スキップしてメイン コンテンツに移動

2016 安田記念 オーッ!ロゴタイプ復活!!~東京芝1600m



終わってみれば、行った行ったの決着だったが、G1マイル戦の東京コースのホームストレッチは、さすがに長く感じられて、決して前残りの単純な結末とは思えなかった。

ゴールイン後に、「そうか、前を行った2頭で決まったのか・・」と、ようやく気づいたのだった。

思えば、私の安田記念は、ダービーデイの帰り道から始まっていた。競馬場から大レース後の定例の府中三松での飲み会に向かう途中に、文春の編集者Fから「次は安田記念ですね。良いメンバーが揃うようですよ」と言われ、そう言えばと、古馬マイラー路線の出走馬を思い浮かべて、「そうか。軸は世界のモーリスだし、相手は好きなイスラボニータとロゴタイプなら面白いんだけど・・」と軽口を叩いていたのだ。

ドバイで、おそらくはR.ムーアに全力で走らされてしまっただろうリアルスティールや、前走のトライアル京王杯SCを圧勝してしまったサトノアラジンには、何となく勝負気配のベクトルの下降が感じられて気乗りがしなかったし、何よりもサトノアラジンはその前のダービー卿チャレンジTで、斤量が1Kg重かったロゴタイプに追いつけずに負けていた。ならば、この日やはりダービーを勝てなかった蛯名正義の騎乗するイスラボニータや、田辺裕信の騎乗3戦目となるロゴタイプに食指が動いたのである。

それからの1週間は、その瞬間をただただ待っている身としては長かった。ひたすら静かにじっと時間の過ぎるのを、耐えるように待っていた気がする。

最終追い切りからパドックまでの時間が、特にいつもより長く感じられてならなかった。時間には、正確に刻まれる機械的な時間と、感情や意識が織りなす時間がある。当然、このふたつの時間は、感じ取る側の都合で長くなったり短くなったりするものなのだ。

でも、やがてそのときは来る。

土曜の夜に競馬新聞を買う。私は、「研究ニュース」を選んでいるが、この新聞は以前の「競馬研究」がリニューアルされたものだ。調教欄が見やすくて、私はずっと「競馬研究」の読者だったが、何よりも「競馬研究」はある種独特な知性を発揮している編集で特化していた面があったが、「研究ニュース」になってからは、この独特な要素が極力排除されて、普通の競馬専門紙になってしまっているのが残念に思えてならない。時流に合わせようとすると、予想における予想者の思想哲学も消えてしまうのに・・・。

と、ブツブツ呟いているうちに日曜日。競馬場には行かず、午前中は、居間の水槽を覗いて今年生まれたミナミヌマエビの子供(まだ2mmほどだが髭も目玉も足もちゃんとそれらしい姿でピクピクと跳ねている)を眺めたり、外のメダカに餌をやったりして過ごした。

午後になって机の前に座り、GCを視聴しながら、安田記念の最終チェック。新たに何かを見つけるのではなく、心に決めている結論を、何とか自分に対して正当化するのだ。

10Rハンデ戦1400mの由比ガ浜特別を迎えて出走馬を眺めていると、何となく閃いて気が向いて、4頭の馬を選び出した。メイショウメイゲツ、シルヴァーグレイス、クレアドール、ショウナンライズ。様子見だからと、何とか馬連3点にしたくて導き出した結論は、武豊メイショウメイゲツから馬連3点。しかし・・・。

結果は、ショウナンライズ、シルヴァーグレイスで決まり、ロングショット。クレアドールは4着で、メイショウメイゲツは惨敗だった。アーッ・・・。でも、とりわけ思い入れて買った訳ではないので、これもまた競馬と、すぐに気を取り直して安田記念の私の結論は何も変えなかった。

私にとって、この安田記念の最大の謎は、どの馬が先手を取るのか?ということに尽きた。選んだ3頭は、力通りに走ったならどの馬も好位からスパッと差す馬だった。スパッと差し切るには、ある程度レースが流れて、それでも底力を発揮して伸びてくる必要がある。では、先導役はどの馬なのかと考えると、安田記念の12頭の出走馬の中で、これだ、この馬がペースを創る!という馬がはっきりとはしてこなかった。それだけが不安だった。近走を見ていると、2番手3番手のレースが多かったロゴタイプが、あるいはとも浮かんだが、3・4年前に朝日杯や皐月賞を勝ったときの切れまくった瞬発力を想い出すと、いやまさかと否定せざるを得なかった。

しかし、しかしである。そのロゴタイプが好スタートを決めて先頭に立った武豊ディサイファを外から交わして、スタート直後の200mの間に逃げの体制を築いたのである。

オーッと、心が騒いだ。ロゴタイプ初めての逃亡劇。さてその結末や如何に?

