東京オリンピックの開催が決定したのも3年前の夏だった。「おもてなし」と「アンダーコントロール」という嘘っぽさで決定を手に入れた所為なのか、ここ3年間は、デザイン盗用疑惑、裏金、聖火台のない競技場設計、どこまで膨らむかも判らぬでたらめ予算、止まらぬ原発被害・・・など挙げたら切りがないいい加減さが浮き彫りになっている。64Tokyo五輪のような挙国一致のオリンピック開催は、もはや夢のまた夢なのかも知れない・・・。
朝早くに起きて、ニュースを見ようとTVのスウィッチを入れたら、ちょうど「TOKYO2020」のカードが示される瞬間だった。
その後のメディアの大騒ぎを見守る気にもなれなかったから、そこでそのままTVをoffにしてしまった・・。
56年振りのオリンピック開催国になったという感慨は特にない。
でも最終的にTOKYOに票を入れたIOC委員の投票理由だけは聞いてみたいと思った。
まさか金で買われた1票ということではないだろう。となれば、彼らは、今の日本に、何を見て、何を期待して、世界の平和の祭典の舞台に選出したのか?正直言って解らない。
49年前の東京オリンピックのときは、戦後復興の証明とか、敗戦国から世界の一員へとか、平和への覚悟とか、当時様々なメッセージが込められてあったと思う。
だが、今回の彼らの選択は、正しく何かを見つめて出したものだったのだろうか?
再び東京大会ということで、狭い国土の中でさらに1極集中が進む現実。世界共有の財産である海に、2年半経ってもなし崩し的に放射能汚染水を垂れ流す厚顔と無責任。それなりの手当てがされているのか、あるいは絶望的な諦めなのか、自ら原発の難民、流浪の民となっても奇妙に保たれた沈黙、東北大震災そのものの復旧もまだまだ先が見えている訳でもない。汚染の広がりは、農や漁の安心をも奪い、将来未来を隠し閉ざしてしまってもいる。いつあなたの町の水や空気が奪われてしまうかも知れない不安感・・・。
7年後には、全てが収束し、安全と安心と、戦争への怖れのない平和なオリンピックが、天下り会社とゼネコンと広告代理店が主導する未来都市東京で開催される幸福感など、今朝の私には、正直言ってなかった。
まあ、祭典などというものは、あらゆる矛盾を包み隠して行われる場合が常なのだということは判っている。7年後が、その意味でも楽しみだと記しておこうか。
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