スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2019の投稿を表示しています

今宵は鍋を~三州三河の郷土料理

ようやく寒気を覚える気候になってきました。 で、夜の晩酌が進む料理を作ってみました。私の出生地である西三河地方の庶民の郷土料理です。 若い頃、私は三河の田舎風土が嫌いで、あまり食べなかったのですが、今は好きな料理となりました。不思議なことです。 簡単・格安な健康食なので、一度チャレンジしていただけたら幸いです。 「煮味噌」と彼の地では呼びます。 スーパーMなどで赤だしの味噌を用意してください。(それぞれの地域で好まれる味噌は違いますが、本場の八丁味噌はまた格別です。この豆味噌を作るときに樽の上部に溜まるのが、たまり醤油です) 具材は、油揚げ、白菜、大根、玉ねぎ、キノコ類、こんにゃく、豚バラ肉(細切れでもOKですが、バラ肉の方が何故かおいしいのです)油揚げは少し多めに用意してください。 野菜類は小指大に切り揃えます。 あとは、鍋や土鍋に水を張り、出汁昆布を加え、具材を並べ、そこに赤だし味噌を塊りで置いて、あとはグツグツ煮込んでたぎらせたら完成。味噌の加減は、みそ汁よりも3割ほど濃いめにします。 私はほのかに甘いのが好みなので、味醂を大匙一杯ほど加えています。 煮込みながら味わうなら、足らなくなった野菜は補充して煮込んでいけばいいのです。 いかがでしょう?そこそこ楽しめましたでしょうか? 一度赤だしの味噌で味わって、こんなものかと解ったなら、次には皆さんの好みの味噌で応用されてみると、それはそれで味の違いが楽しめます。 それではまた、サヨナラ、サヨナラ・・・・。

変な10月~毎日王冠~秋華賞~菊花賞 その③

明けて10月13日。 台風一過の朝で、青空も戻ってはきたが、台風19号の巻き起こした水害被害の状況は、山では大雨による土砂崩れ、平地では河川の氾濫という形で次第に明らかになってきた。ほんの小さな沢が轟音を立てる濁流に変わって流れ続けていたのを直視していたので、自然を制圧管理したかのような人為的治山治水は、大自然の威圧威力の前には空しいまでに無力であると、平伏すような思いに駆られた。 しかし今日京都では、2歳牝馬最後のクラシックレース秋華賞が、それでも開催される。とにかく家の周囲だけは見回して、大雨に耐えているかを確認して、机の前に戻った。何がどうなっているのか不明なので、念のため車での外出は控えた。 (後で知ったのは、普段使う道では、林道のわきの崖が1か所水に流されて崩れ通行禁止となった。幸いにもそこは町に降りるときに通過する場所ではなかったので、最悪の事態とはならなかった。昔から住む人たちからは、あそこは山が動いている場所だと聞いたことがある。そこに道を通しているのだから、山が歪んだ場所なのだろう。他にも周囲の山の道では多くの場所で崩れたところがあると知った。いずれにせよ先人の記憶による知識は尊いものだ) 午後、刻々と伝えられる大規模な水害被害のTV画面に、100年に一度や1000年に一度の大災害は、私を含めた人間は「それはきっと起こるかも知れない。でも自分が生きている間にはたぶん起こらないに違いない」と、傲慢な楽観にすがって暮らしているのだろうなと思うと、少しばかり心が寒くなって、机の前に戻った。 外出を控えたので、ネット競馬新聞を購入。1Rが60円である。ダウンロードして印刷。京都・秋華賞と特別戦の出馬表は揃った。 9R。秋華賞と同じ2000mの2歳戦の紫菊賞。エピファネイア産駒松山ロールオブサンダーが2:03.4で勝った。前半5Fは63秒2。馬場は稍重まで回復していた。 となれば、3歳牝馬のG1戦なら、今日の馬場で1分59秒後半の闘いになるだろう。そう判断したのだが・・・。 秋華賞のゲートが開いて、1コーナー過ぎまでの攻防。福永ビーチサンバがこの日の秋華賞の様相を決めた。戦前におそらく逃げるだろうと目されていたルメール・コントラチェックに先頭を譲らず、自らレースを支配するペースを創ったのである。こんな意地を主張す

