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2016日本ダービー~騎手川田将雅の嬉し泣き

五月晴れ、快晴の東京競馬場。
朝から府中に向かう電車は込み合っていた。その理由は、日本ダービー直前に判った。東京競馬場に集った大観衆は、15:00現在で13万人を超えていたいたのだ。レコードタイムが刻まれ、その上位馬たちが順調に調整されて迎えた日本ダービー。
果たしてどの馬が、王者となって頂点に昇りつめるのかと、心を躍らせて観守りたいる気分が、ファンを競馬場へと誘ったのだろう。
私もその一人だった。

皐月賞の強風の天候、掛かったリオンディーズが作ったハイペースのレコード決着を考慮すれば、まだまだ出走馬の力の序列は定まったとは言えないと、私はずっと考えていた。

レコードタイムの皐月賞馬の誕生は、ハイペースの流れを自らに利したひと追いが生み出したものだとみていたのである。ならば、ハイペースの流れの中でそれでもゴールまで耐えきろうとした馬たちには、まだまだ復権のチャンスがあるのではないかと思えてならなかったのだ。
だから、それなら臆することなく心から応援したくなるような馬に絞ってみようというのが、今日の第83回日本ダービーにおける私自身の最大のテーマだった。

とはいえ、ディープインパクト産駒3頭、キングカメハメハの産駒2頭の皐月賞上位馬5頭の勢力図が大きく変わったなどとは少しも思えなかった。おそらく皐月賞2着馬マカヒキから、リオンディーズ、エアスピネル、サトノダイヤモンド、ディーマジェスティを買えば、馬連馬券は獲れるだろうと予感していた。
しかし、それではつまらない。もっと絞って手厚く仕留めなければ、ダービーに参加する醍醐味はないじゃないか?

そう、妙に強気だったのである。
強気になった理由は単純だった。ここしばらく(と言っても、東京開催になってからのことだが)、何となく閃いて運試しと思って少しだけ購入すると、奇妙にそれが的中するのだ。土曜も、午後からGCを軽い気持ちで眺めていたのだが、9Rの富嶽賞ダート1400mで、ふと閃いてルメール・アナザーバージョンから戸崎ラテラス、関西で頑張っている中谷雄太ケイリンボス、蛯名クワドルーブルに3点馬連で流してみたら、ケイリンボスが勝って2着がアナザーバージョンと決まって77倍。それ以上深入りしなかったからダービー資金ができてしまった。つまりダービーを負けても、マイナスを背負わずに元に戻るだけというある種幸せな状況で、それならと強気になれたのである。流れは悪くはなかった。

「優駿」の部屋に到着したのは昼前。隣に座った血統の山野浩一とときに話しながら、ダービーを待っていたが、ダービーと同じ距離の1000万特別8R青嵐賞のとき、
「ねぇ、鶴木君。ディープ産駒のいない2400mならハーツクライ産駒で決まるんだから」
と、耳元で囁かれ、「それなら乗ってみましょうかね」と、3頭のハーツクライ産駒の馬連ボックスで少々のお付き合い。これも人付き合いだからという軽い気持ちだったが、みごとにハーツクライ産駒が1着から3着までを独占して、馬連は26倍。どうせなら3連単のボックスにしとけば良かったのに、という声まで上がってテーブルは賑やかだった。確かに4万2千円の配当を見れば、そんな声が上がるのも無理からぬことだった。それよりもこのレースの決着タイムが2分25秒1。となれば、ダービーは2分24秒かそれを切るくらいの決着タイムだろうと予測した。ならばアクシデントに見舞われずに折り合えば、私の応援馬は頑張るだろう。そこにマカヒキが襲い掛かってくるはずだ・・・。

パドックを見終えても、私は、狙いを変えなかった。

関係者にはつれない言い方になってしまうが、どう好意的に推理しても、皐月賞馬ディーマジェスティが2冠馬となって、騎手蛯名正義がダービーを制するシーンがイメージできなかった。だからテーブル席では、「勝負事には光と影があるんです。騎手蛯名正義には、ここでもまた頂点の光を逃して、影の中で悔しさにまみれる姿の方がより風情を感じますから」などと、敢えて憎まれ口を叩いていた。
「調教師が狙いはダービーと発言するのは、実際そうであっても、クラシックレースの威厳を冒涜するものでしょう。結果を出して、レースが終わってからなら納得もできますけど・・」つまりは、今日サトノダイヤモンドは応援しないという意志表示だったのだ。

