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荒川水系の鮎


最近(と言っても、21世紀になってからずっとなのだが)、過度な自己顕示欲、売らんが為なら奇妙奇天烈の受け狙い、周りの雰囲気をまるで感知できない鈍感さ、そして究極のミーファーストの輩があまりにもでかい態度で跋扈していて、文章を書く気があまり起きない。
で、じっとおとなしくしているのだが、湿度も温度も身体に粘りつくように高く、イライラ感が募るばかりで、何となく落ち着きが悪く、それならばと、塩分補給を兼ねて、あっさりとしたラーメンを近場の店に食べに行くようになった。

勿論、とんこつ醤油系ラーメンが昔から好みなのだが、イライラ感が増すほどに、あっさりとした所謂「シナソバ」系の鶏ガラ煮干し出汁のラーメンに何となくほのぼのとした心の温かみを覚えて、この味もなかなかだと思えるようになっている。

以前から通っているのは、「悦楽苑」。外見は普通の中華料理店だが、この店は、知る人が知る噂の店で、ライダーや釣り人らが中心となってブログやツイッターなどで噂は広まり、今やTV取材のクルーも訪ねてくるようになった。

店主の趣味も、バイクと釣りに時代劇で、その腕前は本物である。鮎釣りに向かうときは朝3時起きらしい。



まあ、この写真を見れば、噂が立つのも無理はないと知れるだろう。   

圧倒的な量の味噌ラーメンだ。通りすがりに寄った腹を空かせたライダーたちが、余りの量に感激して、噂に火を着けたのである。

最初は何も知らずに入っていつものつもりで味噌ラーメンをオーダーしたのだが、この野菜の量にただただ苦笑いをするばかりで、汗を流して挑戦したが半分ほどしか食べられなかった。で、その後店に行ったときには、「ごく普通盛でお願いします」と、店主に頼み込んで今に至っている。何も知らずに味噌ラーメンを注文するお客がいると、さてどうなることやらと、ニヤニヤしながらお客の表情を見守ってしまうのは、私の人の悪さなのかも知れない。

私自身は、ここしばらくは好みになった普通の鶏ガラ煮干し出汁ラーメンを注文するので、今は、量の多さに冷や汗をかくことはない。

3日前の早朝6時過ぎのTVのニュースショーで、たまたまこの味噌ラーメンを見た。あれ、どこかで見た味噌ラーメンだと思ったら、やはり「悦楽苑」の味噌ラーメンだった。この山盛りラーメンを、確か三峰神社近くのロードレースに出場したマラソンランナーの川内優輝が完食する姿を、この日はTBSとNHKが店内で取材したのだという。
「川内、完食やったか」と、感心した。

次の日の夜、たまたまラーメンを食べに行き、店主にTVで見た話をしたのだ。店主は放送日を知っていなかったらしい。ラーメンを食べ終えた後、少し話が盛り上がったとき、店主は言った。「鮎は好きか?」と。勿論私の答えはイエスだ。

すると店主は、最近釣ってきた鮎を持っていくかという。ありがたいことに、去年も私は鮎を頂いていた。
20cmを超える鮎が8匹。釣ってきて、すぐにビニール袋に水と鮎を入れて、そのまま瞬間冷凍したもので、鮮度は保たれたままである。荒川水系の上流は、今年は雨が少なく、そうなると水量の減った川には、鮎が食べる新鮮な苔も減り、苔自体の質も下がって、鮎には良くないのだという。雨雨ふれふれ母さんが・・・である。

ありがたく頂戴して、今朝、塩焼きにしてみた。うーん、真夏の清涼感。さわやかな味わい。
グリルで焼くのではなくオーブンならば、もっとおいしく焼けるのだろうが、まあしょうがないか・・。今度は七輪に炭を起こして網焼きしてみようか?・・・。

それにしても「悦楽苑」の店主に感謝である。またラーメンを食べに行かなくちゃいけないな、こりゃぁ・・・。

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