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世にも不思議な・・・。

3年前のゴールデンウィークには、暇つぶしに、こんなことを考えていたようです。










            <2013 5月 了>
ゴールデンウィークともなると、私の住む地域は、東京近郊から自然に触れたいと願う人たちが集って、人も車も飽和状態になります。出歩く気がしなくなるのです。2・3年前の秋口には、町の公営グランドや市の公園、また民家の庭先にもクマが現われたと騒ぎになりました。民家では外で飼われていた犬が食べられてしまったようです。でも今は春。TVで広大な羊山の芝桜の景色が流れると、やはり人がドッと押し寄せます。たまりません。

で、家にこもって、愛犬と一緒にこんな会話に戯れました・・・。


あるとき、これまで多くの犯人を挙げた名刑事が呟きました。
「オレの決め台詞は、犯人はお前だ!!でも今回の老婆下着泥事件。犯人はオレだ!!焼きが回ったな・・」と。

あるとき、どこか遠くの大陸に、世界で一番高い山があることに気付いた山男がいました。
そして何と登ってしまったのです。見る物、聞く物が、初めてだけに新鮮でした。頂上に到着して、世界で一番高いことを味わって、無事に下山することもできました。自分だけの登山道を切り開いたと思ってしまいました。そうなると、人に黙ってはいられません。多くの人に教えようとしました。やがて興味を持った登山者たちが、我も我もと、その世界一の山に登ろうとしました。
でも、最初に上った山男は、このルートは、オレが最初に切り開いた道なんだ。オレの見つけた登山道を行くなら、お金を払って頂戴と、みんなに言うようになったのです。
何人かは払いましたが、払いたくない人もいました。山はみんなの山だろう、お前の山じゃないと思ったからです。最初はお金になりましたが、いつの間にか、みんなが、それぞれの道を切り開いてしまったのです。そうなったときから、山の道でお金もうけをしようとした山男は、誰からも愛されることなく嫌われて、やがて老醜を晒してどこかに消えて行ったそうです・・・。


アジアのどこかの大国で、世界最高の腕時計の模倣品を作ることに成功した模造犯がいました。いくつも作って大金持ちになりました。するとさすがにアジアの大国です。すぐにそれを真似して作る人たちが現れました。そのとき最初に作った模造犯は言ったそうです。オレのを真似するな。オレはこれの発明者だぞと。真似するなら金払え!模造犯にも権利はあるのでしょうか?・・・。

アジアの外れのどこやらの国での話です。素晴らしい寿司屋がありました。親方の腕前は、シャリと新鮮なネタをそれこそ絶妙な一体感で握り、誰もがおいしいおいしいと褒めてくれました。その評判を聞きつけたブローカーのような銀行マンがあるときやって来て、この腕前をシステム化して、稼ぎましょう。融資は任せてくださいと提案したのです。親方は顔を真っ赤にして怒りました。「オレの仕事は他人にゃできねえ。オレがこの手で作るから、オレの寿司なんじゃねえのかい。おととい来きやがれ!!」親方の物言いには、魂が込められてると、居合わせたお客たちは皆がそう思いました・・・。芸は一代、名は末代です。一流は名を惜しみます。ブローカーなどに身を委ねることはありません。

蔦屋重三郎のような版元に才気を見出される絵師は本物でしょう。偉そうに勿体つけた物言いで自分を飾るブローカーの手先になって満足するのは、所詮本物を知らないそこまでの3流職人なのです。

堂々と看板を掲げられない裏の仕事に精を出すのがブローカーです。

花のパリ。ルーブル美術館で世界の名作と言われる絵画を模写したとある絵描きが得意気に豪語したそうです。
「なあ、いいだろうこの絵は。世界最高の名作だよ。オレ様にしか描けやしねぇ」
その言葉にパリジェンヌたちは冷たく大笑いしたそうです・・・。

落語のような話です。たった今、留守宅で仕事ををした老いたコソ泥が、これから仕事に入ろうとする駆け出しの仲間に言ってのけました。「オイオイ、人様のものを盗んじゃいけませんよ。人間、礼儀を忘れたらケモノ、ノケモノになっちまいますから」

大日本帝都大学名誉教授が、ついに晩年に悟りました。
「もし私から学問を取ったら、ただのジジイだ。さほど学問の業績もないから、ジジイそのものだ」と。

ある著名な二人の実業家がしみじみと言い合ったったそうです。
「もし私から、酒と女と博奕と、もう一つ虚栄心を取ったら、ただの虚業家だ」
「実業とは、娼婦のように国と添い寝して、上手く立ち回ることだ」と。

ある気鋭のジャーナリストが独り言を言いました。
「オレのペン先は、鼻薬を嗅ぐと、どうも鈍るんだよな。でもその方が出世が早いんだ、この国では」と。

ある日、私は心の底をぶちまけました。
「苦労して得るわずかな原稿料より、次の日曜日に馬券を当てたい・・・」


いやいや、世にも不思議な物語。退屈した午後、こんなことを考えていると、日々募るストレスも少しづつ晴れていくようです。
あっ、今愛犬が頬っぺを舐めてくれました。
「ナメンジャねえよ、全くぅ」
                                 終わり。

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