3頭が凌ぎ合いを示してゴールインした瞬間、私は声を上げた。
「オイッ⁉」っと。
「オオッ!!」でなかったのが、儚く辛いあるがままの現実だった・・・。
10月のG1戦の晴れ舞台がずっと大雨に見舞われていたこともあって、この日京都で行われたエリザベス女王杯が爽やかな青空の下で開催されたのは、久し振りに幸福感を覚えるほどだった。
集ったメンバーも3歳から5歳世代と、7歳のスマートレイアーまでの現時点での最強アマゾネスたちが揃って、秋晴れの良馬場でのスピード決戦を予想した多くのファンたちもまた、それぞれに大きな夢を抱いてレースを迎えようとしていた。実際、この出走馬たちなら好きなどの馬からでも馬券での応援は可能と思わせる様相だったのである。(別の視点から言えば、だからこそ難解という意味もあったのだが・・・)
いつもの通りGCの最終追い切りを見て、最初の段階で、その気配に魅かれたのは、ルージュバック、ミッキークイーン、スマートレイアー、クロコスミア、モズカッチャンとヴィブロスの6頭だった。出馬表に黄色のマーカーでサッと印をつけたのだから、直感そのものは正しかったはずだ。
でも6頭の選択は、私には多過ぎる。レースの時刻までにもう少し絞りたい。
出馬表の内から、和田竜クロコスミア。最終追い切りで、馬自身が走る気を見せて、抜群の手応えある気配を発散していた。2枠4番から、今の和田竜二が前を行く騎乗で持たせてくれたなら大きな可能性があると読んだ。10月14日の稍重の馬場での上り33秒7の逃げ切りは印象的だったこともある。このときドバイ以来の復帰初戦だったヴィブロスを負かしたのだ。それに騎乗者に決まった和田竜二が、最近は前に行く戦法で確実に実績を挙げているのも心強かった。思えば、和田竜二は、テイエムオペラオーの3歳春の毎日杯で最後方からのごぼう抜きを決めて、馬共々スポットライトの中に浮上したのだが、今では先行タイプの騎乗で粘りある姿を示している。これなら初騎乗でも安心以上に勝負掛りと見なせるというものだ。
M.デムーロ・モズカッチャン。その名は地味だが、オークス2着に粘ったしたたかさや、落鉄に見舞われた重馬場での秋華賞3着で示した安定感は、新種牡馬ハービンジャー産駒の出世頭にまで這い上がっている。騎乗するデムーロの強引なまでのしたたかさとのマッチングも効果大であるに違いない。
浜中俊ミッキークイーン。左前脚の靭帯を痛めなかったら、本来ならこの馬こそが最強牝馬だと、私は今も思っている。春のヴィクトリアマイルの敗戦は、どう考えても腑に落ちないが、その後は宝塚記念で自ら3着を確保して力に衰えのないことを証明してもいる。人気が多少でも下がるようなら絶好の狙い目だし、最終追い切りの気配も私の眼には十分に力を発揮できる状態に感じた。
R.ムーア・ルージュバック。追い切りの気配はとてもいい状態を誇示していた。最後に抜け出したときには、貫録さえ伝わってきた。ただ個人的には、今回は世界のムーアではなく、前走オールカマーで好位からルージュバックの新境地を開拓する騎乗を果たした北村宏司に乗って欲しかったのだが・・・。これまで戸崎圭太が苦労の騎乗を重ねてきただけに、いかに世界のムーアと言えども、不利とされる大外枠で初騎乗のルージュバックを勝たせることができるのかと、少しばかり不安を覚えたが、しかし神がかる世界のムーアなのだからと、そんな気持ちを抑えた。デットーリ、ムーア、モレイラは、今や世界の騎手の神様だからだ。
土曜の夜までに、私はルメール・ヴィブロスとスマートレイアーを推理の枠から外した。
ヴィブロスは、私の眼には前走府中牝馬Sのときの最終追い切りの方がより気迫があったように思えたし、主戦の武豊から川田将雅に突如乗り替わったスマートレイアーには、勝負運の流れの悪さを感じてしまったのだ。
それにしても我らがスター武豊だ。また路上のキスでマスコミの餌食となった。あげくの果てに調教中の落馬負傷があったようだ。私の記憶の限りでは、写真誌に撮られたのはこれで3度目である。最初はもはや30年近く前で、現在の奥さんと若きスタージョッキーとの熱愛シーンだったが、最近は数年前に六本木の路上で、今回は京都の路上だという。お相手は、トレセンに来る女性キャスターらしいが、たとえ過度のお酒が入っていたとしても、こんな風にてごろに路上チューをこなしていると、単なる変態中年扱いになってしまいかねないのが、私には心配だ。スターはスターとして世をうっとりとさせる様な美しきキスを交わすべき存在なのだと思えてならないのだが、どうだろう?いや、武豊も実は普通の中年のオヤジ人間で、もはや自分の中にはない若さを補給するために、手っ取り早く若き女性との熱き路上キスを求めているのだとしたら、それもまた哀しい男の性(さが)にも感じてしまう・・・。
ともあれ、私はこの時点で4頭に絞っていたのだ。そしてペースは流れるとも推理してもいた。