変な10月~毎日王冠~秋華賞~菊花賞 その②

10月6日。身体に芯が入らないような状態で迎えた京都大賞典(芝2400m)と毎日王冠(芝1800m)。 京都大賞典は、三浦エアウィンザーから春天皇賞2着馬デムーロ・グローリーヴェイズ、そして上がり馬浜中シルヴァンシャーに狙いを定めたが、エアウィンザーとグローリーヴェイズ共に差し脚は不発で、結果はごく単調な前残りの競馬に終わり、私には見どころの少ないレースとなってしまった。いや、これも競馬だ。唯一の救いは穴馬シルヴァンシャーが最後に後方から末脚を発揮して3着に押し上げてきたことだけだった。 毎日王冠は、私には津村アエロリット、戸崎ダノンキングリー、福永インディチャンプの3頭立てのレースにしか思えず、アエロ~ダノン~インディとダノン~アエロ~インディの3連単を2点に馬単アエロ=ダノンの裏表を購入してみたが、3連単10倍、馬単4.2倍の配当で、京都大賞典のマイナスを埋めることに成功しただけだった。でもそれでいい。ふらつく身体とボーっとした頭ではそれが精一杯だった。 しかしオッズはともかくゴール前残り1Fからの3頭の攻防は見応えがあった。一度はインディチャンプに抜かれたアエロリットがインから差し返し、そこに斤量有利だったが出遅れたダノンキングリーが強襲してきたのだ。いいレースだった。 その夜、疲れ切った身体で早めに寝ついたが、ひと眠りしてトイレに起きたときが仏凱旋門賞の発走時間だった。GCのライブ中継を見てみたが、名牝エネイブルは凱旋門賞3連覇は果たせずヴァルトガイストの2着。秘かに期待していたキセキも7着。フィエールマンとブラストワンピースは惨敗だった。凱旋門賞のゴールは、日本馬にとっては依然として遥かに遠いものだと思わざるを得なかった。 週が明けて、再度の血液検査とその結果を確かめに病院に行ったが、気になっていた白血球の数値は、何と1万を少し超える程度に下がっていた。となると、この脱力感と左の背中の痛みは何なのだろう?何が原因なのだろう?特に左の背中の痛みは、先週末は背筋辺りが中心だったのだが、今は肩甲骨の下側辺りに痛みが移っている。もう原因不明の身体異常感からは本当に解放されたいものだ・・・。どうだった?と家人から聞かれるので、これから新たにシーズン6が始まる「Doctor-X」を真似して、膵臓癌ステージⅡと言ってみたが、急に態度がよそ

変な10月~毎日王冠~秋華賞~菊花賞 その①

いやはや変な10月の始まりとなった。 10月4日の早朝。突然、身体の不調に見舞われたのだ。朝7時の時点で、体温が38℃に上昇し、左の背中が痛く、倦怠感に襲われてやる気も何も起こらず、気分は沈んだままだった。風邪かひょっとしたらインフルエンザかと疑ったが、寒気はなく、どうもそんな風には思えない。 9時開始の診察時間に合わせてつれ合いにかかりつけの病院まで送ってもらった。足元がふらついて車の運転に自信を持てなかったのだ。 診察が始まって、主治医に状況を伝える。すぐに血液検査とCT検査を指示された。 患者の身で僭越だったが、個人的には何らかの内臓疾患を疑っていた。そうでなければラッキーと思っていた。 血液検査の結果は今日の夕方までには判明するが、CTの画像は検査が終わればすぐに主治医のデスクのパソコンで確かめられるし、画像の写真も診察室に届けられてくる。 結果を教えられるまでは、こんな私でも多少は緊張を覚えたが、幸いにも明らかな異常は画像では確認されなかった。でも全身を襲う症状は確実にある。何よりも生気のない表情と足元のふらつきが、そのことを証明していた。 このまま血液検査の結果が出るまで病院で待つのは身体が持たない。訴えるような視線を向けると、女医である主治医は、「血液検査の結果は私が見て、何かあったら連絡するから、今日は安静にしていてね」と言った。 従うしかなかった。 帰宅して翌朝までベッドで横になっていた。アセロラドリンクやトマトジュースを飲んで、喉を潤した。朝9時前に主治医から電話があった。検査項目の大方は正常値であったが、白血球の数値が3万近くまで上がっていたという。正常値は9000ほどらしい。と言うことなら、身体のどこかに炎症があり、地球防衛軍である白血球が闘っていることになる。 取り合えずまた病院に向かった。今日は何とか運転できた。昨日より少しだけ楽な感じがした。 とは言え、診察を受けても原因がはっきりとして確定診断となることはなかった。まだ原因不明のまま週明けに再度血液検査をすることになった。左の背中の痛みは続いていた。 こんな調子で、土曜はサウジアラビアロイヤルC(2歳マイル戦G3)が1分32秒7のレコードタイムでサリオスが快走したのも流し目でTV画面を追っかけていただけだった。

