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私を変えた将棋駒~一乕作安清書彫り駒(2011 10月了)

ふと、こんなことを思った。
  これまでおよそ5年もの間、いろんな文章を書き綴ってきた。
中にはそのまま忘れ去ってしまうのが惜しいものもある。
 ならば、ときおりここに再び残しておくのはどうだろうかと。 
その程度の価値はあるはずだ。
  どうせならそれもやってみようかと決めた。ここしばらくの間の
 私の記録にもなる。お暇な時間にお付き合いくださいませ。
  最初は、初期のものから順に気の向くままに載せていきます。
            


<2011 10月 了>
『思い起こせば、去年の3月、この駒を手に入れるまで、私はとりわけ将棋の駒に関心があった訳ではなかった。
高校生のころ、私が伯父から教えてもらったのは囲碁であり、木谷一門の勢いや故藤沢秀行のセンスに打たれた故もあって、その後もずっと囲碁を嗜みとしていたのだ。
しかし私の脊髄の病の所為で、遅くに生まれた息子が中学に入る前から、息子と将棋を指す楽しみを覚えた。
私自身は囲碁を打ちたかったのだが、息子は囲碁には余り興味を持たず、何故か将棋を指したがった。将棋本を読むことは厭わなかったが、囲碁の本は積んでおくままだった。
ならば将棋を指そうと決めたのだ。あまり人とは接しない山の暮らしだから、相手が息子であっても、とても大事だった。そもそも相手がいなければ、勝負は始まらないからだ。

とりあえず道具が必要だ。最初は、町のリサイクルショップで購入した天童楷書の廉価品を使っていた。それで疑問すら持たなかった。盤もヒバの2寸盤だった。長く親しんだ碁盤や碁石にはこだわりを持ってはいたが、将棋の棋具については、それで十分満足だったのだ。
3年ほど経って、お互いに、何とか人並みに指せるようになったとき、ようやく自然と盤駒に眼が向くようになった。とは言え、何を求めていいのかは少しも判らない。将棋本しか情報はなく、歴史に残る名工の作品など見たこともなかった。見たこともなければ、評価の仕様もない。
すでに盤は、桂の3寸盤に変わっていたが、駒は以前のままだった。

そんな3月のある日、たまたま見たオークションで、一乕作安清書の彫駒と出会ったのである。
今でも何故だか判らないが、とにかくそのとき、これだ!と確信したのだった。これを落として手元に置かねば何も始まらないと。まるで突然に雷に打たれたような、そんな興奮を覚えていた。
駒が手元に届いたとき、私は再び雷に襲われた。それまで道具と思っていた駒が、アーティスティックな作品なのだと思い知らされたのである。一乕がどんな駒師なのかは何も知らなかったが、こんな作品を残した男がいると思うだけで、さらに興奮が高まっていった。
その瞬間から、私は勤勉な駒の勉強家となった。

駒師一乕を調べると、初代大竹竹風や金井静山を知ることになったし、さらには明治以降、天才とか近代駒師の元祖と呼ばれる龍山、さらには奥野一香、そして木村文俊や影水の存在も、いっきに学び覚えていった。いずれも故人となっても名を遺すすばらしい駒作りの名工たちだった。
それ以後、いったい何枚の駒写真を見続けたろうか。

私と息子の将棋盤は、卓上盤ではあったが、この一乕の駒を並べて勝負するために、たちまちのうちに本榧3寸盤に代わった。大きな手術の後遺症もあって、正座は勿論、長い時間じっと座っていられない今の私には最善の選択だったと思う。それでも、その後に脚付き5寸の品のある榧の盤も買ってしまうアホだったが・・

将棋の駒には、駒の芸術的世界が確かにある。だからこそ小さな5角形の黄楊の駒の中に、その存在理由を賭ける男たち。商売を乗り越えて、生き様を露わにして、同時に競争者を駆逐する勢いで駒に自らの存在理由を世に問うて表現に挑む男たちに、私の関心は自然と高まったのだ。

その後、奥野駒も影水の駒も、木村や静山や初代竹風の駒も、実際に手にとって見る幸運な機会を何度も得たが、見れば見るほど、知れば知るほど、駒に表出される創り手の呻きが届いてくるように思えてならなかった。何とかこの駒師の世界を、原稿作品にしたいとまで、実は私の心を高めていたのである。
そんなある日、私は、意を決して一人の現代駒師と出会った・・・。』


この文章を書いてから、もう足掛け5年になる。その間に、駒師や棋具職人に関わる2冊の本を書くことになった。それまで何の縁もなかった世界に突然足を踏み入れることになるのが、どうやら人生の不思議ということなのだろう。
この私を変えた一乕の彫り駒も、今は京都のIさんの手元に移った。Iさんは駒師一乕に惚れ込んだ愛好家で、これもまた縁あって私と巡り合い、Iさんの手元になかった安清書体の彫り駒であったこともあり、所有していただいたのである。
出会いと流れ成り行きは、ときに思いもよらぬ展開となって行くものなのだ。
だから面白いのかも知れない・・・。


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