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4年前の7月、私は、山から下りて地元の田んぼに行き、豊年エビと出会った。日本のクリオネとの初めての出会いに、何故か心がウキウキしたのを覚えている。
網で数匹すくって、我が宇宙たる水槽に入れてみた。夏の間の短い命だったが、その日が来るまでは元気に水の中で泳いでくれていた。
懐かしい思いも込めて、再掲してみた。




                                  <2012 7月 了>
じっと写真を見てください。

この方たちが、我が日ノ本のクリオネ、豊年エビです。逆さになって、脚を揺り動かすようにして、ゆっくりと我が宇宙を泳ぎます。餌は、植物性プランクトンで、2ヶ月ほど生きて、卵を土に産み付けて一生を終えます。卵は、次の年に田んぼに水が入ると孵るのです。

そうです。この豊年エビは、農薬のない田んぼで生きているのです。ミジンコやオタマジャクシやドジョウやフナを友にして、優雅に田んぼの中を泳いでいるのです。

2日前に、山を降りて田んぼに行くと、多くの豊年エビがいました。

去年、無農薬栽培を売りにしている田んぼに行き、豊年エビを探しましたが一匹もいませんでした。と言うことは、この田んぼは裏で何かの農薬を使っていたのでしょう。

遂に今年、別の田んぼで出会えたのです。

集団で生きていますので、小さな網で簡単に採集できますが、大事なことは、田んぼの土を一緒に水槽に入れてやることです。卵は土に産み付けられて世代交代しますので、来年のために用意してやらねばなりません。

じっと見ていても、豊年エビの姿は飽きないのです。

日ノ本の田んぼは、豊穣で偉大なスペース空間だと思うこの頃です・・・。




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