スキップしてメイン コンテンツに移動

経験のメガネ

3年前、こんなことを考えていたことがある。人は、考えて、考えて、失敗を重ねながら成長するものだと、改めて、そう思う今日この頃だ。


<2013 4月 了>
どうも人間というのは、自分自身の経験の眼鏡が離せないものらしい。

若いときは、それでももっと何かがあるかも知れないと、まだ謙虚だが、老いた後はそれはあるいは老醜であり陋習と言えるのかも知れない。

物事は、最初の段階では、習うより慣れよとされる。そのこと自体は素晴らしいことだが、慣れた後に、それを絶対なものとしてそこから先の創意工夫を忘れると、所謂常識のダークサイドに入り込んでしまうことがある。それが恐ろしい。

昔からそれぞれのジャンルで、専門職の言い伝えというものがある。それはそれで参考にすべき含蓄のある言葉なのだが、その言い伝えが生まれた時代背景、その時代の文化水準、科学技術などを無視して絶対視すると、おかしな常識がそのまま語り続けられてしまうのではないだろうか。

例えば、最近、ある盛上げ駒師からいい言葉を聞いた。

「昔から漆は生きていると言われているんです。確かにそうです。だから湿気の多い梅雨の時期や、気温の低い冬場は、盛上げには向かないと言われてきました。やはり気温や湿気のいい春や秋が盛上げ作業にはいいんです。駒師になった頃、私も漆には悩まされましたよ。でも、ある時ふと思い当ったんです。それなら今を春や秋にしてしまえば良いじゃないかと。昔は無理でしたが、現在ならそれが自宅で可能ですからね」

つまり活きた漆のやんちゃに合わせるのではなく、周りの環境を漆のために整えてしまうという発想こそが、常識にとらわれない態度なのである。或いは、漆を使うとは言え、小さな将棋駒だから可能な方法なのかも知れないのだが。

常識には、立ち止まって考えると、常識の不条理が支配していることがあるのだ。多くの人たちが言われるままの常識に疑問を持たず、そういうものかと受け入れている場合が多いし、先人もまた言われたままをさらに言い伝えてしまうことも多い。

確かに新しい工夫というのは、実際にやってみて、成功の証明が必要である。やってみてダメならまた考えを改めて、再度新しい創意工夫に挑めばいい。もしOKなら、大いなる進歩となっていく。何か不都合があるなら、当然もうその兆しが表れていても不思議はないから、結果オーライだったと言える。

私自身が、例えばこんな駒師に魅かれるのも、進取の精神を持って駒創りに挑戦していることが大きい。作品だけでなく、勿体つけずに率直に話すその言葉にも何らかの刺激を受けるからである。勿論、進取の精神をいつも初心に戻って維持し続けていることが条件になるのだが・・・。

世の中には、勿体つけて語ることで自分自身を大きく見せようとする輩がいるが、たいていの場合、そんな勿体つけには裏があるものだ。

これまで、聞き手の立場で、いろいろな人たちに話を聞いて取材をする経験を積んできた。(恥ずかしながら見込み違いもあったことも認めるが・・)これは本物の言葉だと思えたのは、いつも経験の眼鏡で見た眺めを、受け入れながらも絶えず疑い、疑いながらも尊ぶという柔軟な度量のある人たちの言葉だった。その瞬間、彼らは勿体つけた尊大な態度は決して示さなかった。謙虚に、あくまでも謙虚に、自らの場所での自らの思うところを語ってくれたのだった。

そう言えば、明日は2013春・天皇賞。進取の精神に満ち満ちて、今や巨大となった社台グループの代表たちから聞いたこんな言葉も、私には心地良かったものである。

「馬券は買わなきゃ当たらない。種馬は、買って、産駒が生まれて、それが走ってみなけりゃ判らない」
                              社台ファーム代表 吉田照哉

「ボクらはね、馬喰なんです。馬で生きているんです。いい馬がいたら買って、育てて売る。やがては種付けもする。それに尽きます」                    
                              ノーザンファーム代表 吉田勝巳

世界を相手に、日本の馬産業をリードする男たちすらも、少しも勿体つけることなどなかった。とてもシンプルに自らの為すべき役割を語ってくれた。だからこそ躍進を続けているのだ。そう思う・・・。     




コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る