伸ばし始めて現在40日目。アゴにシェイバーを最後にあてたのは、日本ダービーの日の朝だから、確かである。
でも、どうして私がやると、単なる無精髭のレヴェルを超えないのか?それが哀しい・・・。道化者の悲哀をヒシヒシと実感している。
そもそもは、こんな髭に憧れて始めた「精悍さの追求」だったはずなのに・・・。
例えば、マカロニウェスタンのころのC.イーストウッド。
あるいは、今、朝9時からBSでオンエアされている新座頭市の勝新。
いや、こうじゃなきゃいけないのに、現実は厳しい・・・。
まあ、やはり素材が悪いと、いい作品にはならないということの実証例なんだろうが・・・。
それにしてもである。
お化粧で誤魔化すわけにはいかないし、そんなことはそもそも邪道だろうし、あるいはこのままもっと時が刻まれれば、時代の流れに自ずと刻まれた味が生まれてくるかとも考えたが、まさか将棋駒ではあるまいしと、考え直した。
結局は、生きながらえているということは、現実を背負って歩むしかないということなのだから、耐えて耐え抜いて今をしのいで行くしかないのだろう。どうせ私などは、人為的な淘汰の作業の果てに選ばれて生まれて来た訳ではないのだから、選別される以前の素材の悪さは、最初から合点承知の助なのだよ、諸君。
そうか、どうせ変えられない自分がいるのなら、せめて周りの世界を変えてみたらいいのではないか?環境を変えるということは、少しは取り巻く現実を変えるということにもなるのでは?
そうだ、そうなんだと改めて気づき直して、日曜日には1票を投じてみようか。しないより、せめてした方がいいに決まってる。
でもねぇ、髭を見比べて見る度に、それにしてもと心が揺らいでしまうのだが・・・。
いやいや、こんな私だって、それなりに雰囲気のある衣装を着て、少しはそれなりの表情を作り、その上で一流カメラマンに撮影してもらったなら、何とかなるかもと、気を取り直して、もう一度アゴ髭を触って、頷いてみた。
何はともあれ、こんな剽軽とも言える都合のいい明るい思考と、その裏にある道化者の哀しさの同居が、私そのものなのだろう。
そう居直って、日曜日には1票の我儘を貫いてこようかと、そう思うのであります。
何なら、あなたも一緒にどうですか?
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