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秩父夜祭の夜に~徒然なるメモ書きとして

秩父夜祭は、例年12月2日3日に行われる。
私の暮らす山中は、市内ではないし、そもそも余所者なので、地元の大祭とはいえ祭りには部外者なのだ。だからとにかく師走の初めに風邪をひかないように、そのことだけを心掛けているばかりで、祭りの地熱に浮かれることはなく過ごしている。
冷めた観客だが、神様は心広く許容してくれている・・・。これは3年前の祭りの日に書き記したメモだ。

           


           <2013 12月 了>
今宵は、秩父夜祭。
先程からずっと花火の音が、ズドーンズドーンと真っ暗な夜の山に木霊している。
家の和室から、火の花の大輪を眺めることができるのだが、私は机の前にいて、夜空が震える音をBGMに駒磨きなどに戯れている。

祭りの輪に入るために街に降りて行くのは、この師走の時期は風邪を引くのが嫌で、それに例年必ず宵宮か大祭のいずれかの日は雨模様に見舞われることが多く寒いので、残念ながらあまりないのだ。正直に言えば、一度華やかな山車の後について回ったきりである。そもそも取材などで出かけていなかったことも多かったし・・。今年は、珍しく2日間ともいい天気だった。

町は、今宵まつり一色なのだろうが、どうも私自身は祭りを言祝ぐ気分ではないようだ。

大体、駒を磨こうとするときは、私の場合、内なる心のバランスを何とか保とうと思って、敢えて集中してみることが多い。世の中のことは、成るようにしかならぬと判っているが、ままならぬ憂さを何かで晴らしておかねばおかしくなるのも人の心というものである。駒を磨いていると、一瞬憂さを忘れられる。忘れられることが、精神衛生上とてもいいのだ。

と言っても、とりわけ人生の大問題に直面している訳ではない。もし私が女性なら、そんな気分をこう言うだろう。それはねえ、不定期に訪れる言わば「上がりかけた生理痛」のようなものですと。(怒られるかなあ・・?不適切な言い回しと) 念のため、こんな例も挙げておこう。立ちそうで役立たずのオヤジのお○○○○のような気分とも言える。

で、駒を磨きながら、過ぎてきたあのときの分かれ道を想い出し、右折が正解だったか左折のままで良かったのかとか、熱意や意気込みは過剰になると野暮になり、成功体験は人を傲慢過激にするがある瞬間には破局点を必ず迎えるものだとか、徒然なるままに思いを巡らせ、いつのまにかそんな思いをも忘れて駒の新たな輝きを楽しんでいる。

それは不条理不可思議な時間だが、おそらく、やがて私自身の祭りを言祝ぐためには必要なものなのだろう。

ひょっとしたらそれは、yes or noとか、1+1=2とかとコードされて割り切られてしまった世界観に対して、グレーゾーンの価値が忘れ去られていくことへの抵抗感なのかも知れない・・と、さっきふと気づいたのだが、どうなのだろうか?・・・。

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