スキップしてメイン コンテンツに移動

天国と地獄・その境界域~ある女王の告白


2年前、ソチ冬季五輪を見た私は、思わずこんなことを書き記していた・・・。そうさせたものの正体こそ、女王の魔力だったのかも知れない・・・。






女王は戸惑いを隠せなかった。
あれはいったい誰だったのだろう・・・?
私でありながら、でも私はそこにいなかったような感覚。何かをしようとしている自分がいるのに、何もできずに、ただどこかに流されてしまっている失意の自分を、呆然と眺めてしまっているような、そんな気分。
あのとき私は、女王などではなかった。弱々しい素っ裸の私でしかなかった・・・。
ショートプログラム。最終最後まで演技を待たされたことの微妙な影響だったのか?それとも待たされる間に知らず知らずのうちに、緊張や重圧のエアポケットに入り込んでしまったのか・・・?
15歳リプ二ツカヤの直前の舞によって引き起こされた大歓声が、女王である私を追い詰めた訳ではない。そんな経験はスケーターになってこれまでにも数多くしているし、克服もしてきた。だからこそ私は女王だったのだ。
音楽が止み、最後のポーズを決めたとき、何故?何、これ?としか思えなかった。見守って下さる方たちも同じ気持ちだったろう。結果は無残なものだった・・・。
女王は、女王であることへの期待を、この小さな背中に背負って応えてこそ女王なのだから。そうであることが、私の使命なのだから。でも、あのとき私はあそこにはいなかった。そんな気がする。
頂点に立つことを逃した銀メダルのバンクーバーからの4年間。私、浅田真央は、女王であり続けるために敢えて進化をテーマに挑んできた。まだ誰にもできないトリプルアクセルを含めて6種類すべての3回転ジャンプを決め打ち、あくまでも女王らしく華麗に優雅に氷上を舞おうと。そのために私であることよりも、女王であり続けることに、私の全てを捧げようとしてきた。それでも、いやそれなのに、私はあのときあそこにいなかった・・・。
追い詰められた次に向かうための24時間が過ぎて行く。どうしたらいいのか?どうすればいいのか?解らない・・・。
頭に浮かぶのは、女王になるまでの幼く拙い私自身だった。何度も氷の上に倒れて、また立ち上がる私の姿だった。私が笑顔で演技を終えると、見守って下さる方たちも一緒になって温かい笑顔になった。私が沈んだ気持ちになると、周りの方たちの心も沈んだ。その傍には、いつも優しい笑顔の母がいた・・・母は私の中ではまだ確かに生きている・・・。

そのとき私は、また再び氷のリンクに立っていた。昨日のことはもう覚えてはいなかった。だからなのか、私は女王としての立居振舞で、冷静さと集中心を持って私自身を確かめられた。今は、自然と気構えができているような、そんな気がしてならなかった。結果などは求めない。ただただ私は、私が求めたものの正体を見つけ出そうと決めていたのかも知れない。
聞きなれた楽の調べが氷のリンクに奏でられ始めた。私の体は条件反射のように動き始めた。しなやかに動く手足に、安心と自信が戻ってきた。そうだ。私は君臨する女王なのだ。
世界に私だけのトリプルアクセルが決まったとき、その瞬間に私の体内に何か得難い熱い滾りが沸き起こったような気がする。それをきっかけにして、どんどんと心が澄み渡り、体は自由自在に躍動した。これだ。これこそが私が求めて止まなかった探し物だったのだ。
私にできる6種類全ての3回転ジャンプを跳び終えて、最後のポーズを決めたとき、いっきに涙が込み上げてきた。
嬉しいとか哀しいとか、そんな涙ではなかった。それは、まだ自分が、やはりまぎれもなく自分自身であったことを確かめた感激の涙だった。同時に、女王浅田真央に期待された使命を、やり遂げた充足の涙だったと思う・・・。
自分が自分ではなかった昨日から、否やはり私は私なのだと確かめられた今日までの24時間。そのほとんどを、私は、天国と地獄の境目で浮き漂っていたのかも知れない。どちらに行くかは、紙一重の分かれ道。勝つも負けるも、紙一重の分かれ道。どのアスリートもそんな厳しい場所で闘っている。
「涙までもが、最高に美しかったよ」
そう記憶の中の母から言われたのが、今日のメダルには手が届かなかった私だけれど、ちょっとだけ誇らしかった・・・。

