スキップしてメイン コンテンツに移動

祝2017大阪杯~阪神芝2000m G1昇格


春の古馬戦線。春・天皇賞を頂点にした長距離路線が主流で、芝中距離のビッグレースはなかった。90年代あたりから、大阪杯のG1戦昇格は、秋の天皇賞組を中心に待望する声がずっと囁かれていたのである。同時に、夏の札幌記念も北海道シリーズの祭典とすべきという声も高まっていた。

昨年、ようやく大阪杯がG1昇格となり、中距離馬にとって春の大きな目標が誕生したのである。せめてもとドバイや香港に春の活路を見出していた中距離馬の陣営にとっては、朗報だったのは間違いないだろう。

その最初の大阪杯が昨4月2日に行われた。
お祭り好きの私としても、記念すべき第1回G1大阪杯なら、ズバリ的中の想い出を作りたいものだと意欲を高めながら、そのときを迎えようとしたのである。

GCの最終追い切りを見て、土曜の中山・ダービー卿CTに出走するロジチャリスの気配の良さには敢えて眼をつむり、春3度目の雪に見舞われた土曜は競馬新聞も買わずに我慢して過ごして、じっと大阪杯のことを考え抜いていた。(まあ、本当の理由は財布の中身が薄かったせいもあるのだが・・・)

どう考えても、阪神内回り2000m、しかもレースを支配する先行馬武豊キタサンブラック(2016年度代表馬である)が3月5日以来6本の長めの追い切りをこなして出走してくるという条件下では(出走馬はフルゲートにならない14頭だった)、私には、キタサンブラック、ヤマカツエース、マカヒキの3頭立ての競馬としか思えなかった。

ほぼそれでいいと確信すらしていたが、さらにレースまで考え続けようとした。

おそらく逃げるのは、小倉大賞典を逃げ切った武士沢マルターズアポジーだろう。武豊キタサンブラックは、余裕でそれを見ながら自分自身の勝負を賭ける瞬間を虎視眈々と狙いすますに違いない。キタサンブラックの末脚は確かであり、よもやタレルことはない筈だ。

とすれば、レースを支配するキタサンブラックから離された後方を進む馬たちでは、結局は追いつけないのではないか?好位の後方か、少なくとも中団の前のポジションを確保しなければ、キタサンブラックに勝つことは難しい。その意味で、私の推理に誤算があるとすれば、池添ヤマカツエースやルメール・マカヒキが末脚を過信するあまりゆっくりと構えすぎることだろう。でもそのことは、一流騎手なら当然理解の範疇で、仕掛けのタイミングを誤ることはないと信じたい。

日曜の午後、最終最後に全頭の出馬表を見渡したとき、ふと去年のマカヒキのダービーの欄に眼が引きつけられた。今日はルメール騎乗だが、ダービーは川田将雅の騎乗だったんだよな、と思い、改めて川田将雅の騎乗馬を見るとステファノス。ステファノスには2着に来られて悔しい思いがしたことがある。そうか、ここ一発勝負のできる川田将雅なら、敢えてマカヒキを負かすような鋭い勝負を賭けて来るかも知れない。最近浜中俊はどうも浮ついた感じで騎手の魅力を発散していないが、川田将雅は明らかに違って、一発の魅力をキープし続けているではないか。期待してみる手はある。

このとき私は、上記3頭に川田将雅ステファノスを加えたのである。

4頭の選択。馬連3頭ボックスなら3点だが、4頭ボックスは6点になる。これは嫌だった。もう少し何とかしたい。が、まだこの時点では決めかねていた。

パドックからウォーミングアップ。ギリギリまで画面を見て、何とか私にとって納得できる正解を掴もうとした。締め切り時間が迫っている。

エエーイッ!と私は、清水の舞台から飛び降りるように決断した。その瞬間、私はこう思ったのだ。マカヒキの陣営は、まだこの馬の完成した姿がどんなものであるのか迷いがあるのではないだろうか?どのように完成させてやりたいのかというホースマンとしての主張が、キタサンブラックやヤマカツエースと比べて、まだほんの少し欠落しているような気がする。素質の高さに任せている現状ではないのか?

急いで、私はパソコンのキーボードを打った。選んだ結論は、キタサンブラックからヤマカツエースとステファノスへの馬連2点、以前から贔屓で応援しながら成長を見届けているヤマカツエースからキタサンブラック、ステファノスへの2点。ならば結局は、キタサンブラック、ヤマカツエースを厚めの馬連3点買いだ。

ゲートが開いて、第1コーナーまでの前半戦。先に行きたい馬を先に行かせて、武豊キタサンブラックは4番手の好位のポジションを確保した。それをマークするように川田将雅ステファノスがその直後にとりついた。ヤマカツエースは中団の後方。マカヒキはさらに後方の位置取りだった。これではたぶん直線の短い阪神内回りだと、上り3F33秒台の脚を使っても勝つのは難しい。それとも何かの方策を考えているのだろうか?いや、ちょっと怪しい感じがする。
私は、第1コーナーで、もはやキタサンブラックとステファノスの勝負となったと認めざるを得なかった。

結局、波乱などは何も起こらず、その通りになった。
2000m1分58秒9。ホームストレッチで逃げ馬たちを交わして武豊キタサンブラックが抜け出し、川田将雅ステファノスが追いすがって、差してきたヤマカツエースは3着。マカヒキは4着がやっとだった。アンビシャスとサトノクラウンがその後に続いた。

武豊は4コーナーから後続馬をまるで気にすることなくキタサンブラックのペースだけを守って抜け出した。川田将雅は、前を行くキタサンブラックだけを目標に追い出した。2人の勝負度胸が、この記念すべきG1昇格第1回大阪杯のファインプレイだった・・・。

今週末は、クラシック第1弾桜花賞。いよいよ競馬が佳境に突入していくシーズンである。

コメント

このブログの人気の投稿

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた...

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る...

2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会)

もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。 照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。 湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。 そんな折、2つの案内状が届いた。 ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。 78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」 をかける。 これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから) 興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です) そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、 「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。 もうひとつの案内状は、その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。 9月6日一ツ橋「如水会館」。 優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。 4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。 私自身が今こうしている間にも...