スキップしてメイン コンテンツに移動

2017 皐月賞・中山芝2000m~やっぱりな



何となく先週末は慌ただしかった。

土曜の午後に、11Rのメインレース扱いとなった中山GJをTV観戦。もはや障害馬として大成した印象のある石神深一オジュウチヨウサンに何の不安も感じられず、勝つのはこの馬だと決めて応援した。オジュウチョウサンの特徴は、ただただジャンプが好きで、ジャンプすると普通の馬は消耗するのが常なのだが、この馬だけはジャンプをすると逆に元気バリバリになるのだという。

平地レースでの実績はなかった馬だが、障害馬として新境地を開いた。特筆すべきセールスポイントがひとつあれば、幸運に出会えるというドリームを掴んだ馬だったのだ。

昨年の中山GJから6連勝、その勝利には暮れの中山大障害と今年の中山GJが含まれているのだから素晴らしい。

この日、一昨年の中山大障害馬で昨年の大障害でも2着を確保した林満明アップトゥデイトとの馬連が、2倍を切るオッズだった。何となくだが、どうもこの組み合わせでは今日の中山GJは決まらないと思えてならなかった。いや、それほどの根拠はなく、競馬は勝負事だと考えると、2着には別に勝負に絡もうとする馬がいるのではないかとそう閃いたのだ。
で、私は、内から平沢健治タイセイドリーム、難波剛健サンレイデューク、高田潤ルペールノエル、念のために林満明アップトゥデイトの馬連4点でレースを見守ることにした。

アップダウンの激しい4250m(そこに大竹柵と大土塁がある)。しかしオジュウチョウサンの飛越は実に安定していた。石神深一の騎乗も、自信が漲って馬と一体化していて、実に堂々としていた。結果は楽勝の勝利。

3コーナー過ぎから勝負を賭けて来たのは、難波剛健サンレイデュークで、林満明アップトゥデイトが離された3着。4着は平沢健治タイセイドリーム、5着は高田潤ルペールノエル。
私は、1着馬から2、3、4、5着の馬の馬連を買っていたことになった。私にしては珍記録だった。

夕方からは、私用をあれこれ片づけて、ついでに皐月賞の最終追い切りを確認して過ごし、翌朝は5時過ぎに目覚めて、新聞に眼を通しもした。

朝8時半のレッドアローに乗った。今日は、気分を変えて所沢までにした。各駅に乗り換えて隣の新秋津で下車。武蔵野線の秋津まで歩いて、生まれて初めて秋津から船橋法典に向かった。東京競馬場のある府中本町までなら何度も乗っているのだが、秋津から船橋法典に向かうことはこれまで一度もなかったのである。路線図を見ると、まるで外環道に沿ってグルッと近郊を田舎巡りをするかのようで、何となく躊躇っていたのだ。半円形を思い浮かべると、A地点から反対のB地点まで、円周に沿って行くよりも直径を進む方が距離が短く感じるのは人情だ。

でも考えようによっては、座って65分なら、いろんな乗り換えを考えると楽かもしれない。それでも初めての道中は何かと気を使うので、ゆっくりと眠っている訳にはいかないのは、私自身の性格だろう。

結局、いつもの都心を抜けるコースと比べると15分ほど早く中山競馬場に着いた。
そのまま真っ直ぐに「優駿」の部屋にたどり着く。すでに矢野誠一御大が到着していたので、今朝の武蔵野線の道中を話すと、
「いえね、その昔府中で(桂)文生としこたま酔っ払って、そのまま何故か府中本町に行ったら、東京行きの電車があって、コリャァしめたともんだと乗ったはいいけど、東京までが実に長い道中で、文生はすぐに寝ちまったから覚えてないだろうけど、こっちは大変な思いをしたんだよ」
と、苦笑しながら言われた。よくよく考えると、東京競馬場にいたのに、深夜の武蔵野線でグルッとひと回りして、何と中山競馬場経由で東京駅に向かったのだから、正気の沙汰ではなかったろう。酔っぱらっていたのが良かったというもんだ。