           ☆            ☆
昨日、午前中から雪と格闘していたが、午後になって遂に除雪が入って1週間ぶりに車が出せるようになった。社会復帰である。この除雪は、孤立に心を配ってくれたY町の担当者からの指示があったという。素直に感謝して、すぐに心配していた灯油や食料品の買い出しに出た。食パンも4日振りに手に入れた。これで大雪で食べる物もない山の鳥たちにも分けてやれる。
ホッと安心して疲れた体を早くに休めたのだが、目が覚めたときが、まさに浅田真央の女子フリーの開始時間だった。演技を見終えたとき、私は自分の手で何かを書きとめておきたいと思った。
これは私自身の妄想の産物であることを、予め記しておきます。

コメント

このブログの人気の投稿

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

心臓カテーテルアブレーション手術

昨年の秋の終わり。健康診断を受けた家族にはっきりとした不整脈の症状が現れ、嵐山にある循環器専門の基幹病院に回されて、専門的なチェックを受けたのだが、やはり先天的な異常が見つかって、通院を重ね、ようやく先月2月下旬に心臓カテーテルアブレーション手術を受けた。最悪ペースメーカーと言われていたので、まだ若い年齢を考えると、それなりに心配をしていた。 幸運だったのは、担当してくれたDr.Fが、いかにも怜悧で堂々とした医師で、このジャンルでは腕があると評判の高い、若く旬なDrだったことである。実際その通りだった。偉ぶることもなく患者に接し、丁寧な論理的説明で、この人にお任せしたいと自然にそう思ってしまうような風情が漂っていて、その上秀でた手腕のある専門医だった。確か徳島大学医学部の出身だと聞いた。お金で開かせた裏口からついでに加点という下駄をはかせてもらって医者になったような輩では決してなかったのは幸いである。 3時間のカテーテルアブレーション手術。今回は、先天的に左心房に狂った電気信号が流れてしまう回路が2か所あって、それを探し当てて焼き切る処置を施して、心臓の鼓動を正常の電気信号だけで動くようにするということらしい。通常は1か所が原因となるらしいが、2か所の異常個所が見つかった。 退院して数日後、どんな容態だと聞くと、呼吸が楽になり、身体に芯が入ったような気がするという答えがあったので、手術は大成功と感じているようだ。 まだしばらく(と言っても数年後らしいが)再発する可能性もあるようだが、そのときはまたこの手術をお願いするしかない。でもここで完治する場合もあるようで、どっちに転ぶかは神のみぞ知るということだろう。幸運を引き寄せるのを祈るばかりだ・・・。

チャンピオンは眠らない

  過去に綴った本であっても、それを手にする度に、あの頃の自分に戻ることができる。それは何と幸せなことだろうと、そう思える今日この頃。 想い出が詰まった作品は、時間をも超えられるのだろう。 相当に時間が経ってはいるが、それでも中身は色褪せてはいない。 2冊の拙著を、改めてご紹介する。 「チャンピオンは眠らない」(97年) この本は、私にとって2度目の節目となった単行本である。 「勝者の法則」を経て、ずっと騎手という存在を追い続けて取材をしていたが、この本が刊行されることでひとつの区切りとなった。 第1章は、騎手田原成貴とマヤノトップガンによる97年春天皇賞の物語。当時の最強馬横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの威信を賭けた死闘の裏側を徹底的に検証して探った。(これは2回に分けてJRAの優駿に掲載された) こんなノンフィクションは、おそらくそれまでの競馬には無かったと今でも胸を張れる作品である。 あの頃、ダービー2勝ジョッキー小島太が、調整ルームなどで若手騎手らに語ってくれていたという。 「お前らなあ、鶴木に取材されて、初めて一流ジョッキーなんだぞ!」と。 これは騎手による最大の褒め言葉だったろう。人知れずの努力が報われた気がした記憶がある。 その後、調教師になった田原成貴は、皆さんご存知のようにドラッグの海に溺れて、自身の成し遂げた数々の栄光の足跡を汚してしまったが、少なくとも現役ジョッキー時代は、現代の類稀なる勝負師であったことは間違いない。その評価は今でも変わってはいない。 乗り代わりや、障害騎手の現実、おもろい奴らなど、騎手を取り巻くすべてをこの中の作品で語りきったと思う。 言わば集大成の騎手物語である。 確か終章は、小島太の引退をテーマに、グッバイ太。彼と青春の時間を共にした体験を持つ塩崎利雄が、馬券に関わる2億の借財に追われていた体験まで語ってくれたことは、実に印象的だった。 今でも一読の価値は、充分にあります。古本なら、もう500円以下でしょう。お買い得ですよ。 「チャンピオンは眠らない」を通過して、私は、ついに調教師の世界を描くことを始めた。それが、10年もの間刺激的に続いた「調教師伊藤雄二の確かな目」である。 伊藤雄二調教師とのことは、また次の機会にじっくりと。