スキップしてメイン コンテンツに移動

5月5日こどもの日、大内9段と。at kagurazaka


5月5日こどもの日。
山を下りると、町なかには朝早くからどこから集うのか観光客が溢れていた。さほど広くはない道々では12月の夜祭り以外にはあり得ないほどの車が渋滞模様になっている。都内近郊から荒川の上流に、美味しい空気や花々に溢れる景色や清流の景観を身近に楽しむには、さほど遠くはないからいつもこの季節は賑わうのだ。でも観光に無関係な生活者とすると、うっとおしい渋滞でもある。

そんな中、私は観光客らとは敢えて逆方向に、東京神楽坂に向かった。
昼過ぎに、確かJC以来久し振りに大内9段と会ったのである。

前夜から少し体調を崩されていて、あまり食欲もない体調だったのに、それでも以前からの約束を守っていただいて、ありがたく好意に甘えてしまった次第だ。
それでも、いざ話し始めると、いつもの江戸っ子気質の大内9段だったのでひと安心。
その後約2時間。いろんな話をした。

私の同行者は私以外に一人。まあ、謎の人物としておこう。その彼に参考資料として預け放しにしておいた初代竹風作の彫り駒が、久し振りに戻って来た。ついでに盛り上げ駒しか作ってはいない作者の「大内怒涛流」の彫り駒の根付と、駒師蜂須賀作(これも以前にご本人から送っていただいたものだ)の「菱湖」雛駒サイズの玉将の根付も戻ってきた。久し振りに手元に戻ってきた蜂須賀作の根付を改めて見直すと、「彫りの蜂須賀」がこだわる字母世界が浮き上がってくる。流れるような線の勢い。ときに細く、時には大胆に太く。筆のタメと撥ねの勢いが、小さな根付であっても伝わってくる。この字母には、木地師杉亨治が所有する傑作の影水「菱湖」を土台にして「彫りの蜂須賀」が彼流に施した手法が込められている。現時点で人気も高い完成した字母ともいえるのだ。完成するまでのプロセスでは、おそらく書に詳しい駒師荒川晃石も参加していたのではないだろうか。


ともあれアイスコーヒーを飲み、タバコを吸いながらの楽しい2時間。
将棋界にまつわる話題では、大内9段は言った。
「いや、これからはちゃんとマネージメントできる外部の方のお力を借りなければいけません。外部の方たちと親交がある理事でなければ、そんなお力を借りることもできません」
御蔵島の黄楊も話題となった。
「いやその昔に大山先生に御蔵島に行こうと誘われたんですよ。でも行かなかった。で、この歳になっても残念ながらまだ御蔵島には行けてないんです。心残りですねぇ」
このとき大内9段は、板木地から駒の1個単位に加工されて更なる乾燥と仕上げの加工を待っている駒木地たちの箱を覗いて匂いを嗅いだ。
「木はね、匂いを嗅ぐと乾燥の度合いも測れるんですよ」
いや、この仕草は経験がなければできないものだと、感心せざるを得なかった。

この場を締めたのも大内9段だった。3組の彫り駒の作品を見ながら言った。
「棋士の棋譜にも、こうした手造りの作品にも、作る人の人間性はきちんと表れるんですよ。棋譜だと、その瞬間に相手のミスを期待していたなら、その何処か卑しい心持ちまでずっと残ってしまうんです。作品というのは怖いもんですよね・・・」
私たちはそっと頷いていた。

そう言えばこの私も数年前に、高邁な文化を語りながらも、その実態は?という人種に出会って、心がいっきに冷めたことがある。
「一途で人が良いだけだと、人物判断を誤りますよ」
そう諭してくれたのも大内9段だった。
かつて10年ほど密に取材を重ねた敬愛する伊藤雄二元調教師にも心の残る教えを受けたことがある。これも忘れられない言葉である。
「何か事が起こった場合、おおかた感情を高ぶらせる側にね、何か後ろめたい部分があるんです。何もなければ普通にしていればいいんですから・・・」

