何とか私自身の出走体制を整えて、東京競馬場には11時過ぎに着いた。 府中本町駅構内から、スタンド32番柱近くの受付まで、場内外はやはりダービーの日だからか混み合っていて、人混みをさばくのにもストレスを感じるほどだった。 何とか受付を済ませて、ダービールームへ。14号室は「ワンアンドオンリー」室だった。そう言えば、今日の最終レースにワンアンドオンリーご本尊は、久々に鞍上に横山典弘を得て出走予定である。 喫煙室でひと呼吸整えてから部屋に入ると、いつもの知った顔が勤勉にもすでに専門紙を広げていた。10Rのダービーまではおとなしくしていようと決めていたので、挨拶だけ交わして私はゆっくりとお茶を飲みながらテーブル席に座っていた。 そう決めたのも時間をかけて、ダービーの流れと展開を考えようとしていたからだった。 狙いの推理は、決まっていたが(皐月賞のときに記した馬たちだ)、最終追い切りを見てからも、皐月賞を速いペースで逃げたアダムバローズのような存在が、どう考えても見当たらず、だとすると最近流行の緩い流れから、ホームストレッチでのヨーイドン!という単調な勝負になってしまうとしか思えなかったのだ。 とすれば、中団より後方のポジションの馬たちには勝利の出番はないということになる。 じっとそのときを待つ間に、何度も出走馬表を眺めたが、良馬場のダービーは、皐月賞とはまるで違うレースになるだろうとしか考えつかなかった。 8R。1000万条件(2勝馬)の特別戦青嵐賞。ダービーと同じ芝2400mである。前半5F61秒で流れ、決着タイムは2分23秒8。2勝馬の特別戦としては、それなりのタイムが計時された。となれば、3歳の頂点のG1戦なら、通常ならこの決着タイムを下回ることはないだろう。しかし逃げ馬が見当たらないのは確かだった。 もうひとつ予感を得たことがある。レースレコードが生まれた皐月賞の上位馬は、眼に見えない疲労消耗をしているのではないかということだった。走り過ぎた後には、生き物である以上疲労によるコンディション低下は避けられない。化け物なら別だが・・・。2002年1分58秒5という当時驚異的なレースレコードで皐月賞を勝ったノーリーズン(ドイル騎乗)が、ダービーでタニノギムレットに8着に惨敗した記憶が鮮やかに甦ってもきた。たぶん今年の皐