だから日曜の朝までの浅い眠りの中で、うつらうつらとしながら、
「ならばやはり軸馬は、ミッキークイーンにしよう。良馬場ならこれ以上に大荒れする可能性は低いだろうし、多少人気を下げている今回なら絶好の狙い目となるはずだ。人気を落とした実力馬というのは、経験上ロングショットの宝庫となっているではないか」
結果からすれば、うつらうつらするのではなく、ぐっすりと眠ってしまえば良かったのかも知れない。
的中馬券は、複勝やワイド以外は、ただ1点である。1点ならば限りなく合理的に1点に近くまで絞り切るべきと、枠連からの競馬に慣れた私には思えてならないのだ。メジロマックイーンの頃に馬連が定着してからは、自らに3点までを許すようになったが、どうもその癖が今でも離れない。だからごくたまに記念馬券しか3連単や3連複に手を出さないし、その場合でも2点か4点までを心掛けるようにしている。多点買いは、結局は続かないものだと割り切っているのだ。3連単マルチなど当たっての配当は高くても私には別世界の買い方だ。競馬は単勝を当てるのが基本だと意地を張っているし、強い馬が3着に負けることを期待するのは、邪な気分になって自分が嫌になる。嫌になってまで競馬を見るつもりもないのだ。
ゲートが開いて1コーナーまでに逃げるポジションを確保したのは、1枠1番を利した藤岡康太クインズミラーグロだった。和田竜クロコスミアは2番手を確保した。浜中俊ミッキークイーンは中団の外。ムーア・ルージュバックはその直後にいた。
この時点で、不安なことがあった。クインズミラーグロの逃げではペースが上がらないのではないかということと、ルージュバックのこの態勢ではおそらく上位進出はないだろうということだった。ルージュバックにはスタート直後に多少無理をしてもポジション取りをして欲しかった。
案の定、前半5Fは62秒のスローペース。2番手で折り合っているクロコスミアや5番手ほどのインでやがての抜け出しの機会を虎視眈々と狙うモズカッチャンには大きなアドヴァンテージとなっていた。
となれば残り4F(800m)の勝負処からのサバイバル戦となることが予想された。
その通りの展開となった。
和田竜クロコスミアが4コーナーを廻って先頭を確保。外からミッキークイーンが勢いをつけて追い上げる。直線中ほどを過ぎて、デムーロ・モズカッチャンが一瞬を捉えて仕掛け、いっきの瞬発力を発揮した。ミッキークイーンは豪快に外から伸び続け、クロコスミアは粘った。
3頭が揃うようにゴールイン。ゴール前は、激しい闘いとなった。
画面に向かって、「オイッ⁉」と叫んでみたものの、それは空しい抵抗に過ぎなかった
GCのTV画面を見守った私には、すでにミッキークイーンが届かなかったことを確かめていた。
ミッキークイーンから3点に流した私は、またも大きな縦目の敗戦を喫してしまったのである。
京都や阪神を主戦場とする関西の一流騎手たちが、これまで伝統的に先達から習い教え込まれた騎乗の美意識がある。それは、馬の個性に乗って一瞬の究極なる仕掛け処を逃さず、ハナ差・頭差の微差で差し込むという美意識である。馬の力とゴールまでの距離と相手馬の力量を把握して、トップギアに入れる一瞬のときを見事に捉える。それは故武邦彦や福永洋一に伝わり、河内洋や田原成貴、武豊にも伝授された美意識である。現役騎手で言えば、勿論デムーロはイン攻撃から実践しているし、四位洋文やおそらく川田将雅にも伝わっている。彼らは、人気があろうとなかろう(それは世間が決めることである)と、勝負を賭けた場面で、馬にきちんと勝負させることを知っている騎手たちなのだ。ただ体当たりの騎乗をするレベルではないのは自明である。
だが浜中俊にはまだもうひとつこの意識が弱いのではないか?限りなく近づいているにしても、本当の自信を掴みきっていないのではないだろうか?もしこの日、動き出しとギアを挙げる動作をもうほんの一瞬早めていたなら、おそらくトップギアに乗るのもわずかに早まって(ほんの20mほどのことだが)、外から差し切っていたように私には感じられてならない。いや、もしとかタラればは、グッと我慢しておくべきなのかも知れないが・・・。でもプロ存在としては大切なことなのだが・・・。
爽やかな秋空の下、「オイッ・・⁉」という落胆で終わったエリザベス女王杯だったが、最終追い切りを見終えての着眼点には、どうやらまだ狂いはないようだ。その眼をかすませるのは、やはり私自身の利欲なのかも知れない・・・。的中の喜びを求めて、まだまだ何かを守ろうとしているのかも知れない。まずは捨て身になっての攻撃だけが、結果として喜びにつながることを再確認すべきなのだろう。
そうか、捨て身か・・・。いい言葉である。
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