直線最後の1F(200m)地点まで、2016マイルCSは、ハラハラ・ドキドキと観る者の胸を躍らせる緊迫感に満ちていた。
ここしばらく6F戦で好成績を遂げていた浜中俊ミッキーアイルが逃げ、それをマークするように夏の札幌記念を勝ち抜いたR.ムーア・ネオリアリズムが続き、外からC.ルメール・イスラボニータが伸びようとしていた。サトノアラジン、ディサイファ、ダノンシャークも好位でせめぎ合っていた。
最後に底力を示してマイル王の覇権を手に入れるのはどの馬なのか、レースの興奮は頂点に達しようとしていたのである。
だが・・・。
浜中俊の右ムチ連打の励ましを受けたミッキーアイルが、ゴール直前に大きく左斜行。ネオリアリズム。サトノアラジン、ディサイファ、ダノンシャークらが進路妨害を受け、まるでドミノ倒しのようにひしめき合ってしまう不利を受けてしまったのだ。それでも浜中俊は右ムチを連打し続けていた。
ゴール直前、この日最大の勝負処でのの混乱だったので、それはレースの結果に直結する事態となった。
すぐに審議ランプが点灯し、場内には審議の告知が流れた。
降着か、失格か、あるいは表面上何ごともなかった様なセーフの決着か、それは裁決委員の良心を賭けた裁定を問われる事態だと言えた。浜中俊がキープストレートというフェアな競馬の掟を守ろうとして、右ムチ連打を控える騎乗の修正を図った努力の跡は、はっきり言って見られなかった。勝負が決着する瞬間だっただけに、確信的に狂うように勝つことを求めようとしていた。勝負する者としての騎手が、勝利を求めて狂うように追うことを否定はしない。それは観る者の心を揺さぶって止まない貴重なことだ。しかしそれも、他馬に危害を与えないという条件付きのものである。
もしこれが勝負の決着として許されてしまうのなら、ルール改定前のことだったとはいえ、かつての春天皇賞ニシノライデンの失格や秋天皇賞のメジロマックィーンの18着降着やエリザベス女王杯のカワカミプリンセスの12着降着など、いったい何であったのかということにもなりかねない。それは裁決への不信にもつながってしまうだろう。競馬への信頼をも揺るがしてしまうに違いない。
結果は、
『最後の直線コースで、16番ミッキーアイルが外側に斜行したため15番ネオリアリズム、2番サトノアラジン、1番ディサイファおよび6番ダノンシャークの進路が狭くなりましたが、その影響がなければ15番、2番、1番および6番が16番より先に入線したとは認めなかったため、到達順位通り確定しました。この件について、16番ミッキーアイルの騎手浜中俊を2016年11月26日(土)から2016年12月18日(日)まで23日間の騎乗停止としました』
と裁定された。
しかし、この裁定は、私自身は心の底から素直に受け入れられるものではなかったのである。
とりあえずレースを何事もなかったように決着させようという便宜的な意思すらが見え隠れしている気がしてならなかったのだ。
ことは集団的な被害を発生させるものであったのだし、馬をせめてまっすぐに走らせようとする遵法精神があったのなら、イスラボニータとの着差が頭差、ネオリアリズムやダノンシャークとの差も3/4馬身だっただけに、裁決の言う「先に入選したとは認めない」という判断には疑問符がつく。
「馬は気ままに斜めに走らせた方が伸びる」という言葉を騎手から聞いた取材体験がある。まっすぐに走らせるのは、そもそも制約を背負っていることでもあるのだ。同時に集団的被害を発生させたという事実がある。相手1頭との関係式ではないのだ。
あれこれまとめるのなら、裁定のルールにある
『失格 』・・・ 「極めて悪質で他の騎手や馬に対する危険な行為によって、競走に重大な支障を生じさせたと判断した場合、加害馬は失格となります」
