2年前の正月。大変な目にあったことを想い出した。
災難はやはり忘れた頃にやってくるのだ。
それにしても、あの体験を想い出す度に、背中辺りがむず痒くなってくるのはどうしたことなのだろう?
<2014 正月 了>
正月3が日最終日。まだ病院などはお休み中。
大晦日からちょっと気が緩んでいたのだろう。病持ち故に、自分の体に人様以上に配慮して生きなければならない私が背負った重荷を、ふと忘れていた。
午前中、息子と外出。帰りに車の中で相談して、昼は、おせちも飽きたから、炭を起こして焼肉でもやるかということになって、材料を買って帰宅。すぐに準備をして、私が仕込みを担当し、息子が七輪で炭を起こした。太陽が当たっていれば、冬でも昼なら外で大丈夫。デッキチェアを向い合せに並べて、真ん中に網を置いた七輪。小1時間で準備完了。肉をのせると、ジュッという音を上げて煙が立ち込め始めた。
そう言えば、ここ数年、私は焼肉屋などに行ってない。食事も肉は出来るだけ食べず、魚や豆腐を主体にしてきた。脊髄神経から来る右脚の異常に加えて、数年前のある日から痛風を発症してしまい、今でも尿酸値は体質からか高いままで、オリーブオイルやごま油以外の油は、出来るだけ避けるようにしていた。特に外食や弁当に使われる油や、肉そのものに含まれる余分な油は、摂ればすぐに右足親指辺りがモアモアと反応を始めるのだ。これは激痛発症の危険シグナルである。だから誘いがあっても何とか和食で済ましていた。
でも今日は、何となくタレに染まった焼肉で、温かい白いご飯をかきこんでみたくなってしまったのである。
炭火の遠赤外線効果で焼き上がったカルビ肉やレバーの塊は、久々に食べたが、やはり旨かった。これでもう一つ気が緩んだ。最初は2欠片で止めとこうかなどと思っていたが、いつの間にか酒の効果もあって、3欠片、4欠片・・こうなったら、もう理性の枠は何処かへ飛んで行って、ご飯も御代わりまでしてしまった。
途中から愛犬も座って一緒に焼肉グルメを楽しんだ。
後片付けと火の始末を息子に頼んで、お酒が入った私はベッドに横になり、そのまま束の間の昼寝。
騒ぎはそれから1時間半後に起こった。
電気毛布で温まった体が、突然無性に痒くなり、それは全身に広がった。背中、両足、首から頭・・・。
痒くて痒くて、布団の中で全身を掻きむしったが、さすがにこれはおかしいと起き上がった。痒い肌を探って見ると、皮膚が赤くなってボコボコに腫れ上がっている。
ウヒャァ!!
その様を見ているだけで、さらに痒さが増してくる。ボリボリと全身を掻きながら、さてどうすると考えた。正月3が日は病院はやってない。何とか明日までこの痒みを我慢しなければならない。我慢できるだろうか?自信はない・・・。
ふと息子の顔が浮かんだ。そうだ、息子は幼い頃から慢性蕁麻疹体質で、体調を崩すと領地が広がるような蕁麻疹を繰り返している。たぶん薬を持っているだろう。
「〇〇ーッ!助けてくれーぇ!!」
私は大声で息子を呼んだ。どうしたんだろうという息子の疑問は、私の背中を見ただけで解かれた。こうなると経験者は優しくて頼りになる。風邪をひいただけで全身に形状型の蕁麻疹を広がらせていた息子に対して、私は今まで少しも理解は足りていなかったのに・・・。
「まずはアレジオンを1錠飲んで、それでダメなら強い薬だけどセレスタミンもあるからたぶん大丈夫」
「お前、これまでこんな痒みに耐えて来たのか?」
「父親だけは、ちゃんと理解してくれなかったけどね。怠けるなよっていうだけで」
「いえ、反省しております。2度と申しません。助けてください」
効くかどうかは判らないけどと言いながら、息子は痒み止めの塗り薬も背中に塗ってくれた。チューブを受け取って私は、脚に塗りつけた。
セレスタミンはやはり強い薬だった。飲んだ直後から、腕や指先が攣る様になり、心臓音も高まる感じがした。
それを我慢しているとウトウトとして、そのまままた眠れたのである。
3時間後目覚めた私は、まだ多少の痒みは残っているものの、かなり楽になっているのを感じた。脚を見てみると、あれだけボコボコに赤く腫れ上がっていた蕁麻疹の痕跡は、ほとんど跡形もなく消えていた。ただ私が掻きむしったあとだけが、あの気も狂わんばかりの痒みの現実をとどめていた・・・。
ああ、油断大敵。美味ダレの染みたカルビと白いご飯の食欲に負けた私は、おそらくいっきに過剰な油分を摂ってしまったために肉体がショックを起こして急性蕁麻疹という形で危険信号を出したのだろう。天罰を喰らったのかも知れない。
これで今年1年、息子には頭が上がらない。でも助かったよォ。
年の初めの大騒ぎ。まだまだ何が起こるか判らない。さらにさらに、気を引き締めてとにかく前に行くしかないな、こりゃぁ・・・。でも、今朝は体がふらついて、まだ社会復帰は無理なようです、ハイ・・・。
災難はやはり忘れた頃にやってくるのだ。
それにしても、あの体験を想い出す度に、背中辺りがむず痒くなってくるのはどうしたことなのだろう?
