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「名を捨てて実を取る」ということ

  勝つか負けるか?


最初は、目標実現のための大まかなる「大同団結」かと思った。
分断された細かな固まりが、とりあえずひとつに固まって、より大きな集合体となる。後のことは、固まった中で徐々に整理整頓していけばいい。最初から前提の条件闘争にはやる教条主義には、発展性はない。おおらかな懐の深さこそが、集団を強化しより大きな人々の固まりとなることを保証するのだが、やはりそのことを理解する度量は伺い知れなかった。
止揚(アウフヘーベン)という言葉が使われたが、私のつたない学習経験だと、止揚とは、確か弁証法的には、AとBという対立する軸が、真摯な議論によってCという新たなパラダイムに発展するという作用のことである。対立を抱え込まなければ、そもそもアウフヘーベンすらできないのだ。
そう考えていくと、どこやらの女性新代表は、(レヴェルの低い取り巻きを含めて)すでに排除の論理で限界を示してしまっているし、それなりの資金と数を持っていたはずのどこやらの男性代表は、かつて偽メール事件でそうであったことを再現するかのように、またも詰めの甘さを吐露してしまった。「名を捨てて実を取る」前に「名も捨てて実も母屋も取られてしまう」状態になっている。嘆かわしいものだ。
今回の喜劇の裏側を勝手に妄想推測すれば、それなりに浮かび上がってくることがある。どこやらの何とか会議が、モリ・カケ私物化首相のやがての失脚に保険をかけるように、結果的に野党第一党を解体・乗っ取りの形で女性新代表の作った新しいグループに肩入れを図ったと考えると、様々なことが納得されるのだが、果たして真実はどこにあるのか?山暮らしの中では、遠い永田町の景色の実態は見えず、勝手に想像を逞しくするしかない・・・。
アッ、今、気づいたのだが、そうだ、自然と同化する今の私には、摩擦を呼ぶ対立軸が(自分の心の思いと置かれた現実以外には)生まれ得ないので、結果的に私は社会的にはアウフヘーベンしない奴になってしまっているのだ。まあ、それはそれで良しとするしかないのだが・・・。

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