スキップしてメイン コンテンツに移動

夏の終わりに~印象的だった2人の男たち その①



この夏、梅雨明けも遅く、終わってみれば7月下旬から10日ほどの暑さだけで、私の住む山では、後半も台風の影響で雨模様が続いた。シトシトと降る雨の中で、GCの中継する良馬場の競馬を眺めるのは、何となく違和感を抱かざるを得なかった。

台風一過の今朝は、さわやかな青い空の下、最後の夏の日差しが戻っている。

この夏、オリンピックもありメダル獲得ラッシュにメディアは沸いたが、後半戦になると思わず「行けーッ!!」と叫んでしまったのは、陸上男子の400mリレーの決勝ぐらいで、桐生からバトンが渡ったケンブリッジ飛鳥がラスト30㎜ほどからウサイン・ボルトに突き放されると、2着ではあったが、バトンタッチの技が圧倒的な才能の前に屈してしまった感じで、何となく意気消沈の度合いも強まってしまったものである。

そんな中、この夏、別の2人の男たちの姿に、中身は大きく違うが、心を打たれたのは確かである。

まずは香港の騎手モレイラ。短期免許を得て、先週までの3週間、札幌競馬場に参戦した。先週には第2回ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)が催されたこともあるが、何よりも昨年の衝撃が生々しく記憶されているから、モレイラ登場という響きだけで、私の心は高まって止まなかったのだ。
最初の週(8/13・14)のエルムSでは、信じたモレイラからリッカルドとクリノスターオーの2点に流して、ほぼ万馬券の縦目を食らって悔しい思いをしたが、やはりモレイラは凄かった。

参戦3週目となった先週、土曜の最終レースポプラ特別から、日曜9Rまで、自らの騎乗機会7連勝。‘05年9月18日から24日にかけて武豊が達成した記録に並んでしまったのである。

その後10R は馬場入り後に騎乗馬マジックシャトルの右肩跛行が判明し出走除外、メインのキーンランドCはシュウジで2着。ここで新記録達成は途絶えたが、WASJ4戦目となった最終12Rでは人気薄のハツガツオを3着に導いて気を吐いた。

ダートから芝、短距離から長距離と、その手腕はオールマイティに冴え渡り、「騎手が勝負するというのはこういうことだ」と観る者に教えてくれるような騎乗を続けたのである。

勿論、昨年の衝撃的な活躍もあって、各陣営が期待馬を用意していたこともあったろう。しかしそれとても、真の実力が評価されてのことだったのだ。R.ムーアとこのモレイラ、それにここ1発を決めるときのM.デムーロやC.ルメールらの騎乗は、見ていて本当にワクワクできるものがある。特に最終第4コーナーに、騎乗馬の個性を踏まえてどう持ってくるかということに、彼らの才能は際立っていると感じるのは、私だけではないだろう。

モレイラは、1983年生まれで9月26日が来れば旬の脂の乗り切った33歳。‘01年故郷ブラジルで見習い騎手となり、‘09年にはシンガポール、‘13年からは香港をベースにしている。どの地においても、リーディングジョッキーとなり、その事実が彼をドンドンと高みに押し上げる原動力となった。やはりいいものはいいのである。

そんなモレイラを3週間楽しめたこの夏だった。だからアッという間に過ぎ去ってしまったのかも知れない・・・。

コメント

このブログの人気の投稿

久し振りに~駒を一枚

ここしばらく雨も雪も降らず、乾燥した暖冬の日々が続いていた。 暇な時間も持て余すぐらいあったので、じゃあ久し振りにやってみるかと、駒を一枚作ってみた。下手なのは承知の助だが、こんなことをやっていると、それなりに一心不乱の集中力が必要不可欠で、自己鍛錬にはいいのだ。 手元には中国産の黒蝋色漆しか持っていないので、乾きが早く、厚めに塗った部分がどうしてもシワシワになりがちなので、ちょっとだけ工夫をしてみた。以前に読んだ司馬遼太郎の文庫「軍師二人」の中の「割って、城を」の文章を想い出し、実践してみたのだ。 「割って、城を」は豊臣家から次に将軍秀忠の茶道の師範となった大名古田織部正のお話で、敢えて茶碗を割って塗師(ぬし)に修復させ漆と金粉の景色を施すことによって天下の名器に変える狂気の美学を持っていた。 その塗師を説明する文章の中で、「麦漆」に触れられていた。漆に、小麦粉を混ぜてよく練り、糊とする。他にも「サビ漆」や磨き材としての百日紅の炭や木賊(とくさ)の話も載っていた。何となく、そうか「麦漆」かと思って、自己流でやってみた次第。 よく練って2・3日経った「麦漆」は、盛上げ部分の乾きがゆっくりとなって、今の乾燥低温の気候なら、そのまま放置しておいてもシワひとつよらずに徐々に固く締まっていった。400年前の先人の知恵に、これは使えるなとおおいに感心した。 今回の文字はほぼ我流だった。これで字母通りに40枚作れたならいいのだが、元来不器用な私にはそこまでの根気はないから、まあどうしようもない。 時間潰しの駒一枚がようやく出来上がって一安心したとき、どうしたわけか原稿依頼のメールが届いた。短い原稿枚数だったが、それはそれだ。やはり私には、駒作りよりも原稿書きの方が性に合っている。 そうか・・・。たった一枚の駒作りで鍛錬した集中力は、原稿書きのための事前訓練だったのかも知れない。おそらくそうなんだろう。 この一度きりの人生、私自身の眼の前に起こることは、あるいは全てが有機的に繋がっているのだから。

凄いぞ 凄い!! イボタ蝋!!

