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2017菊花賞(京都・芝3000m)~水飛沫と泥だらけの勝利


先週は、週内に1日ほど雨が上がっていただけで、後は本州直撃の台風21号の影響で雨が続いていた。

結局、菊花賞当日も雨また雨。気になって、朝早くに投票に行き、午後からGCを見たが、芝のレースは水飛沫が舞い上がる状態で、6F(1200m)のレースでさえ、普段の良馬場からすると約6秒ほど時計がかかっていた。ここしばらくを振り返っても、これほどまでに悪化した芝のレースは想い出せなかったほどである。

実に悩ましかった。脚ひれをつけたような重馬場得意の馬が浮上するのか?いや、ここまで悪ければ、血統的にパワフルな血が保証された馬が浮上するのか?いやいや、もはやどの馬さえも同じ条件となって、結局はこれまでそれなりの力を示してきた馬が改めて脚光を浴びる結果となるのか?・・・はっきりとした見極めなど、私ごときには全てが五里霧中で、何も思い浮かばなかった。

勝負事と言うのは、いちど迷い始めると、迷いが迷いを呼んで、さらに見通しのきかぬ濃い霧の中に突き進んでしまうものである。
それほどのどの馬も体験したこともない馬場状態だった。

木曜の深夜に録画したGCの最終追い切りを、何度か見直して、私なりに各馬の気配をチェックしていた。最初に選んだのは、内からウィンガナドル、クリンチャー、アダムバローズ、サトノアーサー、ミッキースワロー、キセキ、アルアイン。追い切り時計ではなく、それなりに馬自身が走りたいような気配を示している馬たちを選んだ。でもこれでは多過ぎる。
パドックを見て、レースまでに軸馬を決め、4頭ほどまでに絞ろうと決めた。

しかし窓の外は雨が続いていた。雨は、台風21号の北上と共にレースが近づくにつれて雨脚が強まってもいた。

迷いは大きくなった。常識的には、先行馬有利という気持ちに振れてくるのはやむを得なかった。中団後方の様なポジションからホームストレッチで差し切るというイメージは持てない。せめて4コーナー5・6番手辺りにまで来ている馬でなければ・・・。
日曜の午後は、ずっと迷い悩んでいた。こうなったらダービー上位馬だけを選んでみようかとか、人気薄の先行馬のロングショットかもとか、どう考えても人気上位の一筋縄では決まらないだろうとか、芝の6Fで6秒ほどかかっているなら果たして菊花賞の決着タイムはどうなるのだろうかとか・・・雨の神様はどの馬を選ぶのだろうかとか・・・。ウーン、最後は神頼みの世界にまで行ってしまっていたのかも知れない。

最終最後に選んだのは、ここまでまだ勝負強さにいまいちひ弱さを見せていたサトノアーサーの変身を期待し、先行できるクリンチャーとウィンガナドルとアダムバローズと皐月賞馬アルアインに決めた。デムーロ・キセキには最後まで気が魅かれたが、この時点で、秋G1が、スプリンターズSがデムーロ、秋華賞がルメールで決着していたので、この菊花賞が再度またデムーロとなると出来過ぎの仕組まれたお芝居の様な気がして、敢えて外してみようと決めた。(だからヘタなんです、今の私は・・・)

3分18秒9。ラスト3Fの上り40秒0。まるで70年前の1940年代の菊花賞の様な決着タイムだったが、ゴール前で魅せたデムーロ・キセキの爆発力は、雨の中に佇む観衆の心を魅了するものだった。

いやそれ以上に、先行馬クリンチャーを敢えて中団後方に待機させ、2周目坂の下りから勝負を賭けた藤岡佑介はすばらしい騎乗をやってのけたと思う。4年前のフランス長期遠征がようやくG1のステージでものを言ったのだろう。騎手としてこれからの自信を持ち得るレースだったと思った。
同じ意味で、すでにテイエムオペラオーと共に天下を制した経験を持つ和田竜二の騎乗も、人気薄ポポカテペトルの未知なる才能を十分に引き出していた。

G1戦でのデムーロとルメールの1着交代劇は出来過ぎだと疑ってしまった私の愚かさは、つまり決定的な過ちだったのである。

結局、強い者はどこまでも強いと認めるしかないのだろう・・・。

週末は、招待席が確保されている秋天皇賞だ。もし真ん中より外枠だったら、今度はお決まりのルメールの番だと考えてみるのも正しい態度なのかも知れない。しかし私の疑い深さも、もはや治らない性格でもあるし・・・。だから競馬は難しいし、面白いのかも知れない。うん、たぶんそうだろう。

菊花賞の日の夜、選挙の結果が伝わった。国民の半数以上が信頼を置かない国権主義のポリティカルパーティが数の上では圧勝する結果だったが、その模倣勢力ではないリベラルが(まるでこの日のクリンチャーのように)目に見える形ではっきりと姿を現す結果となった。これだけは、今まで誰もやれなかった。不肖なる前原党首の結果的な功績だろう。

この時代、もはやイデオロギー対立ではなく、リベラル(個人・市民と民主主義)か国権主義かの選択だけが問われているのだ。初めてこの対立軸が明確になった第1歩という位置付けと、その上でいかに闘うかという視点が明らかになったという意味においては、相当に有意義な選挙だったと思っているのだが、どうだろうか・・・。しがない私は、戦争よりも競馬も楽しめる平和を望んでいるいっかいの小市民でありたいのだが・・・。


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