2019秋競馬~9月29日 スプリンターズS(中山・芝1200m)

2019春のG1戦は、いろいろと書いておきたいことはあったが、何となく気分が乗らず、結局、私のノートは空白のままで、少しばかり記憶のパフォーマンスが落ちかけている脳内に残すだけに終始してしまった。 今年2月から、近隣のコンビニ全てで夕刊紙の配送がストップして、資料にする競馬新聞も日刊ゲンダイなどの夕刊紙も翌日の朝にしか買えなくなってしまったことも大きかった。配送業者の経済的な効率化の為に、売り上げ減少が続く夕刊紙や競馬新聞とそのコアな読者が犠牲となったということだ。半日も経った翌朝にしか購入できない夕刊紙など、まさに気の抜けた炭酸飲料のようで、半日遅れの鮮度のものに同一料金を取られるのは、どうにも承服しがたい感覚がある。 出馬表などは、JRAのHPで入手できるし、有料のネット新聞という手もある。でもパソコンなどの表示画面は流し読みには適しているが、情報のきちんとした取捨選択に使うには、やはり実際に手に取って深読みできる紙の方がいい。一瞬のひらめきが必要な世界には、私は紙のものが相応しいと信じている。勿論自らコピー用紙に印刷することもできるが、独特な雰囲気も高まらないし、手間をかけるのも余程のことがない限り面倒だ。 実に嘆かわしい状況だが、しかしせめても2019秋のG1戦線はきちんと記憶のノートをつけておこうと思った次第。(三日坊主に終わるかも知れないが…) 9月29日。午後1時過ぎからからGC(グリーンチャンネル)を見始めた。 朝は、誰もいない山道での愛犬の坂路調教(4,5kmを速歩やギャロップで走らせている)、メダカやランチュウのエサやり、7時前に競馬新聞と日刊ゲンダイを車でコンビニに買いに行ったりする実務があって、妙に気忙しいのだ。 9R2歳牝馬の特別戦サフラン賞(1600m)から予行練習を兼ねて競馬に参加。と言っても、ほんのちょっとの気分作り。川田ギルデッドミラーを軸に、人気でも武豊マルターズディオサと戸崎マジックキャッスルを馬連で買ったが、武豊マルターズディオサが強過ぎて1着3着の不適中。 10R。古馬2勝クラスのハンデ戦芝1200mの勝浦特別。競馬新聞の調教欄から何となく気配の良さに閃いて、3か月休養後の丸田グッドジュエリーを軸に、川田アゴベイ、酒井トンボイ、三浦シセイタイガにほんのちょっとならと馬連で流した。 ゴール前