となれば、私の狙いは簡単だった。
マカヒキの破壊力と、感謝を込めて、私に競馬の何たるかを教えてくれ続けた伊藤雄二流儀の後継者笹田厩舎のエアスピネル、そして皐月賞では「らしくない」ミス騎乗だったデムーロ・リオンディーズの復活。この3つのドラマが見たいがために、今日私は、東京競馬場に来たのだ。
立場によっては無理筋に思えるかも知れないが、私は私自身が納得して主張してみたいと譲らなかったのである。良い子の振りで、昨日からコツコツと蓄えた資金を分散させて当てにいくのは、どう考えても好みじゃなかった。

でも、同じテーブルにいた旧知のY爺から「せっかくだから3連単を買っておけば」と声を掛けられ、ならばとY爺に意地を張って、選んだ3頭のボックスに、敢えて3着のところに、最終追い切りのとてもよかった松国厩舎のスマートオーディン、去年の芙蓉Sで注目したプロディガルサンを付け加えた3連単を100円単位で購入し、これが勝負馬券だよと見せ馬券にした。これが良くなかったのかも知れない・・・。浮ついていた証拠と言えるだろうし・・・。

スタートしてから3コーナーまで。
武豊エアスピネルは好位5番手を確保した。川田将雅マカヒキは中団のインに待機。1番枠からスタートした蛯名正義ディーマジェスティは巧みに馬を誘導し、中団のマカヒキのすぐ後ろのやや外にいる。マカヒキの前方にルメール・サトノダイヤモンド。デムーロ・リオンディーズは後方2番手で折り合いに専念しているようだった。しかし、デムーロは、ここ1発の攻撃的なギャンブル騎乗こそが持ち味なのに、その攻撃性が今日は影を潜めて守りに入っているように感じられてならなかった。

4コーナーを廻る。
馬場の5分処を廻ってエアスピネルの気配がいい。これは!!と一瞬心が騒いだ。サトノダイヤモンドはマカヒキよりも前にいた。

残り200m地点。
エアスピネルが先頭に躍り出る。外からサトノダイヤモンドが迫る。この2頭の間隙をついてマカヒキがグーンと伸びてきた。

残り100m辺りでエアスピネルを交わしてマカヒキが先頭に立つ。サトノダイヤモンドが譲らず追いすがる。そこに外からディーマジェスティが伸びてきたが、両馬を交わし切るような勢いはない。

最後は、マカヒキとサトノダイヤモンドのハナ差の攻防となった・・・。

写真判定が掲示された瞬間、場内はワァーッと大歓声が響いた。マカヒキは勝っていた。
このときダートコースにいたマカヒキの馬上で、川田将雅は馬上から大観衆に向かって頭を下げて感謝した。
おそらくゴーグルの奥では、感動の嬉し涙が零れていたようだった。嬉し涙を流せる幸福感が、ダービー制覇の事実を、騎手川田将雅の脳裏に深く深く刻み込んでいっただろう。川田将雅はダービー10回目の騎乗で、晴れて誇り得るダービージョッキーの座に輝くことになった・・・。

府中・三松で恒例の飲み会を終えて帰路に着いたとき、私は、改めて皐月賞上位馬の今日のダービーでの健闘をひとり称えていた。馬券で応援しなかったとしても、競走馬に対する敬意を払う姿勢ぐらいはある。

マカヒキ万歳、サトノダイヤモンド万歳、ディーマジェスティ万歳、エアスピネル万歳、リオンディーズ万歳、そして日本ダービー万歳!
懐具合が元に戻った私自身にも、何故か万歳。まだ安田記念があるじゃないか。だから万歳と、少しだけ自分を励ましながら電車に乗った・・・。





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