3枚の将棋盤の木口の写真を撮ってみた。ちょっとフラッシュが反射して映りが悪いが・・・。
左から、柾目(天柾か)、木裏、柾目だ。
一本一本の年輪が、時間にして1年が刻まれていると考えるなら、こんな小さな写真の中に、数百年の時間が刻まれていることになる。受けとめる発想や視点を少しだけ変えてみると、ここにはまさに宇宙的時間が込められているのだとも言える。
もうひとつ判るのは、榧の木の根付いた場所の生育環境である。種がどこに根付くのかというのは、人工的植林ではない限り、偶然の気まぐれで、たまたま根付いてしまった場所が、厳しい環境だったかそうでなかったかは、年輪の幅で判ってくる。
2枚目までの画像より、3枚目の年輪の幅は広い。それだけ楽に成長できたということだ。でも逆境に耐えて育った榧が刻み込む細かな年輪の方が、やはり眺めて風合いがあるのだ。
おそらく人間であっても、厳しい現実に耐えて齢を重ねて育ちきった人物の方が、スクスクと育った人物よりも、情緒的な風合いにより深いものがあるのと同じことだろう。ただ人間の場合は、見える表の顔の他に隠された裏の顔もあるから、少しだけ複雑にもなるのだが・・・。
ともあれ、榧の木口の表情に宇宙的時間を感じると、興味がさらに湧き、眺めていても少しも飽きない。
こんな楽しみもあるんだと、改めて感じ入る今日この頃・・・。
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