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世相を妄想してみた

世の中、いろいろと騒がしく、アンフェアなことに憤ってみたり、暑さ故のまとわりつく汗のべたつきにイラついたり、厚化粧且つだて眼鏡の58歳のカン違いオバサンに呆れてみたりして、なかなか平穏な心で毎日を過ごすのは難しい。

で、ついでだからいろんな事を妄想してみた。

K学園問題。核心を守るための様々な都合の良い嘘が積み重なっているだけに、嘘をついた側の論理破綻は、今でももはやおかしさが露呈しているが、やがて決定的に明らかになるだろう。世の中には、それなりの良心や義侠心は存在しているものだし、それがすでに大きな固まりとなって不信の世論ともなっているのだから、もう誤魔化しや言い逃れはきかない。

この際だからK学園グループの系列大学を調べてみた。岡山理科大、倉敷芸術科学大、千葉科学大。らしい名前が付いているが、いずれも偏差値45ほどで合格できる大学らしい。偏差値45で千葉科学大は薬学部に入学できるが、国家試験に合格して薬剤師となれる人数は本当に少数で、2015年2月19日、文科省が発表した大学の新設学部、学科を対象に行った「設置計画履行状況等調査」では、「大学教育水準とは見受けられない」「学士課程に相応しい授業内容となるよう見直す」と、報告されている。
英語は、be動詞の活用や過去形あたりから、数学は百分率や分数の計算から教えてくれるそうだから、凄まじく丁寧なカリキュラムというか、あるいは大学の名に値しないカリキュラムというべきか、入学したこともないので、ちょっと判らない。
同じ系列となれば、岡山理科大にしても似たりよったりということだろう。(敢えて触れておくが、すでに通ってそれなりに頑張っている学生たちには、自身の夢の実現に向かって一層精進して欲しいと願うばかりだ。自分を磨くのは、誰でもない自分自身なのだから)

そのグループが、国家戦略特区という大義のもとに今治に獣医学部を創設するという。所謂石破4条件を満たして、世界に通用する獣医学部が誕生するのだという。グループ系列大学がbe動詞の活用や分数の計算から大学で教える現状であるのに、岡山理科大獣医学部だけは、並み居る日本の獣医大学を凌いで世界最先端レベルの獣医学部を目指し、その水準にある獣医師を養成するのだという。ヘェーッと感心するしかないが、「駄馬は調教しても駄馬」と最後に書き遺した亡き父のメモを思わず想い起してしまった。こういうのを、世の中では「捕らぬ狸の皮算用」とか「鬼も笑い転げる勝手読み」とかいうのだ。


さて話は飛んで、すでに超特急のスピード進行で「共謀罪」の法が施行された。確か277の犯罪に適用されるのだという。
法律の専門家ではないから、ここから先は個人的な妄想が始まる。

もし仮に、国家や地方自治体から、資産や予算を奪おうという資金略奪テロを、権力を有するとあるグループが計画して、謀議を積み重ね、それを実行したとしたら「共謀罪」は適用されるのだろうか?いやいや、共謀罪適用は、共謀時点での事前捜査を可能にする法律なのだから、実行された時点で別の刑法によって裁かれるのだろうか?

いやまあ所詮妄想だから、法の専門的知識は敢えてふっ飛ばして、妄想を続けよう。

とある極東某国の出来事である。かつて中南米にはゲバラという革命戦士がいたが、極東某国の首相は、ゲリバラ首相と密やかに囁かれていた。(本当のことを言うと、この私自身も脊髄を病んでからは、その影響で深夜早朝のゲリバラ過敏症候があるので、その辛さは理解しているから触れたくはないのだが、心を鬼にする。多くの場合ストレスが関係していると実感している)
そのゲリバラ首相は、ある日、数十年来の友のために、国家資産や自治体予算の収奪を計画して、実行に移し始めた。首相になりたての頃はこうるさい大臣もいたので、それでもまだ遠慮がちだったが、何回か選挙を重ねるたびにオレ様だから勝ったのだと増長して、周囲にお世辞を言うお仲間だけを寄せ付けるようになり、瞬く間にそれまで隠していた人格を顕わにするようにもなって独善化した。そうなると手がつけられない。誰も押さえつけることはできない。諫言すれば、人事権を忍術のように使って報復されるからだ。でも黙って従ってお愛想笑いをしていれば、それなりの待遇も時には付届けの贈り物さえ届きもした。この辺はぬかりなかったのである。

手先となって家庭内別居しているゲリバラ夫人までもが、せっせせっせと「私人」の振りをして5人の公務員秘書を伴って、まるで極東のイメルダ夫人のごとく動き回り、官房長官を筆頭に、官房副長官から内閣府の役人から所轄官庁の大臣までが醜く蠢いた。曰く「最高権力者のご意向」と。勿論その周囲には、民間政商や民間の振りをした似非インテリ人たちも跋扈した。

栄耀栄華は極まったかに見えたとき、そんな権力の砂上の楼閣は、これまで「こんな奴ら」と人格さえも与えていなかった多くの人々の反感・反発の前に、突如として崩れ落ちた。跡形もなくだ。失政というよりは(いや勿論極まった失政なのだが)、それ以上に人として信じられない!という憎悪のような感情の反発が、巷に溢れ返ったのである。

そして「共謀罪」適用によって官邸の周りには、誰もいなくなった。多くの高官たちは罪を減じる司法取引制度を活用して、言い逃れを画策し、内部分裂も甚だしかったのである。
後には、もはや廃墟となった官邸が古びたお化け屋敷のように残っただけだった。

やがて顔を浮腫ませ、か弱き1個の動物になったゲリバラ元首相は、最先端治療を受けるため四国今治の国家戦略特区に向かい、他でもない生物として獣医学的な診療治療を受けたが、その後どうなったか消息は明らかにされなかった・・・。

こんな茶番の、喜劇にもならない笑劇を妄想するほど、本当は暇ではない(そう言っておくことにする)のだが、思わずそうしてみたくなるような憂鬱な湿気混じりの暑い夏と、極東某国のあるがままの姿が曝け出されている。
嘆かわしいにもほどがある・・・。








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