレなんかと諦めたりしていませんか?

私は、最近、残念ながら忘れた振りをしています。必要なことはわかっているのですが、どうにもこうにも自分の体がついてこなくて、忘れた振りをするしかないのです・・ああ、悲しい、哀しい・・。

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