突然変異~金魚を飼おう㉒ 4年目の夏に

いやはやこの夏もいろんなことがあった。 思うことがあって、ずっと沈黙の日々だったのに、何やかんやと身の回りに様々なことが起こってくる。 満4年を過ぎた金魚にも異変が現れた。夏前には、生き残って成長を続ける2匹のランチュウは、こんな鮮やかな色合いだったのだが・・・。 長い梅雨が明けて、35度の猛暑となり、また台風絡みの湿気が戻り始めると、1匹のランチュウが体中の色合いを全く変えて変身してしまったのだ。 最初は病気かと心配したが、食欲もあり元気で、弱った気配はない。 うーん・・・。不思議で不可解だ。 不思議で不可解で不条理なことは、今のこの世の中には満ち溢れてはいるが、この私の水槽替わりの小さな盥桶にさえもそんな影響が現れるとは・・・。 今日、水替えの作業の合間に写真を撮って改めて確認した。 どうだろう。明らかに別人(別金魚?)になっているではないか。 原因は判らない。 金魚にだって、突然変異のようにこんなことがある。最近再放送されているTVドラマ「大草原の小さな家」でも毎週何らかの事件が起こっている。だとすれば、標高550mの山中のごく小さな家に生息するこんな私の身の回りに、いつ何時何が起ころうとも、それはそれでささやかなことであって、とりわけ不可思議なことではないのかも知れない・・・。

6月に咲く

好天気の6月6日。 久し振りに落ち着いた気分で庭に出てみた。 メダカの甕には睡蓮の花が咲いている。不思議なことに暗くなるとツボミを閉じて、朝明るくなると勢いよく開く。朽ちるまでの花の時間の間、この作業を繰り返している。不思議な感じがする。 庭の中ほどに、紅白のジングルベルのような花。残念ながら名前は知らない。ひょっとしたら雑草かも。植えた憶えはないので、どこかから種が飛んできたのだろう。 これは花壇の中で、異常に大きくなったパセリ。身の丈1m近くに育ってしまった。見たこともない笑いを誘うサイズだ。秘薬の栄養剤が効き過ぎてしまったようだ。 心が平穏なら、こんな景色もきちんと眼に入る。

漆は成長するか?

やる気の起きなかったモヤモヤ感の原因が判ったので、元気回復したついでに4年ほど前に試作して引き出しの中にしまってあった駒を久し振りに取り出してみた。 いやはや、下手くそな私の手になる試作の駒だったはずなのに、いつのまにかそれらしく変化していた。(まあ、書体などは詳しく追及しないでくださいませ‥苦笑) この、それらしくというのが不思議だった。ひょっとして漆というのは、時間の経過とともに成長するのではないかと思ったのだ。しっとりとして味わいも増しているようだった。 とすれば、おそらく盛上げ駒の魅力というのは、出来上がったばかりのものより、ある程度時間が経過して、木地にも風合いが生まれた頃になってようやくその本性を発揮するものであるのかも知れない。 その意味では、彫り駒や彫り埋め駒よりも盛上げ駒は完成期が遅いともいえる。どうやら注文した駒師から届いたその瞬間に、数年後の味わいを想定して駒を眺める大局観こそが、盛上げ駒を評価する本当の審美眼なのだろう。 時間がそれなりに経過した過去の巨匠たちの優れた作品に、思わずドキッと心を高まらせてしまうのは、おそらくそういうことなのだ。 駒字の形、書体のバランス感、盛上げの漆使いの技量が込められてある大御所たちの作品は、時が刻まれた漆の成長と共に、さらに凄味を増す。そう信じる根拠を、どうやら私は下手くそな試作駒から見つけたようである。                                              

