2016 7月、アドマイヤグルーブ産駒の2冠馬ドゥラメンテが脚部不安で引退種牡馬入りしたとき、まず想い出したのは、祖母エアグルーブのことだった。伊藤雄二厩舎所属だったこの馬の存在が、その後およそ10年もの長きに渡って続いた「調教師伊藤雄二シリーズ」誕生の伏線ともなったのだと、今なら断言できる。私は、エアグルーブとは誕生10日目に出会っていた。それも偉大なホースマンたちと一緒にである・・・。
<2014 1月 了>
必要があって、昨年末から牝馬エアグルーブのことを想い出していた。
有馬記念の日、カメラマン石山勝敏とコーヒーを飲みながら、かつての取材の日々を振り返っていると、ある出版社の編集者からキチンと返却されていれば、あのときの写真があるとのことで、それを調べて欲しいと頼んでおいたのだ。
だが、残っていたのはこんな写真だった。
(phot by K.Ishiyama)
写真担当者からいいショットは戻されていなかったのである。残念だった。今のデジタル写真なら保存は簡単にできるのだが、まだカメラマンがフィルムで勝負していた頃は、いいショットの写真は編集部にいったん渡して、その中からデザイナーがカメラマンの意向を踏まえながらピックアップするのが習いだった。
ポジを預かった担当者がいい加減だと、貴重なフィルムもカメラマンに戻されず、どこやらに消えてしまうことも多かった。今となっては、まことに惜しまれる紛失である。
写っているのは、繁殖馬となっていたオークス馬ダイナカール。左の厩務員さんの陰にいるのが、誕生10日目の牝馬。後にエアグルーブと名付けられた。そう、あのオークス、秋天皇賞を制して、JCでも2年連続して2着を確保した名牝エアグルーブである。(不運にも昨2013年4月23日、キングカメハメハの牡馬を出産直後に失血により逝ってしまったのだが・・)。
しかしこの写真は、まだ小さかったエアグルーブが、厩務員さんの陰になっていて使えない。残念無念の極みとなった。
母仔が並んだ写真はあったはずなのに、どこやらに消えてしまっていたのだ。もう20年前のシーンだから取り返しはきかない。本来歴史的価値あるショットだったのに・・。
それでも何とか気を取り直して、原稿は出来上がっている。興味ある方は、今月末に発売される2014年「優駿」2月号を、ぜひ購読してくださいませ。
<2014 1月 了>
必要があって、昨年末から牝馬エアグルーブのことを想い出していた。
有馬記念の日、カメラマン石山勝敏とコーヒーを飲みながら、かつての取材の日々を振り返っていると、ある出版社の編集者からキチンと返却されていれば、あのときの写真があるとのことで、それを調べて欲しいと頼んでおいたのだ。
だが、残っていたのはこんな写真だった。
(phot by K.Ishiyama)
写真担当者からいいショットは戻されていなかったのである。残念だった。今のデジタル写真なら保存は簡単にできるのだが、まだカメラマンがフィルムで勝負していた頃は、いいショットの写真は編集部にいったん渡して、その中からデザイナーがカメラマンの意向を踏まえながらピックアップするのが習いだった。
ポジを預かった担当者がいい加減だと、貴重なフィルムもカメラマンに戻されず、どこやらに消えてしまうことも多かった。今となっては、まことに惜しまれる紛失である。
写っているのは、繁殖馬となっていたオークス馬ダイナカール。左の厩務員さんの陰にいるのが、誕生10日目の牝馬。後にエアグルーブと名付けられた。そう、あのオークス、秋天皇賞を制して、JCでも2年連続して2着を確保した名牝エアグルーブである。(不運にも昨2013年4月23日、キングカメハメハの牡馬を出産直後に失血により逝ってしまったのだが・・)。
しかしこの写真は、まだ小さかったエアグルーブが、厩務員さんの陰になっていて使えない。残念無念の極みとなった。
母仔が並んだ写真はあったはずなのに、どこやらに消えてしまっていたのだ。もう20年前のシーンだから取り返しはきかない。本来歴史的価値あるショットだったのに・・。
それでも何とか気を取り直して、原稿は出来上がっている。興味ある方は、今月末に発売される2014年「優駿」2月号を、ぜひ購読してくださいませ。
(左から、誕生10日目のダイナカールの牝馬<後のエアグルーブ>を見つめる23年前の吉田照哉、伊藤雄二、野平祐二の各氏) |
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