イボタ蝋のワックス効果に驚いたのは、5年前の秋だった。 日本の職人ツールは、やはり想像以上に凄かった。 いろいろと使ったのだが、まだ2/3が残っている。 これはそんなお話である。                <2011 10月了> 山から下りて町に出た。 用を足して、少し時間があったので知り合いのリサイクルショップを冷やかしに行った。 店内をグルリと見て回った。とりわけ欲しいものがあったわけではないが、まあお客の振りをしてみたんです。 と、なんと写真の「イボタ」蝋が、奥まった棚に載せられていた。 この「イボタ」は、プロの職人が古くから家具などの磨き艶出しに使っているもので、水蝋樹(イボタの木)につくイボタロウ虫の雄の幼虫が分泌した蝋を、加熱溶解して冷水中で凝固させたものだ。硬く緻密で、万能の効果があると言われている。 効用は、木工の艶出し以外にも、蝋燭、薬の丸薬の外装や、絹織物の光沢付けにも使われる。今では、結構高価なのだ。 急に欲しくなって、知人の店主に訊いた。 「このイボタ、いくら?」 「一つ持てば、一生物だから、まあ3000円かな。でも売ろうと思ってたわけじゃないんで・・」 「OK。そこを何とか2000円」 「うーん・・まあいいか」 「ハイ、2000円」 私は、即座に買ってしまった。 家に帰って、すぐに手持ちの屋久杉の盆に使ってみた。 結果は? いやすばらしかった。凄いと言っても大袈裟ではなかった。 いつもは、まるで宇宙のような屋久杉木地の杢模様を確かめて愉しんでいる皿盆で、それなりに光沢はあったのだが、それがさらに艶と輝きを増したのだ。アンビリーバブル・・・ やはり日本の職人のツールはすばらしい。これを使えば、多分1000年前の仏像でも、鮮やかに変貌を遂げるだろう。もう手放せないな、きっと。

2017 宝塚記念・阪神2200m~王者失権 G1歴戦勝利の疲れなのか・・?

想い出せばダービーの宴の夜、大阪杯と春天皇賞を力強く連覇していたキタサンブラックが、来たる宝塚記念をも制して春G1戦3連覇を決め打ち、1着賞金1億5千万と特別ボーナス2億円を獲得するか否かが話題になった。 多くの意見は、達成支持が多かったが、私は「強い馬だからこそ落とし穴が待ち受けているのではないか?負けるとしたら宝塚記念ではないですか」と、少数派に徹していた。 ここ四半世紀の日本の競走馬の質はめまぐるしく高まっている。世界の果ての競走馬は、今や世界の中心とも言い得るように進化しているのだ。かつてテイエムオペラオーが秋G1戦3連覇で2億円の特別ボーナスを獲得したときからは、もう15年以上の時が過ぎている。その間にも、日本の競走馬は進化を続けてきたのである。 つまり何が言いたいのかと言えば、いかに強い人気馬であろうと、G1戦を勝ち抜くには相手が進化しているだけに、その昔とは違って何らかの肉体的同時に精神的な無理を重ねている状況にあるのではないかということだ。それはあるいは、ある日突然現れるような飛行機の金属疲労のようなものであるのかも知れない。 1週前追い切り、そして最終追い切りからパドックでも、今回のキタサンブラックは、どう贔屓目に見ても、もちろん完成した馬体は素晴らしいのだが、キビキビとした弾けるような覇気が私には感じられなかったのだ。 普段、厩舎で一緒にいるわけでもないから、それは素人の私の主観でしかないのだが、それなりに見切る眼力はこれまでの競馬経験で鍛えられてきたつもりである。(自己満足ですが・・) 追い切りを見て、私がピックアップしたのは、ゴールドアクター、ミッキークイーン、シャケトラの3頭だった。デムーロの騎乗するサトノクラウンは大いに気にはなったが、これまで阪神芝での走りがいまいち印象に残らない結果だったこともあって、それなりの調教気配だったが敢えて4番手扱いにした。 それよりも横山典弘が2200mのゴール前に坂のある阪神コース(実績のある中山と同様である)でどんな騎乗をしてくれるかという興味が沸き起こったし、前走で少しも走っていないミッキークイーンを今回浜中俊がどう乗りこなすのかということにも関心があったし、4歳のシャケトラをルメールがどのように走らせるかということにもそれを見てみたいという気になっていた...