昨日17日、大井の60歳還暦騎手的場文男が、川崎の重賞<川崎マイラーズ>を勝利し、障害通算7000勝を達成したというニュースが流れた。
1973年のデビューから45年目、およそ半世紀を費やして積み重ねた記録である。
ちなみにJRA騎手武豊は、1987年のデビューから31年目となる現在(5月14日まで)のJRA通算勝利数は3893勝だ。週2日のJRA開催と比べて、騎乗機会が多い南関東公営であったとしても、生涯かけての7000勝の価値は重過ぎるほど重い。
大井では7不思議の一つに、まだ的場文男が<東京ダービー>を勝っていないことがあるという。2着は9回もあるのだが、7000勝騎手が大井のダービーを何故か勝ってはいないのだという。勝てるだけの馬、確勝と噂された馬に騎乗するチャンスは2着のとき以外にもあったのだが、ダービーまでに故障などを発症して出走もかなわなかったのである。でも、生涯で見果てぬものがあるという飢餓感が、的場文男の騎手人生を延ばす原動力となったと言えなくもないのではないか?
私自身が、的場文男を身近に感じたのは、1993年だった。
秋、中山オールカマー。絞りに絞って、私は、逃げる中舘英二ツィンターボから的場文男が乗るハシルショウグンへの1点勝負に賭けたのである。
このとき3/4馬身差の3着が単勝1.8倍の1番人気的場均ライスシャワー、3着が柴田政人ホワイトストーン、5着が角田晃一シスタートウショウ・・・。今から思っても強いメンバーが揃っていて、迷ったなら推理が迷路にはまる様相で、ここは負けても納得とファンの心意気を保つしかなかったのだ。
直線、5馬身ほどの差をつけて高速の逃亡を図るツィンターボをめがけて、的場文男はハシルショウグンヲを追った。中央のG1馬相手に怯まなかった。そして2着を確保してくれた。確か、この2頭の組み合わせは50倍を超えていたという記憶がある。
的場文男のしぶとい騎乗は鮮烈に私の中に刻まれた。
まだ続きがある。この年の暮れ、年末進行の原稿を無事入稿して一息ついていた29日、私は、編集長らから大井の東京大賞典に行こうと誘われたのだった。同行者の顔が効いてゴンドラ席で観戦できる幸運な機会だった。3日前の26日、有馬記念で田原成貴トウカイテイオーの復活劇を目の当たりにして、少し財布の中にも余裕のあったこともあって、ハイな気持ちで大井に向かったことを覚えている。
この日、大井に着くまでは、ずっとオールカマーの恩もある的場文男ハシルショウグンからと決めていたが、ゴンドラ席から返し馬を見た瞬間、「あれ?!ハシルショウグンはあんな馬だったのだろうか?」と、ふとあのオールカマーの状態に一息と感じて、断腸の思いで返し馬で弾けていたホワイトシルバーとタイコウストームの組み合わせの枠連勝負に変更した。おそらく歴戦の疲れがハシルショウグンには残っていたのだろう。1番人気で10着だった。私がおさえた5-8の枠連は万馬券となった。
93年の大晦日。TVから流れる除夜の鐘の音をゆったりとした心で聞いたことは、今でも忘れられない想い出である。でもこんな年の暮れはめったにあることではないのも確かなのだが・・・。
止まれ、何よりも今は、60歳の現役騎手的場文男の7000勝達成こそを祝うのだ。
でも、しかし・・・。まだ大井には、上には上がいた。あの「鉄人・佐々木竹見」である。
1941年生まれの75歳。1960年にデビューして2001年7月に引退するまでに積み重ねた勝利は、何と7151勝。
昨日のインタビューで、7000勝騎手的場文男は、「次には佐々木竹見の勝利数を目標とする」と語ったようだ。
そうだ、まだまだ老けるのは早い。引退はいつでもできる。その日までは、這いつくばってでもゴールを目指せ!大井の雄、騎手的場文男!!
フレーッ、フレーッ、ま・と・ば・・・・。
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