清征作 天童楷書 彫り駒 |
ここ1週間、将棋界を震撼させた「竜王戦挑戦者交代劇」に意識をとられていた。
各種報道が錯綜して、何が何だか、何が真相なのか霧の中で、もどかしく消化不良だったが、ここに来て、ようやく少しだけ霧が晴れてきたようだ。
結局は、竜王戦直前の時期に、竜王戦の権威を保つべきと考えたろう竜王が中心となって、「疑惑」の排除に動き、連盟に働きかけて将棋界の権威・伝統(?)を守ろうとしたということなのだろう。
ただ私自身は、この動きは拙速だったと思えてならない。
権威を保つためには、タイトル戦が始まってからでも、もし疑惑があるのならすべてを明らかにできるその確証をつかんで、進行中であろうともタイトル戦から排除する決定がなされた方が、将棋界の名誉も竜王戦自体の権威も、より一層保たれたはずではないだろうか?そう思う。
利害を離れた第3者的中立の立場で動いたというのならまだ解りやすいが、「疑わしきは罰せず」という法の精神を理解すらもせず、目前のタイトル戦で挑戦される立場にある者が、いまだ確証のない「疑惑」に対して、同志、同僚、理事らに働きかけ、同時に一部マスコミ記者らをも利用して、必要とあれば自身の対局拒否をも言葉にしながら、挑戦者のつかんだ権利でさえある挑戦権を連盟常務会の決定として奪い去り、自らのブログでは「大変なことが起こってしまった」と、部外者を装ったという流れなのだから、愕然とする思いに駆られてしまう。
故にこそ、連盟理事らの決定事項も、表向きの体裁すら整わない曖昧さである。白黒もはっきりさせず、ただ挑戦権剥奪と2か月半の出場停止。これはいったい何なのだろう。一人のA級棋士の人生がかかった大問題なのにである。私には理解できない。
曖昧なその場しのぎの方策よりも、有無を言わせぬ決断と実行の方が、未来への戒めとなるではないのか。
今のままでは、疑惑は疑惑を超えない。疑惑が粘着的につきまとって、何をどう改革・改善しようとも、どうせ曖昧な処置だと信用は以前のようには回復することもないだろう。疑惑を告発した者も、疑惑を生じさせてしまった者も、同じ次元で同じ穴の狢と解釈されてお終いだ。あるいは告発者の訴えすらも作為的だと看做されてしまいかねない。
だからこそ、じっと潮が満ちるその時を待つ我慢が必要だったのではなかろうか?
拙速に走る主観的感情論では、問題解決はしないのである。そんなことを学んだ1週間だった。
何となくしらけた気分で熱く燃えない竜王戦。こうなったら挑戦者丸山忠久9段が第7局まで、渡辺竜王との覇権争いを最後までもつれさせてくれたら、こんなもどかしい心もすみやかに晴れ渡っていくだろう。元名人の奮起を期待してやまない。
フレーッ、フレーッ、丸山!!
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