ここ数日、暑さにかまけて、机の上に書きかけの原稿を広げたまま(久し振りにモンブランの万年筆で書き始めてしまったのだ)、ついついリオ五輪の中継をかけっ放しにしている。
時差12時間だと、ちょうど仕事をしたい時間にBGM代わりになってしまうから、まあ心が弱い(?)私には、思わず誘い込まれる「誘惑の罠」となってしまうのだ。
でも、でも・・・。「勝負」という視点で眺めていると、これがまたたまらなく面白いからどうしようもないことになる。
ほんの一瞬の心の隙間に生まれる落とし穴にハマる敗退もあれば、過度の自信が巻き起こすポカもある。無欲が新しい力を生み出すこともあるし、ベテランの熟した経験がさすがと思わせることもある。
だから面白い。
特に、私にとって印象的だったのは、柔道73Kg級の大野将平と日本体操陣の団体戦だった。
大野将平は若さ特有の太々しさを全身からみなぎらせていた。これまでにも発言やその行為には、いろいろあったようだが、それ以上に柔道のアスリートとしての強さは際立っていた。1本勝ちを託せる男だった。結果からすれば、確かにその通りだ。
しかし大野将平の両耳を見ると、その大きく変形した厚みに、彼の裏側にある本当の姿が伺い知れてくることになる。日常のトレーニングの真剣度合いが雄弁に語られている。徹底したトレーニングがあってこそ、柔道家の耳はこのように変形するのだ。道着や畳に擦れて鍛え上げられた結果だろう。そこまでやり遂げて、なお資質に恵まれた幸運が、大野将平をゴールドメダリストに押し上げたと、私は見た。
男子体操陣の飛び抜けた実力も確かなものだった。他国の多くの選手が難度の高くなった現在の技をやってのけることが精いっぱいだったのに対して、選ばれた日本男子体操陣は、そこに美しさをも追及する余裕に満ちていた。美しさというのは、基礎的なルーティンが完璧となったある到達段階からしか意識化されないものだと、改めて日本男子体操のすばらしさを目の当たりにして感じた次第である。世の中には、中途半端な段階から美を語り始めてしまうことも多いが、それは用をなさないことが、体操を通して教えられたのである。
リオ五輪は、21日まで続く。こんな見方をして楽しんでいると、たぶんこのまま何も手つかずでハマってしまうのではないかと、ちょっと心配でもあるのだが・・・。
でもそれも4年に一度のことだからと、先に言い訳してしまう手もあるのかも・・・。
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