近況

ここ1ヶ月余り、ちょっと冥界を彷徨っていた。そんな気がする。 いや別に昏睡状態に見舞われて意識を失っていたと言うようなことではないのだが、私には珍しく、眼の前のあらゆることにポジティブな関心を見失って、3歩どころか5歩も7歩も引いてしまって、まあどうでもいいかと受け身になっていたのだ。 ずっとほのかな弱々しい月明りだけを頼りにして、唯独りで、白く煙がかった薄靄の細い山道を行くあてもなく歩いていた気分。冷え冷えとした道だった。熱くなれなかったのだ。熱が、そう脳内に沸き起こる熱量が、僅か半歩でも前に進む原動力となるはずなのに、この1ヶ月の間、私の体内温度は少しも上がらなかった。 これが鬱なのかと考えてもみたが、仄暗い煙がかった月夜の山道の彷徨いの中でも、これまで過ぎて来た自分自身への自己肯定だけは忘れなかったので、どうやらそうではないらしかった。 で、1ヶ月が過ぎてしまって、今日からは浦島太郎状態で社会復帰(?)。 よくよく振り返ってみると、どうやら机用の椅子の高さ調整が狂っていたらしいことが判明した。原稿やメモやノートを散らばしてもいいように、ずっと幅160㎝の机を使っているのだが、いざ机を前にするといつの間にか左右の肘を机に乗せてもたれかかる動作が癖になっていたようだ。どういう訳か椅子の高さが微妙に変化していて、机に肘を載せて持たれると肘から肩に無理が生じて、特に右肘から右肩にかけてモヤモヤするような痛みが生まれていたらしい。 激しい痛みならすぐに対処もできるのだが、モヤモヤとした痛みの違和感は、ときとして気づかない場合もある。明日になれば治ってしまっているのではないかと自己再生力を信じがちだからだ。 気温が夏日に近くまで上がった昨日、たまたまの偶然で、手元にあった湿布薬を右の二の腕に貼ってみたら、スーッと右肩の違和感が消えて、快適になった次第。そうか、このモヤモヤ感がこの1ヶ月のやる気の停滞を招いていたのだと改めて知らされたのである。ついでに椅子の高さも慎重に調整した。 それにしても人の身体は統一的なバランスによって支えられているものだ。普段は意識してなくてもバランスを崩していると、肉体だけではなく心までもがおかしくなってしまうのだから。そのことを痛切に感じいることになった。 でも、良かった良かった

金魚を飼おう㉑~3年半を過ぎた春3月

ランチュウとオランダ獅子頭を飼い始めて、もう3年半が過ぎた。 今朝は水替えの作業日。 今年は例年になく暖冬で、真冬の間もエサ断ちをして冬眠状態にさせることもなく過ごしていたので、3匹は冬の間に見た目で判るほど大きくなったようだ。まるで迫力のある相撲取りのようにである。まあ明けて数え年4歳なのだから当然と言えば当然か。 頭部の肉瘤も見栄えがするようにもなった。 この冬の間に最も成長したのは、このオランダ獅子頭だろう。 見事に張った尻尾。特徴ある頭部の瘤。あくまでも自己満足だが、見ているだけで美しく感じる今日この頃である。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

その気になって~「ナメロウ」作り

突然「ナメロウ」が食べたくなりました。 そこで、あるかないか判らなかったのですが、山から降りてスーパーマーケットへ。 町からいつやらから鮮魚店がほぼ消えて、「ハイ、いらっしゃいーッ!奥さん、安いよ、今日の新鮮捕れたてだよ」なんていう魚屋のアンちゃんの威勢のいい掛け声も聞かなくなりました。シーンとした街並みより、元気良くざわめく庶民の生活のある町が、私は好きです。が、スーパーには、なかなかそれを感じられません。ただ包装パックを、カートに放り込んで行くだけですから。 千葉産のイワシが氷の箱に入って並べられていました。今日の特売目玉らしい。目玉が生き生きとして、体は光っています。ならば、今日は、イワシで「ナメロウ」作りに挑戦だ!! 帰宅して、まな板をと小型の出刃包丁を用意して、料理の実践が始まりました。 イワシの頭を、首から包丁で切り、そのまま内臓を掻きだしてしまいます。これを繰り返して、5匹分。 いや、こんな料理法は私の我流ですので、経験値の高い方は、ご自分の方法でどうぞ。 次に、尻尾の辺りに包丁を入れ、背骨に沿って切れ目を入れるようにして、所謂3枚下ろしにします。使うのは身の部分だけです。腹の部分に骨などが付いていたら、包丁を這わせるようにして切り取ってしまえば良いんです。 で、5匹10枚揃ったら、皮を剥きます。新鮮なイワシなら簡単に剥けます。ここまでが第1段階。そう、まな板の周りのどこかに古新聞を広げて、そこに取った頭や内臓などをまとめて、最後に包んで始末すると、汚れを嫌う恐い奥さんたちからも叱られません。 次に、まな板の上で適量(好みで良いんです)のネギのみじん切りと、オロシ生姜と、これも好みの味噌を用意します。 そして、イワシを、「ちゃんこ」で鳥のつみれを作ったように細かく切っていきます。 細かく切れたら、私はここで軽く塩を振ります。その方がおいしいと感じたからです。 そうしておいて、イワシとネギのみじん切りと味噌とオロシ生姜を、まな板の上で包丁で掬うように混ぜ合わせていきます。軽くたたくようにすると、さらに細かくなって混じり合います。 これでもうほとんど出来上がりですが、私はここで、ちょっとした隠し味で、溜まり醤油をひと匙加えるんです。これもその方がおいしいと感じたのが理由です。溜