の適用こそ、裁決の良心だったのではないだろうか?そう思えてならない。おそらく今回の裁定は、開催8日間の騎乗停止という悪質な事態(もしこれが騎乗停止2日ほどだったなら軽微なインターフェアとも言えるのだが)を裏側で認めているのなら、表向きの裁定も、未来の公正競馬という理念のためにもきちんと競馬史に残る裁定にして欲しかったと思えてならない。そうでなければ、やったもの勝ちという意識が関係者の間に知らず知らずのうちに植え付けられてしまうのではないだろうか。
レース後の騎手、調教師のコメントも「他馬に迷惑をかけてしまった」と、口を揃えていたが、事態は「フェアであるべき競馬の良心に迷惑をかけてしまった」というのが、ことの本質である。
やった側がいつかやられる側となり、やられた側がいつかやる側に変貌するのは、世界を見渡せば人類の歴史的負の所産とも言える。だからこそ、きちんと万人が受け入れて納得し得るジャッジが重要なのだ。
騎手浜中俊も調教師音無秀孝も、私はその個性を愛するファンである。だからこそ敢えて厳しく接したいと願うのである。たえず緊張感を持って接しなければ、人というのはすぐに馴れ合いの見苦しさを生じさせてしまうものなのだから。その意味でも今回の裁定が、競馬界だけに通用するようなものであってはならないと考えるのである。
で、私の1着3着病の経過はどうだったのかということになるのだが、
「まあ、まだ完全回復には至ってないようです」
「だって、このマイルCSの勝負馬券は、G1馬イスラボニータと個人的に真夏のG1戦と思っている札幌記念の勝者ネオリアリズムでしたから・・・。騎手もルメールとムーアですし・・・。あれ?もしミッキーアイルが失格だったなら、もしかして的中だったんでしょうかねぇ?・・・いやいや、それは捕らぬ狸の皮算用っていう奴で・・・。裁決への疑義とは別の問題だと、はっきり言っておきますです、ハイ・・・」
何とも辛い苦悩の日々が続いている・・・。早く全快祝いを派手にやりたいものだと願ってやまないのだが、さてさてどうなることになりますものやら・・・。うぅーーん・・・・。
ここしばらく6F戦で好成績を遂げていた浜中俊ミッキーアイルが逃げ、それをマークするように夏の札幌記念を勝ち抜いたR.ムーア・ネオリアリズムが続き、外からC.ルメール・イスラボニータが伸びようとしていた。サトノアラジン、ディサイファ、ダノンシャークも好位でせめぎ合っていた。
最後に底力を示してマイル王の覇権を手に入れるのはどの馬なのか、レースの興奮は頂点に達しようとしていたのである。
だが・・・。
浜中俊の右ムチ連打の励ましを受けたミッキーアイルが、ゴール直前に大きく左斜行。ネオリアリズム。サトノアラジン、ディサイファ、ダノンシャークらが進路妨害を受け、まるでドミノ倒しのようにひしめき合ってしまう不利を受けてしまったのだ。それでも浜中俊は右ムチを連打し続けていた。
ゴール直前、この日最大の勝負処でのの混乱だったので、それはレースの結果に直結する事態となった。
すぐに審議ランプが点灯し、場内には審議の告知が流れた。
降着か、失格か、あるいは表面上何ごともなかった様なセーフの決着か、それは裁決委員の良心を賭けた裁定を問われる事態だと言えた。浜中俊がキープストレートというフェアな競馬の掟を守ろうとして、右ムチ連打を控える騎乗の修正を図った努力の跡は、はっきり言って見られなかった。勝負が決着する瞬間だっただけに、確信的に狂うように勝つことを求めようとしていた。勝負する者としての騎手が、勝利を求めて狂うように追うことを否定はしない。それは観る者の心を揺さぶって止まない貴重なことだ。しかしそれも、他馬に危害を与えないという条件付きのものである。
もしこれが勝負の決着として許されてしまうのなら、ルール改定前のことだったとはいえ、かつての春天皇賞ニシノライデンの失格や秋天皇賞のメジロマックィーンの18着降着やエリザベス女王杯のカワカミプリンセスの12着降着など、いったい何であったのかということにもなりかねない。それは裁決への不信にもつながってしまうだろう。競馬への信頼をも揺るがしてしまうに違いない。
