スキップしてメイン コンテンツに移動

2016  何となく気ぜわしい梅雨時の6月に





安田記念を終えてからというもの、何となく気ぜわしい日が続いている。

妙に時間の流れが変わってきたようなのだ。

実は、ダービーを終えた日から、ちょっと自分を具体的に変えようかと、無精ひげをそのまま伸ばしっ放しにしてみた。とりわけ深い理由があった訳ではなく、ただただ気分のままにだった。

2週間も経つと、約1㎝ほどに伸びてきた。イメージとしては、チヤリオ君の火野正平や散歩の高田純次やメジャー3000本安打に挑むイチローのひげだったが、彼らと違って私がやると、どうも精悍な野性味というよりは、笑いの種となってしまうのが、まあ、悔しいと言えば悔しいのだが・・・。それも織り込み済みである。

無精ひげのように見えるが、だんだん伸びてくると、微妙に剃刀を当てて整えてやる必要もあって、結構気を遣う。もみあげから顎にかけての部分や、下唇の下は、鏡を見ながら手を入れるのだ。

ただ先週末に、鼻ひげが唇を動かすたびに、フニャフニャ、モニャモニャと鼻にあたるようになってくすぐったく、我慢できずに剃り落としてしまったから、今は顎ひげだけになっている。顎に手をやって、親指と人差し指でひげをはさむ仕種が癖にもなってきた。

馬子にも衣裳なんて言葉があるが、ひげの装いで、知らぬ間にだんだんと私自身の雰囲気も変わってきたようだ。そうなると私を取り巻く流れも、これまでとは少しづつ変わってきた気がする。日々出会う人たちの対応も、危ない奴かもと見抜かれてか妙に優しく変わってきたし、私自身もひげに合わせて、ゆっくりと話すようにもなった。ほんの少しづつの変化の兆しが、気がつくと大きな変化となっているような気がしてならない。

ひげ伸ばしが続いた最大の理由は、安田記念からのゲン担ぎだったというのが本音だが、いいリズムは保たれているのが不思議だ。
6月11日(土)は、東京競馬場で「本村会」(私たちの間では、狂ってみよう会と囁かれている)で、ダービールーム招待が催されたが、この日は、堅い本命サイドの結果と荒れれば大万馬券という流れと、不思議に外国人騎手の不在もあって、私には変な競馬が続き、帰路定例の飲み会代を含めて散財したが、翌日疲れを取って挑んだマーメイドSを枠連で3点的中(馬連にしなかったのは前日の敗退が原因である)、そこで弾みをつけて本命サイドのエプソムCは、馬連1点で仕留め、原点に戻してホッとした。

その週は、山の生活では必需品の車のよもやまなことを片付け、ついでに気がかりだった車置き場のセメント張りの修理もやってのけ、怠け者なのに面倒だと逃げなかった。そう言えば、途中で蛇様の写真も撮ったし・・・。タウリン3000やマカなどを飲まなくても、実に前向きだった。

これで、後少し予定している原稿書きの作業が進めば、何の不満もないのだが、さすがにそこまでの体力は病んだ体には残ってはいない。でもまあ、やるべきときには、瀬戸際まで追い込んでやり抜く方法は、すでに経験的に解っているので、今はいい流れを見失わないことがもっと大切だと居直っている。

で、先週末。シュウジ本命の函館スプリントSは、ソルヴェイグを軽視して無念だったが、川田将雅ゴールドドリームからストロングバローズと、少しだけピットボスを抑えての2点に馬連で流したユニコーンSは、オッズはともかくきちんとモノにしてマイナスはなかった。ダービー騎手川田将雅は、現在の日本人騎手の中で、考え抜いて1発勝負ができる今となっては希少価値の勝負師的存在の男である。このことは記憶にとどめておいた方がいい。

ともあれ無精ひげから始まったゲン担ぎは今のところ功を奏しているようだ。

多少なりとも自分を具体的に変えてみることは、実は見えてくる景色をも変えることになるのかも知れない。

ほんの少しの景色の変わりが、別の人生を歩み出す契機になるのかも知れない。

とすれば、全てはやはり自分自身に起因することになる。

このことを本当に証明するのは、さしあたり私には、今週末の宝塚記念ということになる。まあ、それも良しとしておこうか。


コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

チャンピオンは眠らない

  過去に綴った本であっても、それを手にする度に、あの頃の自分に戻ることができる。それは何と幸せなことだろうと、そう思える今日この頃。 想い出が詰まった作品は、時間をも超えられるのだろう。 相当に時間が経ってはいるが、それでも中身は色褪せてはいない。 2冊の拙著を、改めてご紹介する。 「チャンピオンは眠らない」(97年) この本は、私にとって2度目の節目となった単行本である。 「勝者の法則」を経て、ずっと騎手という存在を追い続けて取材をしていたが、この本が刊行されることでひとつの区切りとなった。 第1章は、騎手田原成貴とマヤノトップガンによる97年春天皇賞の物語。当時の最強馬横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの威信を賭けた死闘の裏側を徹底的に検証して探った。(これは2回に分けてJRAの優駿に掲載された) こんなノンフィクションは、おそらくそれまでの競馬には無かったと今でも胸を張れる作品である。 あの頃、ダービー2勝ジョッキー小島太が、調整ルームなどで若手騎手らに語ってくれていたという。 「お前らなあ、鶴木に取材されて、初めて一流ジョッキーなんだぞ!」と。 これは騎手による最大の褒め言葉だったろう。人知れずの努力が報われた気がした記憶がある。 その後、調教師になった田原成貴は、皆さんご存知のようにドラッグの海に溺れて、自身の成し遂げた数々の栄光の足跡を汚してしまったが、少なくとも現役ジョッキー時代は、現代の類稀なる勝負師であったことは間違いない。その評価は今でも変わってはいない。 乗り代わりや、障害騎手の現実、おもろい奴らなど、騎手を取り巻くすべてをこの中の作品で語りきったと思う。 言わば集大成の騎手物語である。 確か終章は、小島太の引退をテーマに、グッバイ太。彼と青春の時間を共にした体験を持つ塩崎利雄が、馬券に関わる2億の借財に追われていた体験まで語ってくれたことは、実に印象的だった。 今でも一読の価値は、充分にあります。古本なら、もう500円以下でしょう。お買い得ですよ。 「チャンピオンは眠らない」を通過して、私は、ついに調教師の世界を描くことを始めた。それが、10年もの間刺激的に続いた「調教師伊藤雄二の確かな目」である。 伊藤雄二調教師とのことは、また次の機会にじっくりと。