第2回桂文生独演会 於:池袋演芸場

先日、桂文生師匠自身から、池袋演芸場での第2回独演会の案内を頂いていた。 競馬場でお会いするいつものメンバーには、メールを送り、当日の参加を呼び掛けて、私なりにお役に立とうと考えて、そのようにした。  昨日2月21日が独演会の日だったのだ。夕方に池袋に向かった。6時半開演。独演会と名が打たれてはいるが、メインキャストを文生師匠にして真打弟子文雀と扇生がわきを固める桂文生一門会のようなので、開場時刻から観客は集まり、私が到着したときにはすでに開場は9割以上が埋まっていた。盛況だ。 開口一番の前座芸の後、文雀の「堪忍袋」そして文生の「民謡アパート」 仲入りの後、扇生の「長命」と再度文生の「市助酒」。 文雀も扇生も、力量はあるので噺には安定感があって笑わせてくれる。いつか機会があったら映画かTVの時代劇にでも出演して、ほんの少しだけ役者修行を果たして役者の呼吸をものにすれば、おそらく今以上の色気が漂う噺家になると思うのだが・・・。 色気漂う噺家なんて、私は憧れるなあ・・・。 文生師匠は、古今亭今輔や柳家小さんの大先輩に前座の頃から酒が強いことで可愛がられて育った噺家で、酒のついでに民謡まで習い覚えてものにしている。「民謡アパート」など、民謡の旋律で替え歌を謡いまくる噺なので、今や文生師匠しかできない噺だろう。粋な味があって楽しめた。 それにその昔、どれだけ酒を飲んでも粗相なく口座を務められるか個人的に実験をしたと豪語するくらい酒を愛する噺家でもあるので、酒の話もまた十八番中の十八番だ。実験では、1升3合までは大丈夫だったという。 まあ一杯と勧められたら、文生師匠の体は底なし沼に変るほどなのだから。いやいや凄まじい。だから江戸の飲んだくれを演じたら、おそらくこの人を出し抜ける噺家などはいないかも知れない。 桂文生。この8月で弱い80歳を迎えるが、まだまだ元気いっぱい。春日町の師匠であり、本人に言わせれば春日町収容所の所長と弟子までも笑わせる男気を誇っている。ちょっと眼が離せない本物の輝きと色気とフラのある噺家である。