8R。1000万条件の鹿野山特別芝2000m。前半5F60秒3のペースで勝ったのはルメール騎乗のテオドール。2着の田辺裕信カラビナとの馬連は持っていた。勝ちタイムは1分58秒7。古馬の1000万条件でこの時計なら、本番皐月賞は、1分58秒か、58秒を切るぐらいの決着となるだろうと予想した。あとは皐月賞まで、ジッとおとなしくしていようと決めた。

この皐月賞で応援する馬を、私はすでに決めていた。最初に考えたのは、皐月賞に至るトライアル戦の中で最も印象に残るレースだったのはどれだろうか?ということだった。

2つのレースが浮かんでいた。東京の共同通信杯と阪神の毎日杯。四位洋文スワーヴリチャードと松山弘平アルアインである。ここからどの馬に行くかが勝負の分かれ目だろう。加えたのは、ホープフルSの勝ち馬でルメールの乗るレイデオロと田辺裕信のアウトライアーズだった。

ここまで3連勝の牝馬ファンディーナは闘った馬のレヴェルを考えると今日は無視できたし、アルアインを選ぶなら同じ池江厩舎のペルシアンナイトはいかにデムーロ騎乗だったとしても盲点になってしまったし、スワーヴリチャードに共同通信杯で負けた武豊ダンビュライトにも、ずっと乗っていたルメールが騎乗しないという理由で眼が行かなかった。

皐月賞の直前に画面に流れた単勝オッズを見て、
「ファンディーナが2.6倍で、アルアインなら22倍だよ。どちらを買うかは自ずと決まるんじゃないでしょうかねぇ」
などと口にしたが、私自身は単勝は買わなかった。最終的に四位洋文に期待して、アルアイン、レイデオロ、アウトライアーズの馬連3点。武蔵野線初体験の気疲れからか、私の中の閃きの扉の鍵は今日は開けられなかったのである。

1着松山弘平アルアインの勝利のポイントは、堂々と好位から正攻法の競馬に挑んだことである。そうできた裏付けは、毎日杯の好タイムでの勝利があったればこそだったろう。
2着デムーロ・ペルシアンナイトは、何といってもインをするすると上がっていった3コーナー手前からの、デムーロによる忍者騎乗の成果だったと思う。
それにしても池江厩舎のワントゥフィニッシュの結果とは・・・。何となく狐につままれた気分だった。

1か月後の日本ダービー。私は今日選んだ馬たちに今日出走を回避した2億円馬サトノアーサーを加えて、推理に挑もうと思っている。

いつものメンバーで法華経寺に向かう帰り道。並んで歩く文春の編集者F氏に、
「あの原稿は面白かったですよ。カンカン・・という音色が今も頭に残ってるんですよ」
と言われた。暮れに、書き上げたばかりの原稿を読んで下さいと渡していたのである。

そのひと言だけで、今日中山に来て良かったと思えた。昨日の中山GJと今日の8Rの多少のプラスを、おまけをつけて吐き出した(いやJRAに預金してしまった)が、私にとっては、もう少し生き抜く希望となる一言だったのである。

それからの2時間。いつもの茶店で春の宴に酔い、下総中山から隣の西船橋に戻って、また武蔵野線を旅して帰った。

何と所沢からは、いつもより1時間早いレッドアローに乗れてしまった。

次は、春天皇賞だ。雪辱のチャンスにしようと決意を新たにしている。




コメント

このブログの人気の投稿

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた...

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る...

2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会)

もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。 照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。 湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。 そんな折、2つの案内状が届いた。 ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。 78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」 をかける。 これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから) 興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です) そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、 「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。 もうひとつの案内状は、その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。 9月6日一ツ橋「如水会館」。 優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。 4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。 私自身が今こうしている間にも...