こんな人生の先輩方の経験に富んだ言葉は重く響いてくる。

同行者と別れて、帰宅したのは夜8時前だった。その時間にはさすがに観光客の姿はなかったが、近くの国道の渋滞は依然として続いていた。











コメント

このブログの人気の投稿

久し振りに~駒を一枚

ここしばらく雨も雪も降らず、乾燥した暖冬の日々が続いていた。 暇な時間も持て余すぐらいあったので、じゃあ久し振りにやってみるかと、駒を一枚作ってみた。下手なのは承知の助だが、こんなことをやっていると、それなりに一心不乱の集中力が必要不可欠で、自己鍛錬にはいいのだ。 手元には中国産の黒蝋色漆しか持っていないので、乾きが早く、厚めに塗った部分がどうしてもシワシワになりがちなので、ちょっとだけ工夫をしてみた。以前に読んだ司馬遼太郎の文庫「軍師二人」の中の「割って、城を」の文章を想い出し、実践してみたのだ。 「割って、城を」は豊臣家から次に将軍秀忠の茶道の師範となった大名古田織部正のお話で、敢えて茶碗を割って塗師(ぬし)に修復させ漆と金粉の景色を施すことによって天下の名器に変える狂気の美学を持っていた。 その塗師を説明する文章の中で、「麦漆」に触れられていた。漆に、小麦粉を混ぜてよく練り、糊とする。他にも「サビ漆」や磨き材としての百日紅の炭や木賊(とくさ)の話も載っていた。何となく、そうか「麦漆」かと思って、自己流でやってみた次第。 よく練って2・3日経った「麦漆」は、盛上げ部分の乾きがゆっくりとなって、今の乾燥低温の気候なら、そのまま放置しておいてもシワひとつよらずに徐々に固く締まっていった。400年前の先人の知恵に、これは使えるなとおおいに感心した。 今回の文字はほぼ我流だった。これで字母通りに40枚作れたならいいのだが、元来不器用な私にはそこまでの根気はないから、まあどうしようもない。 時間潰しの駒一枚がようやく出来上がって一安心したとき、どうしたわけか原稿依頼のメールが届いた。短い原稿枚数だったが、それはそれだ。やはり私には、駒作りよりも原稿書きの方が性に合っている。 そうか・・・。たった一枚の駒作りで鍛錬した集中力は、原稿書きのための事前訓練だったのかも知れない。おそらくそうなんだろう。 この一度きりの人生、私自身の眼の前に起こることは、あるいは全てが有機的に繋がっているのだから。

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

2017 宝塚記念・阪神2200m~王者失権 G1歴戦勝利の疲れなのか・・?

想い出せばダービーの宴の夜、大阪杯と春天皇賞を力強く連覇していたキタサンブラックが、来たる宝塚記念をも制して春G1戦3連覇を決め打ち、1着賞金1億5千万と特別ボーナス2億円を獲得するか否かが話題になった。 多くの意見は、達成支持が多かったが、私は「強い馬だからこそ落とし穴が待ち受けているのではないか?負けるとしたら宝塚記念ではないですか」と、少数派に徹していた。 ここ四半世紀の日本の競走馬の質はめまぐるしく高まっている。世界の果ての競走馬は、今や世界の中心とも言い得るように進化しているのだ。かつてテイエムオペラオーが秋G1戦3連覇で2億円の特別ボーナスを獲得したときからは、もう15年以上の時が過ぎている。その間にも、日本の競走馬は進化を続けてきたのである。 つまり何が言いたいのかと言えば、いかに強い人気馬であろうと、G1戦を勝ち抜くには相手が進化しているだけに、その昔とは違って何らかの肉体的同時に精神的な無理を重ねている状況にあるのではないかということだ。それはあるいは、ある日突然現れるような飛行機の金属疲労のようなものであるのかも知れない。 1週前追い切り、そして最終追い切りからパドックでも、今回のキタサンブラックは、どう贔屓目に見ても、もちろん完成した馬体は素晴らしいのだが、キビキビとした弾けるような覇気が私には感じられなかったのだ。 普段、厩舎で一緒にいるわけでもないから、それは素人の私の主観でしかないのだが、それなりに見切る眼力はこれまでの競馬経験で鍛えられてきたつもりである。(自己満足ですが・・) 追い切りを見て、私がピックアップしたのは、ゴールドアクター、ミッキークイーン、シャケトラの3頭だった。デムーロの騎乗するサトノクラウンは大いに気にはなったが、これまで阪神芝での走りがいまいち印象に残らない結果だったこともあって、それなりの調教気配だったが敢えて4番手扱いにした。 それよりも横山典弘が2200mのゴール前に坂のある阪神コース(実績のある中山と同様である)でどんな騎乗をしてくれるかという興味が沸き起こったし、前走で少しも走っていないミッキークイーンを今回浜中俊がどう乗りこなすのかということにも関心があったし、4歳のシャケトラをルメールがどのように走らせるかということにもそれを見てみたいという気になっていた...