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師走に思うこと


早くも師走。
2017年もあと1ヶ月。何かを成した事実もないし、相も変わらずその日暮らしで、時間は追い立てるように過ぎていく。手をこまねいていて、気づけば1年が過ぎている感覚。生きている残り時間はそれほどないのに、抗う術もないようだ。黄昏に包まれて、ただただ儚い未来を前にして今日の危うい時間を綱渡りしている。危ういと言えば危うい・・・。

世を見渡せば、20歳そこそこの若者が、50年後の年金受給者たることをを強いられ縛られている。国家財政の都合だ。若かりし者にとって、50年後のことなど想定すらできないのにだ。私もそうだった。

10代後半から20代は、それこそその後の自分の人生を考え、大いに迷い惑う時間だと思う。20歳そこそこで、お前はこういう生き方をせよと、国家のタイムスケジュールで迫られる社会なんて、ある種異常な状況なのではないか?せめて30歳までは考えるモラトリアムの時間が許容されるべきだろう。

若いうちだからからこそ、失敗も教訓としてやがてに活かせるのに、国が決めたタイムスケジュールに外れたらもはやチャンスはないと、経済的にも締め付けられるのは、どう考えてもおかしい。

高校を卒業して、例えばケーキ職人になりたいと専門学校に入学して資格を得ようとしてみても、やってみなければ、それが本当にやりたいことか、自分にとって本当にやり抜けることなのかは判らないものだ。でも気づいたときには、すでに高額な入学金や授業料なるものが背負わされてしまっている。職人型職業は、実は専門学校の教育より、実務経験値の評価を重要視すべきだろう。

大学の専攻にしても、現在のように様々に多様化した学部があれば、何をどう学んでどうしようかなどとは、受験期の時間の中では正しく見極めることも大変だ。

現在のように、教育の形をとって、それをピンからキリまである教育産業の稼ぎのネタにするようなシステムでは、本人がやっと適性を考えて他の道に転身しようとしても、すでにそのときには高額な返済型奨学金などに縛られて身動きすることさえできなくなってしまっているのではないだろうか?どう考えても、こんな若者の現実はおかしい。

多くの進学校や予備校のシステムにしても、受験技術が金で買える方法論が主流となっている。要領を金を支払って買う者が優遇されている。本来の学問は、その発想力や創造力も想像力も、自力で身に着けて武装していくことでしか身にならないのにである。だからそんな社会では、出世する人間が実に薄っぺらく深味や重厚感など微塵も伺えないのだ。要領だけが巧みな歪感が無作法に不快感を伴って発散されることになる。

思えば、国公立大学の授業料は、1970年代半ばまでは月額3000円だった。早稲田だって文科系なら月額10000円ほどだった。
それでも大学側が授業料値上げを強権で実行しようとすれば、学生たちは体を張って抵抗を見せたものである。

その後、ある時点から「行政サービスは有料化する」という方針が許容され、決定的には「ゆとり教育」という名の教育産業保護政策が実践されて現在に至っている。ゆとり教育というのは、週休2日のゆとりの時間にせっせと予備校通いでお金を使えという実態となったのがお笑いである。(ただこれは私の記憶だから、今となっては多少曖昧だが・・)

結局、全ての出来事は、20代の若者から夢と冒険の自由を奪い、経済的支配の実効化が企まれていったのだ。

20代の時間こそ、おおいに失敗し、挫けず何度もチャレンジして、本当にやりたいことを掴み切る燃えるような初夏の季節だろう。
大志を抱いて飛躍に備える時間ともいえる。羨ましいほどに活力に漲った躍動感ある時間なのだ。

今は、暗く凍えるような忙しい師走を迎えたが、若い力はその満ち溢れるエネルギーで、常に初夏から真夏を生きて欲しいと願うのだが、どうだろう・・・。

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