すでにこの時点で、T.ベリー騎乗のモーリスが2番手を確保。ドバイでムーアに栄冠を取られた福永祐一のリアルスティールが外から3番手を進んだ。

前半5F35秒。マイル戦としては平均ペースで、田辺裕信ロゴタイプが逃げる。しかしモーリスから後の馬たちは、折り合いに苦労している馬たちばかりだった。特にT.ベリーの上下動が大きかった。

4コーナー。たまらず蛯名正義イスラボニータが外から先団に並びかけてくる。しかしこの馬は、馬群の中から闘志をむき出しにして伸ばしてやった方がいいタイプなのだが・・・。

インコースを逃げる田辺裕信ロゴタイプは、最短距離を上り33秒9の脚で決めた。最後の坂の辺りの200mでは10秒台の逃亡だった。これでは他馬は追いつけない。皐月賞以来の3年2か月振りの勝利を、ロゴタイプは自身3度目のG1制覇で決めたのである。

あれだけ騎手の上下動の激しかったモーリスが辛うじての貫禄を見せて2着を確保。ハナ差で直前に骨折のC.ルメールから乗り替わった内田博幸フィエロが3着。ダービージョッキー川田将雅のサトノアラジンが4着、結果的に馬群を抜け出すのではなく外から正攻法の競馬をせざるを得なかったイスラボニータは5着だった。

ロゴタイプの3年2か月ぶりの勝因は、今回は騎手田辺裕信の手腕に寄るところが多いだろう。調教師は不満だったらしいが初めて最終追い切りを軽めにしたこと、そしてメンバーを見据えたうえでこれもまた初めて逃げてレースの主導権を確保したこと、それらがおそらく複合的な要因となってロゴタイプ自身の競走馬としての血を再び滾らせたのではないだろうか?気分が乗って血が滾れば、G1戦の2勝馬は、4勝のモーリス以外にはこの馬しかいなかったのである。

モーリスの敗因は、香港遠征から帰って、着地検疫をこなしながら1か月後に安田記念を迎えるという調整過程で、馬が精神的にストレスを抱えていたとしか考えられない。ムーアやモレイラが騎乗したときのレースでの折り合いと、この日の安田記念の折り合いはまるで別の馬のようだった。ベリーの手腕に原因を見るのはおそらく誤りだ。これだけ日本馬が海外遠征をする時代になった今、改めて検疫の方法方策が議論されなければならなくなっているということではないだろうか?

今朝は寝覚めも良く、元気に早起きできた。絞って狙って的中する快感は、たとえ馬連であっても、あるいは少ない額であっても、心地が良いものだ。まあ、よそ様から憎まれないように、めったにないことだからと、言っておこうか。

本当は、ロゴタイプとモーリスとイスラボニータ3頭の3連単ボックスも少々抑えておいたから、いやはや最後の直線の攻防は、実は手に汗握る思いでドキドキしてました。やはりこのドキドキ感が明日への糧となります、ハイ・・・・。




コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

チャンピオンは眠らない

  過去に綴った本であっても、それを手にする度に、あの頃の自分に戻ることができる。それは何と幸せなことだろうと、そう思える今日この頃。 想い出が詰まった作品は、時間をも超えられるのだろう。 相当に時間が経ってはいるが、それでも中身は色褪せてはいない。 2冊の拙著を、改めてご紹介する。 「チャンピオンは眠らない」(97年) この本は、私にとって2度目の節目となった単行本である。 「勝者の法則」を経て、ずっと騎手という存在を追い続けて取材をしていたが、この本が刊行されることでひとつの区切りとなった。 第1章は、騎手田原成貴とマヤノトップガンによる97年春天皇賞の物語。当時の最強馬横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの威信を賭けた死闘の裏側を徹底的に検証して探った。(これは2回に分けてJRAの優駿に掲載された) こんなノンフィクションは、おそらくそれまでの競馬には無かったと今でも胸を張れる作品である。 あの頃、ダービー2勝ジョッキー小島太が、調整ルームなどで若手騎手らに語ってくれていたという。 「お前らなあ、鶴木に取材されて、初めて一流ジョッキーなんだぞ!」と。 これは騎手による最大の褒め言葉だったろう。人知れずの努力が報われた気がした記憶がある。 その後、調教師になった田原成貴は、皆さんご存知のようにドラッグの海に溺れて、自身の成し遂げた数々の栄光の足跡を汚してしまったが、少なくとも現役ジョッキー時代は、現代の類稀なる勝負師であったことは間違いない。その評価は今でも変わってはいない。 乗り代わりや、障害騎手の現実、おもろい奴らなど、騎手を取り巻くすべてをこの中の作品で語りきったと思う。 言わば集大成の騎手物語である。 確か終章は、小島太の引退をテーマに、グッバイ太。彼と青春の時間を共にした体験を持つ塩崎利雄が、馬券に関わる2億の借財に追われていた体験まで語ってくれたことは、実に印象的だった。 今でも一読の価値は、充分にあります。古本なら、もう500円以下でしょう。お買い得ですよ。 「チャンピオンは眠らない」を通過して、私は、ついに調教師の世界を描くことを始めた。それが、10年もの間刺激的に続いた「調教師伊藤雄二の確かな目」である。 伊藤雄二調教師とのことは、また次の機会にじっくりと。