久し振りに~駒を一枚

ここしばらく雨も雪も降らず、乾燥した暖冬の日々が続いていた。 暇な時間も持て余すぐらいあったので、じゃあ久し振りにやってみるかと、駒を一枚作ってみた。下手なのは承知の助だが、こんなことをやっていると、それなりに一心不乱の集中力が必要不可欠で、自己鍛錬にはいいのだ。 手元には中国産の黒蝋色漆しか持っていないので、乾きが早く、厚めに塗った部分がどうしてもシワシワになりがちなので、ちょっとだけ工夫をしてみた。以前に読んだ司馬遼太郎の文庫「軍師二人」の中の「割って、城を」の文章を想い出し、実践してみたのだ。 「割って、城を」は豊臣家から次に将軍秀忠の茶道の師範となった大名古田織部正のお話で、敢えて茶碗を割って塗師(ぬし)に修復させ漆と金粉の景色を施すことによって天下の名器に変える狂気の美学を持っていた。 その塗師を説明する文章の中で、「麦漆」に触れられていた。漆に、小麦粉を混ぜてよく練り、糊とする。他にも「サビ漆」や磨き材としての百日紅の炭や木賊(とくさ)の話も載っていた。何となく、そうか「麦漆」かと思って、自己流でやってみた次第。 よく練って2・3日経った「麦漆」は、盛上げ部分の乾きがゆっくりとなって、今の乾燥低温の気候なら、そのまま放置しておいてもシワひとつよらずに徐々に固く締まっていった。400年前の先人の知恵に、これは使えるなとおおいに感心した。 今回の文字はほぼ我流だった。これで字母通りに40枚作れたならいいのだが、元来不器用な私にはそこまでの根気はないから、まあどうしようもない。 時間潰しの駒一枚がようやく出来上がって一安心したとき、どうしたわけか原稿依頼のメールが届いた。短い原稿枚数だったが、それはそれだ。やはり私には、駒作りよりも原稿書きの方が性に合っている。 そうか・・・。たった一枚の駒作りで鍛錬した集中力は、原稿書きのための事前訓練だったのかも知れない。おそらくそうなんだろう。 この一度きりの人生、私自身の眼の前に起こることは、あるいは全てが有機的に繋がっているのだから。

2018 JRA競馬最終日 ホープフルS~生まれて初めてWin5的中

話は、再び昨年末に戻る。 グランプリを終えて5日後の12月28日。2歳2000mのG1ホープフルSの日。 ついに生まれて初めてWin5を的中した。 Win5というのは、指定された5Rの1着馬をすべて的中させる馬券である。いつもは、余りにも難易度が高いので、どうせ当たるわけがないと考えて(競馬という勝負は何が起こるか判らないという側面もある)、これまでは遊びで5度ほどしか購入したことはなかった。 しかしこの日は、有馬記念の日からのキャリーオーバーが発生していて、昼過ぎから見ていたGC(グリーンチャンネル)のキャスターが、「今日はWin5は見逃せません」と煽るものだから、よしそれならと、興味半分で購入してみた。 Win5は、それなりの軍資金を用意して大量買いでもしなければ、なかなか高額な配当は得られない馬券だ。的中は唯1点だけと踏まえて、できるだけ絞って購入する私には、最も似つかわしくない馬券でもある。 だからこの日も、中山メインのホープフルSはM.デムーロ騎乗のサートゥルナーリアに決め、中山12Rはどうせ勝つのはM.デムーロかルメールだと絞り、阪神の10Rは松山シンギュラリティと藤岡祐ジェシー、11Rは笹田厩舎の藤岡祐ロードアルペジオと四位エテルナミノル、12Rは川田フィアーノロマーノと吉田隼人メイショウカズヒメを選んだ。単位は、今日はホープフルSで馬連と3連単を買うつもりなので、まあ100円でいいかと納得した。 点数で言えば、2×1×2×2×2=16。16点×100円で合計1600円。清貧に生きる私であっても、この程度は競馬の為に捨ててかかれるというものだ。 M.デムーロ・サートゥルナーリアが突き抜けて、2着ルメール・アドマイヤジャスタ、3着勝浦ニシノディジーでホープフルSが終わったとき、人気サイドの決着ではあったが、このレースの馬連と3連単を仕留めていた私は、幸運な2018年競馬の締めくくりとなった。 が、「待てよ、そう言えばまだWin5を買っていたな」と想い出し、確認してみると、ここまでは無事に通過していた。 後は4時05分の中山12Rと、4時25分の阪神12Rだけである。中山最終Rは、おそらくM.デムーロかルメールが締めてくれるだろうし、阪神の最終Rは余程のことがない限り川田フィアーノロマーノが勝つだろ

2019年、激動の亥年開幕。                        

2019年。亥年。 謹んで新年をお祝い申し上げます。 思えば、昨年はあまりにも筆の遅いペースの年となりましたが、本年こそは体調を取り戻して、皆様と接しさせていただきたいと願っております。 不肖な私ではありますが、これからもよろしくお願いします。                           鶴木 遵