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「あまちゃん」にハマっていた私~2013の夏

3年前の夏、朝のNHK連続ドラマに生まれて初めてハマってしまった。もう何年も前のことのように思えたのだが、振り返ってみるとわずか3年しか経っていなかった。うーん・・・何となく不思議な感じがする。



<2013 8月 了>
ここのところ「あまちゃん」に嵌まっている。宮藤官九郎の脚本が、観る側の心の機微を捉えて面白い。上手いと言っても良い。

6月半ばまでは、それほど真剣に見ていなかったから、もう一つ自分の中で消化吸収できなかった。だからこの夏、1話から25話までを、無料動画で見直してみた。

するとどうだ。実に細かい配慮で、いたるところにドラマの伏線がさりげなく散りばめられているではないか。この作りなら、ゆいちゃん一家の崩壊も、いつでも夢をの橋幸男の登場も、あきちゃんの心の底にある体当たりで乗り越えなければいけなかったコンプレックスも、夏さんの強がりの裏にある寂しさや本当の優しさも、一切が自然と受け入れられるというものだ。一見漫画的な仕上げになってはいるが、その裏には、宮藤官九郎の緻密な計算が溢れていて、良質な連続ドラマとなっている。登場人物が、今ここにいることにも少しも無理はないのだ。

だからこそだろう。登場する役者たちが自分のポジションで安心して演技に戯れていて、それがさらにドラマに彩りを添えている。良い脚本と、良い演技が相乗効果となって、さらにドラマを楽しくさせているのである。役者が面白ければ、もっと面白くしようと演出のテンションだって上がるに決まっている。それがまた脚本をよくする力となる。いい意味の相乗効果に現場は包まれていくのだ。

朝7時半にBSで見終えると、すぐに次が見たくなってしまうのだから、私もクドカンマジックに嵌まってしまっているということなのだろう。1日に2度3度と見直してしまう日さえある。でもそれが心地いい。

山田太一、市川森一、倉本聰、中島丈博ら、それぞれタッチは違っても、彼らは皆それぞれの時代を鋭敏に察知して、良質なドラマを創り、生み出してきた。映像は脚本で決まるとも言われているが、なかなかそんな才能には出会えないものなのだ。大河ドラマだって、出来の悪い脚本なら視聴率は上がらないのは、その歴史が証明しているではないか。

「あまちゃん」の大成功は、逆に考えるなら、作り手にとっては実は怖ろしいことなのかも知れない。何となれば、知らず知らずのうちに視聴者のドラマを楽しむ眼線や感性を底上げしてしまったとも言えるからだ。

そうであって欲しい。視聴者を舐めきったドラマや、役者や、芸人など、もう不必要なお荷物でしかないのだから・・・3文芝居など、嘘に嘘を塗り重ねる政治と東電の中だけでいい・・・。

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