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やはり3年前の夏のこと。春に頂いて、そのままメダカの甕に入れて育てていた蓮の花が、咲いた。水の中でつぼみが育って伸びてきて、プックリと膨らみ切った翌日の朝にである。そして夕方にはまた花は閉じて、朝の訪れに合わせるように再び開いたのだった。面白い花だった・・・。
今も生きていて、毎年花を咲かせてくれている。メダカの餌の残りが蓮の花の養分になっているのだろうか?

   <2013 8月 了>
                        
ふと気がつくと、去年生まれた和金とヒメダカのいる池(と言っても、これは大きな盥に水を溜めた簡易の池なのだが)で蓮の花が咲いていた。見事に咲き誇っている。白い花と赤い花があるようだが、この蓮は白いタイプだったようだ。

確か4月の終わりに、つれあいの知人が市内のお寺から分けていただいたものを、金魚やメダカと物々交換して、鉢に多めの土を足してこの池に置いたのだ。まだ茎が3本ほどで小さかったのだが、それなりに環境が良かったのか、あるいは炎暑の夏の気候が幸いしたのか、順調に育って、花を咲かせたのである。

蓮の花は、仏教では極楽に咲く花とされているようだが、国語辞典を開くと、極楽とは「安楽で心配のない身分や境遇」と記されている。とすれば、迷い惑いながらいまだ現世の荒波に揉まれて生きる私の元では、決して咲いてはいけない花なのに、どういう宿縁か花開いてしまったのだ。

まあ、いずれごくごく小さな幸せを味わえるかも知れない予兆であると、良い方に解釈しておくほかないか・・。

でもそれにしても、いささか優美で、しかし近づいてみればキリッと自己主張している花である。池に植えるときに感じたあの饐えたような泥臭い匂いからは、こんな花が咲くなんて想像がつかなかった。泥の澱みの中から伸びて、清楚に際立った花を開かせることこそが、あるいは極楽ということなのかも知れない。

いずれレンコンはどうするって?食べられませんよ、この花を見た後では・・・。




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