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ここしばらくの間、もう5年ほどになるだろうか、山に餌が少なくなる晩秋11月から春4月まで、私は山の鳥たちと食パンの関係を結んでいる。最初のきっかけは、ヒヨドリが訴えるように寄ってきて、大きな泣き声でピヨピヨと話しかけられたことに始まった。今では、私が合図の口笛を吹けば、どこやらから飛んでくるようにもなった。つれあいは、1日遅れで半額になった食パンをスーパーマーケットで探してくるのが役目である。贅沢な山の遊びと考えられなくもない。なかなか、そんな戯れはできないからだ。
        

シメ①  <2013 3月 了>           

もう3年続いている。
秋から春までの、山に餌が少なくなっている間、朝夕に2枚づつの食パンを撒いてやることが。

今年の冬は、特に餌が少なかったのか、いつの間にか多くの種類の小鳥たちが集まってくるようになった。

ヒヨドリ以外種類と呼び名が判らなかったので、おはようとか、早く食べなさいとか語りかけるだけで、ずっと気になってはいた。

今朝、思い立って「日本野鳥の会」のHPを開いてみると、さすがだった。図鑑のように鳥たちの写真が並んで整理されていたのである。
さっそく姿形から選んでみた。結構集まって来ているんだと改めて知らされた。

(以下は野鳥の会HPからの写真である)

ヒヨドリヒヨドリ    コガラコガラ   メジロメジロ   ウグイスウグイス   キジバトキジバト  シメシメ

ペアで来る鳥もいるし、まだ独り身なのか、単独で来る鳥もいる。

今のところ競い合って食べてはいるが、餌場の覇権を主張する存在はなく、平和なバランスが保たれている。いいことだ。

ただ最近、鳥たちが賑やかに集っているのを、山のカラスの偵察部隊に気づかれてしまった。昼間、時折一羽が興味深げに偵察している。どうやら口笛の合図に意味あることまで察しているようだ。

たぶん、そこに餌を見つけたらその瞬間にカーカーと大声で仲間に知らせるのだろう。

さてどうするか?

山の片隅の小さな餌場に保たれていた平穏が、山のカラスの侵略部隊によって壊されようとしている。カラスにも生存権はある。しかし人道主義に基づいて餌場を保証しているのは、私なのだ。私は、腹を空かせた一羽のカラスが遠慮がちに空腹を満たすことまでは認めるが、集団的パワーでおいしいとこ取りを企むのは許せない。どんな理屈を振りかざされても、小鳥と私の、ようやく積み上げた蜜月の関係を壊されるのは、望まない。

あれれ、こんな光景は既視感を覚えるな。まるでわが日本とどこやらの国との関係式のようではないか?そう思えてならないのだが・・・はて・・?。

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