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初心忘るべからず


昨秋から、ずっと胸に痞えていることがある。

10月半ばに将棋連盟常務会により拙速に処断措置が取られた所謂「三浦九段スマホカンニング疑惑」である。疑惑自体は、その後連盟自身が依頼することになった元検事総長を委員長とする「第3者委員会」によって、昨年末に、
「一部棋士たちによって告発された疑惑は存在しなかった」
「10月12日の常務会による三浦九段への措置はやむを得ないものだった」
「三浦九段の名誉回復に努めるように」
という委員会としての報告がなされ、会長以下常務理事らの減給処分が発表され、谷川会長は三浦九段への謝罪を口にして、連盟としての一応の決着が為された。

しかしそれでも、一度沸き起こったこの胸の痞えは、何も癒されてはこないのは、どういうことだろうか?

連盟のHPや囲碁・将棋チャンネルで、告発した側とされる一部の棋士たちの写真やその姿を眼にする度に、この胸の痞えが不快感を伴って増して行くのはどういうことなのだろうか?

おそらくそれは、それなりに権威ある「第3者委員会」の報告があったとしても、そのほとんどの報告内容が秘密に封印され、本当のところで何があったのかという素朴なファンの声が一切無視されている現状にあるのではないのか。これからも将棋や棋士たちを応援したいと心から願うのに、連盟(それもおそらく会長以下数人の常務理事を守るためだけ)の都合の良い部分発表で解れという高圧的な対応では、瞬時に情報が様々に行き渡る現代のファンを納得させることなどできはしない。

そもそも陰湿な村八分的排除を狙った三浦九段への虐めではないのか?だとしたら何故そんな事態が起こったのか?誰が首謀・主導したのか?誰が処分措置に関して(すでに第3者委員会によってスマホカンニング行為はなかったと断定されている)リード役を担ったのか?それには、本来的な大義があったのか、なかったのか?査問時に、竜王戦は中止になったとの常務理事による虚偽発言はあったのか、なかったのか?常務会以前の10月8日の週刊誌記者へのメールに象徴されるような世論の情報誘導のための某棋士と記者の癒着はあったのか、なかったのか?タイトル戦スポンサーへの気配りは、そのスポンサーを支える将棋ファンの気持ちをないがしろにするものであってもいいのか否か?挑戦者変更に関わるスポンサー読売の暗躍や圧力はあったのか、なかったのか?第3者委員会報告を受けての公式記者会見は、映像メディアを立ち入り禁止にして行われたが、その正確な理由は何だったのか?

他にも疑問はさまざまにあるが、組織としての将棋連盟は何一つとして誠意を持った回答は今も避け通している。もっと危ないのは、「オレがこう言うのだから、それが事実だ」とするような体質さえ垣間見せている。避けるということは、何らかの瑕疵を認めていることにも繋がりかねないのだが・・・。

内部情報を知らない部外者である私でさえ、こんな疑問を抱かなければならないのは、結局は、将棋連盟の対応が隅々まで信頼感を生み出してはいないことの証左と言えよう。会長以下常務理事たちの責任は重い。だからこそ一般ファンの胸の痞えは解消されないのだ。

個人的には、そもそも政治論的には、10月10日に某常務理事邸で行われた秘密会合が明らかになってしまった時点で、竜王戦挑戦者変更につながるある種の権力掌奪クーデター計画は破綻していると考える。謀議は徹底的に秘密会でなければならないのは、歴史的事実だろう。

たまたま挑戦者変更には成功したかも知れないが、現在沸き起こっている三浦九段への声援応援のファンの気持ち、告発者側への大きな弾劾の声を考えると、連盟(常務会)の失態は明らかだと認めない訳にはいかない。

もはや第3者委員会の報告書全文(個人名があるなら黒塗りしてもいいから)を明らかにして、きちんとした公開記者会見をしなければ、おそらくこの事態が鎮静化することはないだろう。取り繕うには時機を逸してしまっている。

今、将棋棋士たちひとりひとりに問われているのは、名人を夢見た若き日の初心に今一度帰ることだろう。そのときには、純真に将棋道を目指して、政治的立ち居振る舞いや、巧くおいしくやろうとする駆け引きや癒着など、心の片隅にもなかったろう。
道を究めるということは、勝負の強さ弱さなどではなく(勿論強かったなら幸福度は高まるが)、あなた自身がどう選んだ道を生き抜いたかという闘いの質にかかっていることなのだ。同時に、生涯闘い抜くためには、非道に対してはきちんと声を上げることが必要なのは理解して欲しい。

そんな棋士たちの姿に接し、血を吐く様な棋譜を眼にすることこそが、ファンたちのこの胸の痞えを癒す唯一の解消法なのである。

初心に戻ろう・・・。
古流水無瀬

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