スキップしてメイン コンテンツに移動

2017 有馬記念~中山・芝2500m


12月24日。クリスマスイブの夜明けに、私は2度もトイレに駆け込む羽目になった。

下痢と鼻水と脱力感。正露丸を多めに飲み、止まらぬ鼻水にはかねて主治医から処方されているムコダインを服用し、脱力感には、これも処方されていた葛根湯で対処してみたが、外が明るくなっても症状は治まらない。

中山行は諦めて、朝8時過ぎに報道室のOさんに「本日欠席」のメールを入れた。「了解しました。お大事に」との返事をもらって、そのままベッドの中でウトウトしていると、新潮社の編集者Kさんから電話が入った。最初は話がかみ合わなかった。彼は、どうやら私がすでに中山にいると思って、自分は風邪で欠席するがそちらの様子はどうか?と連絡をしてきたのだ。訊かれた私がまだ家のベッドの中にいたのだから話が噛み合うはずもない。互いに事情を理解して、共に風邪に見舞われてしまって力の入らない苦笑いを交わし合って電話を切った。

昼過ぎまで横になっていたが、そろそろ有馬記念のことを考えようと、厚着をして机に向かった。

頭はボーッとしていたが、出走メンバーを改めて見渡しても、今日の有馬記念で武豊キタサンブラックに絡んでいく力のある逃げ馬も、おそらく中山右回りなら自ら逃げるだろうキタサンブラックに圧力をかけ続ける先行馬も見当たらなかった。しかもキタサンブラックは、先行馬に有利な1枠2番を武豊自身が抽選で引き当ててもいたのだ。まさに、「どうぞ勝って下さい」という様相だったのである。

となれば、3コーナー辺りの勝負ポイントで、他馬よりも一瞬早く仕掛けの始動を始める馬でなければ、ほぼ勝負にならないことも自明だった。
キタサンブラックは4コーナー手前から上り34秒台の脚で逃げ込みを図るだろう。それを上回る後続馬がいるなら、勝負になるのはその馬だ。
しかし有馬記念は、4コーナーを1周目は外回りで廻るが2周目は内回りを廻る。もともと強い先行馬には有利なコース形態なのである。

「おそらく今日のメンバー構成なら、何事もなければ、順当な結果となって、5歳のキタサンブラック、シュヴァルグランに対して、3歳のスワーブリチャードがどんなレースをしてくれるのかという結果になる」
それが、素直な私の結論だった。

でも、しかし、そうは言っても、この私は世の常識にチャレンジする捻くれ者なのだ!風邪に見舞われて、体調不良なら余計に捻くれてやる。だって、この身が具体的に苦しいのだから・・・。

最終追い切りをGCで見て、私には勢い良く弾けていたのがスワーブリチャードのように思えてならなかった。今さら、ラストレースの感動をと、引退が決まっているキタサンブラックに乗り換える訳にはいかない。ならば軸はこの馬にして、「祭り」騒ぎの喧騒から離れよう。ついでにあまりにも幸運なJC馬のオーナーのほくそ笑みも、体調不良の身では見たくもないから切り捨てよう。

いつもなら感情を押さえてレースを見守るのだが、今日だけは違った。ふらつく風邪症状の影響で、心の余裕は生まれ得なかったのだ。

だからスワーブリチャードから相手に内からヤマカツエース、ルージュバック、ミッキークイーン、ムーア騎乗のサトノクラウンをパドックを待つことなく選んで、また横になったのだった。


スタートして、福永祐一シャケトラと池添謙一ヤマカツエースが後ろからプレッシャーをかける気配を示したが、キタサンブラックの威圧感に負けてか示しただけで、本当の意味では圧力までには至らなかった。結果、キタサンブラックの楽逃げのレース支配が成立した。もはや勝ち切ったも同然だった。

そのまま、他馬の勝負処からの弾けるような奇襲攻撃もなく、平穏無事な戦振りでキタサンブラックは逃げ切りの態勢を創り上げていった。

何事もなく終わるかに見えたレースだったが、直線でM.デムーロに追われながら外から迫ってきたスワーブリチャードが内に寄れて、ボウマン・シュヴァルグランと蛯名正義サクラアンプルールの進路を妨げた。M.デムーロが勝負掛りで勝負の鬼になり切ると、ときに強引な騎乗を見せることがある。馬込みの中から一瞬の間隙を他馬を弾くように抜けたり、外から他馬を圧し潰すように抑え込んだり・・・。それも競馬という勝負の格闘技であり、また醍醐味でもあるが、今回は左ムチを受け追われ続けた3歳のスワーブリチャードが瞬間にガス欠を起こすように苦しがって内にヨレタのだろう。

敢えて「もし」を言うなら、このアクシデントがなかったら、2着は順当にボウマン・シュヴァルグランだったということだ。漁夫の利をさらった2着ルメール・クイーンズリングを応援したファンにはツキがあり、3着シュヴァルグランを応援したファンにはツキがなかったとしか言えない。ツキは明日には入れ替わるものだから。(M.デムーロは年明け2日間の騎乗停止処分となった)

ともあれ2017年の競馬は、結局キタサンブラックに明け暮れる結末となった。個人的には、2年前のセントライト記念や菊花賞から応援したサクラバクシンオーの孫だったが、今年辺りはキタサンブラックをいかに外すかだけを考えていたようにも思う。それだけのスター馬となったからこそだとも言えるのかも知れない。

前日の阪神Cの成果を8割ほど吐き出して、私の2017年の有馬記念は横たわるベッドの中で終わった。まあ、それも良しだ。こんな日もある。

3日経ったが、まだ完全には風邪の症状は抜け切ってはいない。

                     <有馬記念>中山・芝2500m
        1着  キタサンブラック  武豊    (牡 5歳 57㎏) 2.33.6 
  2    クイーンズリング  C .ルメール (牝 5歳 55Kg) 2.33.8  1 1/2
  3    シュヴァルグラン  H.ボウマン  (牡 5歳 57㎏)  2.33.8  ハナ
  4    スワーブリチャード M .デムーロ (牡    3歳 55㎏) 2.33..8   クビ

   

コメント

このブログの人気の投稿

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた...

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る...

2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会)

もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。 照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。 湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。 そんな折、2つの案内状が届いた。 ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。 78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」 をかける。 これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから) 興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です) そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、 「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。 もうひとつの案内状は、その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。 9月6日一ツ橋「如水会館」。 優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。 4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。 私自身が今こうしている間にも...