8月26日 午後6時から「桂文生独演会」が始まった。満席で通路にまで折りたたみ椅子が並び尽くした。
開口1番は、前座・一猿の「寿限無」。
次に、2番弟子文雀の「尼寺の怪」。
暑気払いにみんなが集まって怖い話をし合って、ゾクゾクとしないような話だったら、みんなにたらふくの酒をおごらなければならないことになった若い魚屋が、和尚さんからその昔の怖かった尼寺での話のネタを聞きつけて、これならいけるとみんなの前で披露して、結局はこけてしまう噺だ。
そして中入り前の文生最初の登場となる。
待ってましたとばかりに、客席の拍手の音が増し、「転宅」が、酒の噺やあまり飲めない小三治の話題を枕にして始まる。
以前に太夫だった妾宅に忍び込んだ間抜けな泥棒が、逆に妾となった太夫に財布の中身をからにされてしまうという噺。
下げに向かう頃には、文生の明るいフラのある顔が、間抜けな泥棒の顔と一緒になってしまう感覚になってくるのが不思議だ。
そして15分ほどの仲入り休憩。
1番弟子扇生の「千両みかん」。
真夏に、艶々しくしかもみずみずしく薫り高いみかんに恋して、ひどい恋煩いに堕ちた若旦那を助けようと、一肌脱いで真夏にみかんを探して奮闘する番頭の悪戦苦闘の噺だ。
ここまで話を聞き終えて、ふと私は思った。文生は、自然と顔全体の筋肉を使いこなして、あの飄々とした特有のフラのある表情を作っているのだと。
そう思うと、前座・一猿は、まだまだ少しも眼元の楽し気な表情を浮かべる余裕のないのが判るし、すでに相当の実力を備える文雀や扇生にしても、もしそのことに気づいて実行してみたなら、さらに色気や艶が漲ってくるのになと感じた。
文雀は眼尻の表情は使えているが、眼元の筋肉の表情をまだ使い切ってはいない。もうひとつ言うなら手先の説明がうるさい部分がある。力のある芸人だけに、ぜひともドーンと構えて欲しいものだ。
扇生は、江戸の端正な職人の風情を自然と持ち備えている。これは武器だ。この武器を生かす形で、時にメリハリのある大きな目の表情を効果的に作って間合いを図ったなら、観客はその端正な扇生自身とのギャップにより引き込まれていくだろう。
おそらく仲入りの間に、文生はなみなみと注がれたコップ酒を1・2杯豪快にあおったのではないか?
そう思えてならないほど、文生の「一人酒盛」は名人芸に満ち溢れていた。
とっておきの良い酒は、良い酒だからこそ舌で舐めるのではなく、ゴクゴクと飲み干して喉で味わうのが酒飲みの嗜みと思い知らされた観客は多かったろう。
自分自身の酒の強さを、ある意味処世の術としてまで活かしきって、先人の名人芸の噺家たちから可愛がられもしてきた文生の、凄味ある噺を聴いた感がある。
この夜の文生は、かつての名作漫画「寄席芸人伝」の主役キャラを演じられるほどの世界を披露した。
「(酒の飲めない)留の奴は、酒癖が悪い」と下げを決めたとき、文生に対して、観客席の後方からワーッと歓声が上がった。
78歳の文生を、池袋に集った観客たちが、まるでアイドルのように迎え入れた瞬間だった。
芸の力が場内を圧倒したと言えるのかも知れない・・・。
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