スキップしてメイン コンテンツに移動

2017 スプリンターズS(中山芝1200m)と仏・凱旋門賞



世の中がどう動こうと、大災害などで施設が壊れたり、馬の輸送経路となる道路が運行不能とならない限り、決められたスケジュール通りに競馬は開催される。平和の恩恵だ。

10月1日。昼は、中山・芝1200mの短距離G1・スプリンターズS。夜は、仏・シャンティ競馬場芝2400mの世界のG1・凱旋門賞。来年からは新装のロンシャンに戻るが、去年に続き今年まではシャンティの開催だ。

真夏のローカル開催の間は、自分自身の勝負感だけを鈍らせないように配慮して、真夏なのにそれほど熱くもならずゆったりと構えていたが、久々の中央場所でのG1戦となればそれなりに昂ぶる心も生まれてくる。

木曜の夜に、GCの「今週の調教」を録画して、日曜までに数度見返しもした。
馬の走ろうとする気配を、今まで通り自分の感性で見極めようとした。感情移入して誤るときもあるが、冷静に気配を見られたときは、選んだ馬たちがそれなりに上位に好走することが多いのは、経験上判っている。勿論、人気や贔屓に眼光が惑わされないという条件付きだが・・・。

今回、最終的に日曜の午後のパドックを確認して選んだのは、軸はデムーロ・レッドファルクス。相手は、調教もパドックの気配も輝っていた石橋脩・ワンスインナムーンを1番手に、岩田・レッツゴードンキに、後は趣味で笹田厩舎(そう言えば、笹田さんパドックで馬の傍に来るときはサングラスの着用は避けましょうね。この前ちょっと気になりましたから)浜中・ダンスディレクターに、武豊・ダイアナヘイロー。栗東に行って最終追い切りに横山典弘が乗ったシュウジにも、春・高松宮記念の覇者幸・セイウンコウテイにも食指は動かなかった。

いやはや、スプリンターズSのゴール前は燃えた。
ワンスインナムーンが先頭で粘りを見せ、そこにレッツゴードンキが中団インから追い上げて迫り、さらにひと呼吸遅れて外からレッドファルクスが弾ける差し脚で豪快に迫ってきたのだ。

通常なら、レッツゴードンキとワンスインナムーンで決まっていたのかも知れない。しかしレッドファルクスのゴール前の坂を上り切った後のわずか1Fに満たない距離での差し脚は驚異的だった。ゴールでは、全ての馬たちを交わし切っていた。凄い・・・。

レッドファルクスは、スプリンターズSの2連覇を達成。過去には、サクラバクシンオーとロードカナロアだけしか成し遂げていない記録である。やがての種牡馬としての輝ける未来までももぎ取ってしまったのかも知れない。

それにしても、スプリンターズSの前の10R1000万条件ハンデ戦の勝浦特別。前半3Fが33秒1で流れ、内田・クラウンアイリスの勝ちタイムは1分7秒8。後半の上り3Fは34秒4だった。

スプリンターズSは、前半3F33秒9。勝ちタイムは、1分7秒6。後半の上り3Fは33秒7。

ほとんど数字が変わらないが、しかしそこにレース自体の威圧感などが含まれているから、レースは魔性の生き物なのだろう。私には、10R とG1スプリンターズSの決着タイムがほぼ同じだとは思えなかった。ゴール前の激戦の迫力はまるで別世界のものだったのである。


夜、10時からのGCの生放送「凱旋門賞」。10時半過ぎから視聴した。
デットーリ・エネイブルの強さは圧倒的だった。直線早めに抜け出して。並み居る牡馬たちを一瞬たりとも寄せ付けず、まさに正当な横綱相撲での圧勝劇を世界に見せつけたのである。それは、かつてのダンシングブレーヴやラムタラの衝撃に並び得るものだった。

3歳英国牝馬のG1・5連勝での凱旋門賞初勝利、鞍上のL・デットーリも歴代単独1位となる凱旋門賞5勝を達成。ぜひ来年は、新装なったロンシャンでの凱旋門賞の後にJCに来て欲しいと願わざるを得なかった。JRAはエネイブルに特別ボーナスを用意してでも招待して欲しいものである。

翌日、私は町に降りて1本のウィスキーを買った。スプリンターズSの的中と凱旋門賞の圧勝劇が、思わずそうさせたのである。
それをショットグラスに注いで、ゆっくりと舌と喉で味わった。

その時間は、一瞬現実を遊離できる幸福な時間となった。ワンスインナムーンが2着に粘り切ってくれたら・・・などと未練たらしく思うことはなく、ただただ馬たちの素晴らしい劇の余韻に浸っていた・・・。


コメント

このブログの人気の投稿

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた...

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る...

2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会)

もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。 照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。 湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。 そんな折、2つの案内状が届いた。 ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。 78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」 をかける。 これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから) 興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です) そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、 「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。 もうひとつの案内状は、その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。 9月6日一ツ橋「如水会館」。 優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。 4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。 私自身が今こうしている間にも...