結果は、
『最後の直線コースで、16番ミッキーアイルが外側に斜行したため15番ネオリアリズム、2番サトノアラジン、1番ディサイファおよび6番ダノンシャークの進路が狭くなりましたが、その影響がなければ15番、2番、1番および6番が16番より先に入線したとは認めなかったため、到達順位通り確定しました。この件について、16番ミッキーアイルの騎手浜中俊を2016年11月26日(土)から2016年12月18日(日)まで23日間の騎乗停止としました』
と裁定された。
しかし、この裁定は、私自身は心の底から素直に受け入れられるものではなかったのである。
とりあえずレースを何事もなかったように決着させようという便宜的な意思すらが見え隠れしている気がしてならなかったのだ。
ことは集団的な被害を発生させるものであったのだし、馬をせめてまっすぐに走らせようとする遵法精神があったのなら、イスラボニータとの着差が頭差、ネオリアリズムやダノンシャークとの差も3/4馬身だっただけに、裁決の言う「先に入選したとは認めない」という判断には疑問符がつく。
「馬は気ままに斜めに走らせた方が伸びる」という言葉を騎手から聞いた取材体験がある。まっすぐに走らせるのは、そもそも制約を背負っていることでもあるのだ。同時に集団的被害を発生させたという事実がある。相手1頭との関係式ではないのだ。
あれこれまとめるのなら、裁定のルールにある
『失格 』・・・ 「極めて悪質で他の騎手や馬に対する危険な行為によって、競走に重大な支障を生じさせたと判断した場合、加害馬は失格となります」
の適用こそ、裁決の良心だったのではないだろうか?そう思えてならない。おそらく今回の裁定は、開催8日間の騎乗停止という悪質な事態(もしこれが騎乗停止2日ほどだったなら軽微なインターフェアとも言えるのだが)を裏側で認めているのなら、表向きの裁定も、未来の公正競馬という理念のためにもきちんと競馬史に残る裁定にして欲しかったと思えてならない。そうでなければ、やったもの勝ちという意識が関係者の間に知らず知らずのうちに植え付けられてしまうのではないだろうか。
レース後の騎手、調教師のコメントも「他馬に迷惑をかけてしまった」と、口を揃えていたが、事態は「フェアであるべき競馬の良心に迷惑をかけてしまった」というのが、ことの本質である。
やった側がいつかやられる側となり、やられた側がいつかやる側に変貌するのは、世界を見渡せば人類の歴史的負の所産とも言える。だからこそ、きちんと万人が受け入れて納得し得るジャッジが重要なのだ。
騎手浜中俊も調教師音無秀孝も、私はその個性を愛するファンである。だからこそ敢えて厳しく接したいと願うのである。たえず緊張感を持って接しなければ、人というのはすぐに馴れ合いの見苦しさを生じさせてしまうものなのだから。その意味でも今回の裁定が、競馬界だけに通用するようなものであってはならないと考えるのである。
で、私の1着3着病の経過はどうだったのかということになるのだが、
「まあ、まだ完全回復には至ってないようです」
「だって、このマイルCSの勝負馬券は、G1馬イスラボニータと個人的に真夏のG1戦と思っている札幌記念の勝者ネオリアリズムでしたから・・・。騎手もルメールとムーアですし・・・。あれ?もしミッキーアイルが失格だったなら、もしかして的中だったんでしょうかねぇ?・・・いやいや、それは捕らぬ狸の皮算用っていう奴で・・・。裁決への疑義とは別の問題だと、はっきり言っておきますです、ハイ・・・」
何とも辛い苦悩の日々が続いている・・・。早く全快祝いを派手にやりたいものだと願ってやまないのだが、さてさてどうなることになりますものやら・・・。うぅーーん・・・・。
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