<2014 正月 了>
正月3が日最終日。まだ病院などはお休み中。
大晦日からちょっと気が緩んでいたのだろう。病持ち故に、自分の体に人様以上に配慮して生きなければならない私が背負った重荷を、ふと忘れていた。
午前中、息子と外出。帰りに車の中で相談して、昼は、おせちも飽きたから、炭を起こして焼肉でもやるかということになって、材料を買って帰宅。すぐに準備をして、私が仕込みを担当し、息子が七輪で炭を起こした。太陽が当たっていれば、冬でも昼なら外で大丈夫。デッキチェアを向い合せに並べて、真ん中に網を置いた七輪。小1時間で準備完了。肉をのせると、ジュッという音を上げて煙が立ち込め始めた。
そう言えば、ここ数年、私は焼肉屋などに行ってない。食事も肉は出来るだけ食べず、魚や豆腐を主体にしてきた。脊髄神経から来る右脚の異常に加えて、数年前のある日から痛風を発症してしまい、今でも尿酸値は体質からか高いままで、オリーブオイルやごま油以外の油は、出来るだけ避けるようにしていた。特に外食や弁当に使われる油や、肉そのものに含まれる余分な油は、摂ればすぐに右足親指辺りがモアモアと反応を始めるのだ。これは激痛発症の危険シグナルである。だから誘いがあっても何とか和食で済ましていた。
でも今日は、何となくタレに染まった焼肉で、温かい白いご飯をかきこんでみたくなってしまったのである。
炭火の遠赤外線効果で焼き上がったカルビ肉やレバーの塊は、久々に食べたが、やはり旨かった。これでもう一つ気が緩んだ。最初は2欠片で止めとこうかなどと思っていたが、いつの間にか酒の効果もあって、3欠片、4欠片・・こうなったら、もう理性の枠は何処かへ飛んで行って、ご飯も御代わりまでしてしまった。
途中から愛犬も座って一緒に焼肉グルメを楽しんだ。
後片付けと火の始末を息子に頼んで、お酒が入った私はベッドに横になり、そのまま束の間の昼寝。
騒ぎはそれから1時間半後に起こった。
電気毛布で温まった体が、突然無性に痒くなり、それは全身に広がった。背中、両足、首から頭・・・。
痒くて痒くて、布団の中で全身を掻きむしったが、さすがにこれはおかしいと起き上がった。痒い肌を探って見ると、皮膚が赤くなってボコボコに腫れ上がっている。
ウヒャァ!!
その様を見ているだけで、さらに痒さが増してくる。ボリボリと全身を掻きながら、さてどうすると考えた。正月3が日は病院はやってない。何とか明日までこの痒みを我慢しなければならない。我慢できるだろうか?自信はない・・・。
ふと息子の顔が浮かんだ。そうだ、息子は幼い頃から慢性蕁麻疹体質で、体調を崩すと領地が広がるような蕁麻疹を繰り返している。たぶん薬を持っているだろう。
「〇〇ーッ!助けてくれーぇ!!」
私は大声で息子を呼んだ。どうしたんだろうという息子の疑問は、私の背中を見ただけで解かれた。こうなると経験者は優しくて頼りになる。風邪をひいただけで全身に形状型の蕁麻疹を広がらせていた息子に対して、私は今まで少しも理解は足りていなかったのに・・・。
「まずはアレジオンを1錠飲んで、それでダメなら強い薬だけどセレスタミンもあるからたぶん大丈夫」
「お前、これまでこんな痒みに耐えて来たのか?」
「父親だけは、ちゃんと理解してくれなかったけどね。怠けるなよっていうだけで」
「いえ、反省しております。2度と申しません。助けてください」
効くかどうかは判らないけどと言いながら、息子は痒み止めの塗り薬も背中に塗ってくれた。チューブを受け取って私は、脚に塗りつけた。
セレスタミンはやはり強い薬だった。飲んだ直後から、腕や指先が攣る様になり、心臓音も高まる感じがした。
それを我慢しているとウトウトとして、そのまままた眠れたのである。
3時間後目覚めた私は、まだ多少の痒みは残っているものの、かなり楽になっているのを感じた。脚を見てみると、あれだけボコボコに赤く腫れ上がっていた蕁麻疹の痕跡は、ほとんど跡形もなく消えていた。ただ私が掻きむしったあとだけが、あの気も狂わんばかりの痒みの現実をとどめていた・・・。
ああ、油断大敵。美味ダレの染みたカルビと白いご飯の食欲に負けた私は、おそらくいっきに過剰な油分を摂ってしまったために肉体がショックを起こして急性蕁麻疹という形で危険信号を出したのだろう。天罰を喰らったのかも知れない。
これで今年1年、息子には頭が上がらない。でも助かったよォ。
年の初めの大騒ぎ。まだまだ何が起こるか判らない。さらにさらに、気を引き締めてとにかく前に行くしかないな、こりゃぁ・・・。でも、今朝は体がふらついて、まだ社会復帰は無理なようです、ハイ・・・。
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