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江戸いなり

その昔、江戸に伝わった「いなり寿司」があるそうだ。

その名も「江戸いなり」。

ものの本では、油揚げを湯鍋で煮て、油分を落とし水洗い。
その後、黒糖を使った甘い砂糖醤油の鍋でじっくりと煮込んだ油揚げに、握り鮨用のシャリよりも2倍から3倍ほどに酢をきつめに利かせた鮨飯を挟み込んで作ったいなり寿司である。黒糖を使うと、揚げは黒っぽく仕上がるようだ。

甘過ぎるほどの揚げと酢が効いたシャリが、味わう口の中で見事にマッチして、深みある味のいなり寿司が出来上がる。

本気でやると、よく揚げに甘味を染み入らせるために、2日ほどかけて手を加えた方がいいらしいが、思い立ったらすぐに食べたいのも人情で、少しばかり知恵を絞ってやってみた。

とりあえず圧力釜で、半分にカットした油揚げを湯で煮たてる。シューッと吹き上げ始めて5分ほど。

蓋を開けて、次は油揚げを水洗い。

次に洗った圧力釜に醤油と黒砂糖を注ぎ込む。しかしキッチンを見渡しても今日は黒糖が見当たらなかったので、替わりにザラメと白砂糖で代用した。気分で砂糖を引き立たせるために少しばかりの塩と味の素を隠し味で追加もした。かなりの甘さにしてみたつもり。
指先に少しつけて舐めてみても甘く感じる。とすると例えば佃煮にも、かなりの糖分が使われていることを知る。

そこに洗い終えた油揚げを入れて、点火して吹き上げ始めて10分ほど待った。(結果からすると15分程がいいかも知れない)

圧力釜が冷えて中身が取り出せるようになるまで、そのままにしておく。

次は炊き上がったご飯に酢を打つ。酢、多めの塩、ほんのささやかな砂糖。酢を多めにして(大胆にだ)、湯気が上がるご飯に均等にかけて混ぜ込む。何度か失敗してみると、そのうちコツが解って来るから、これはやってみるしかない。だけどこの鮨飯は、それだけで食べるとかなりきつめの味がして、本当にこれでいいのかと一瞬不安に駆られるのだが、それでいいのだ。

後は、油揚げを軽く絞って、中にシャリを入れ込んだら完成である。



今日のところはこうなった。        
たぶん黒糖を最初から使えば、もっと黒っぽい「江戸いなり」が完成するはずだが、今日はあり合わせで我慢しよう。

試しに一口。ほおばった瞬間に、ただ甘いだけのそんじょそこらにあるいなり寿司との違いが解る。

何とも言えぬ深い味わい。味付けの妙が、アーティスティックに浮かび上がってくる。

味の世界も、何とまあ不可思議な領域なのだろう。知れば知るほど嵌まり込む要素に溢れている。

うん、面白い・・・。
                         
                     

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