成田屋市川海老蔵夫人小林麻央が闘病の果てに逝ったと同じ6月23日、将棋界でも、もう一つの貴重な命が失われていた。
昭和の風情を身をもって現していた大内延介九段が逝ってしまったのである。
5月の連休のとき神楽坂でお会いしたのが、私には最後の機会となってしまった。ここしばらくの間に体調を崩されていたのが私にもはっきりと判り、同行者と共に少しばかり驚きを覚えてならなかった。いつもの気風の良い江戸っ子気質が消えて、大内九段らしさが伝わってこなかったのだ。
私が、縁あって大内九段と身近に出会ったのは、確か6年ほど前だった。その関係が続いていたのは、物事の是非をはっきりと口にする大内九段に魅力が溢れていたし、棋士として積み重ねた人生経験に根付くその人物評も、的を得て正確で、同じような性格である私とも気脈が通じて止まなかったからである。だから会えば、いつも楽しく話も弾んだし、教えを受けもした。
まだ訃報を知って間もないので、ただただ合掌するのみという心境である。21世紀の鬼才棋士として日々成長を遂げている藤井聡太四段がデビュー以来の負け知らずの29連勝記録を達成した今日、大内九段の7月17日のお別れ会の予定が連盟から発表された。75歳だった。
ひとつだけ胸を張って言えるのは、先月お会いしたとき、ある若手駒師が製作した大内怒涛流の2組の新作彫り駒をお渡しできたことだ。
そもそもは、1年ほど前に大内一門の期待できる若手孫弟子の生涯の研究用の駒として作ってみたらどうですかと提案したことからこのプランは始まったのである。私は、大内九段が師匠土居市太郎から贈られた無銘だったが水無瀬の彫り駒を生涯の研究用の駒として身近に置いて愛用していたことを知っていた。それは明らかに若き影水が自ら作った駒だった。
だからこそだろう。大内九段も「いや、それは楽しみですねえ・・」と乗り気になってくれた。
それがようやく完成して、上京した若手駒師が直接に届けたのである。大内九段がおそらく生涯最後に手にした新作駒となった。
しかしその駒が、2か月も経たないうちに大内九段の遺品となってしまうとは・・・。寂しく哀しい物語になってしまった・・・。
今はただ、大内九段のご冥福を祈るばかりだ。
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